Verhohlen Leidenschaft - 6




 一つ深呼吸して息を整え、覚悟を決める。それから軽くノックする。
「失礼します」
 そう声を掛けて、思い切ってその扉を開けた。
 その闇の守護聖の執務室はこれまでと何ら変わることなく、薄暗い。しかしそこから感じるものは変わっていた。
 室内の何かが変わったわけではない。変わったのはオスカー自身のクラヴィスに対する感情だ。ただそれだけのことが、同じものでありながら受け止め方を変えたのだろうか。おかしなものだと思う。冷たい部屋だと思っていたのに、今は暖かく感じられる。
 部屋の奥へ歩を進めると、この部屋の主たるクラヴィスは執務机に着いて、書類に目を通しているところだった。
「何かあったか?」
 クラヴィスが顔を上げて静かな声で問う。
「……自分の気持ちを確かめるために、来ました」
「?」
「先日、ある女に言われたんです。今、俺は初めて本当の、本気の恋をしていると」
「望みは占いか? あいにくと恋占いは得意ではないが……」
 珍しいこともあるものだなと、クラヴィスは口元に微かな笑みを浮かべながら立ち上がった。
「貴方です」
「何……?」
 オスカーをソファに促し、自分もそちらに移ろうとしていたクラヴィスは、オスカーの言葉に振り向いた。
「俺が惚れているのは、クラヴィス様、貴方です」
 大股でクラヴィスに近づき、その腕を取って、躰ごと自分の方に向ける。
「オスカー……」
「昨日一日、ずっと考えていました。自分の気持ちを、そして貴方のことを」
 オスカーは掴んでいたクラヴィスの腕を外し、けれどすぐにその躰を抱き締めると、肩口に顔を埋めた。
「考えれば考えるほど、想えば想うほど、自分の中の醜い嫉妬心と独占欲に、どうにかなりそうだった。
 この前、貴方は言ってましたよね。ウォルフ様だけが貴方を貴方として見てくれたと。貴方が今もそのウォルフ様を想っているのは分かっています。そして貴方は俺を、俺のサクリアを通して、俺ではなく、ウォルフ様を見ている」
「……そのようなことは……」
「ないとは言わせない!」
 そう叫んで上げられたオスカーの顔は、いつもの自信に溢れた炎の守護聖のそれではなかった。
「オスカー……」
 その歪められた、余りにも苦しそうな顔に、クラヴィスは思わずその頬に手を差し伸べていた。
 似合わないと思う。この青年に、こんな表情(かお)は似合わないと。
 オスカーは伸ばされたその手を握り、指先に軽く口付けた。
 クラヴィスは慌ててオスカーからその手を取り戻そうとしたが、強く握り締められて、それは叶わなかった。
「俺といる時の貴方の瞳は、俺を映してはいたけれど、俺を見てはいなかった! 俺を見て下さい、ウォルフ様と同じ炎のサクリアを持つ、炎の守護聖としての俺ではなく、貴方に焦がれている一人の愚かな男を見て下さい。
 貴方が欲しているのは俺じゃない、ウォルフ様だ。それも分かってる。それでも、俺は貴方が欲しい!」
 オスカーの言うとおりだ。
 オスカーを見る時、彼には悪いことをしていると思いながらも、クラヴィスは確かに彼の後ろに別の男の影を見ていた。
 オスカーのサクリアは、近くにあればある程にクラヴィスに彼の前任者であるウォルフを思い出させ、傍にありたいと思わせて、いつしかオスカーが傍にあることを厭わなくなっていた。むしろ、それを望んでいると言ってもいい程になっていた。それはある意味、甘えかもしれないと感じる程に。
 ── ではオスカーは? なぜ、どうして私などを望む?
「なぜ、私なのだ?」
 クラヴィスの問いに、オスカーは彼の手を掴んだまま、軽く首を横に振った。
「なぜ、でしょうね? 自分でも分からない。ただ、気が付いたら貴方に捕らわれていた。貴方のことだけを考えていた。そう、女を抱いている時ですら、頭の中では貴方のことを想っていた。なのに、その女に指摘されるまで、そんな自分の感情にすら気付いていなかった馬鹿な男です」
「同じ男同士で何を、などと言っても、ウォルフとのことを知っているおまえには何の意味もないな」
「当然です」
「おまえほどの男なら、いくらでもおまえに相応しい女性の手を取ることができるだろうに」
「今の俺には貴方しか見えない、欲しいのは貴方だけです。自分の気持ちに正直に向き合って、貴方への想いを自覚して、こうして貴方の前に立って、その想いは強くなる一方だ。……ほんの僅かでも、貴方の中に俺の入り込む余地は、ありませんか?」
 必死の思いで縋るように問い掛けるオスカーに、クラヴィスは力なく俯いた。
「……私に関わるな、その方がおまえのためだ」
 ── 以前の関係に戻ろう、彼から離れよう、その方がいい。
 そう思う。だがそれは一体どちらのためになのだろう。
「なぜです!? 何が俺のためなんです!? 俺は貴方が欲しい、貴方を俺のものにしたい、他には何もいらない、望むのはそれだけだ!」
 オスカーはクラヴィスの両頬に手を当てて顔を上げさせると視線を合わせたが、クラヴィスはすぐにそれを外した。
 活力に溢れ、自信に満ち、その司るサクリアそのもののように力強く精悍な青年に、自分が相応しいとはとても思えない。むしろ酷く不似合いだ。
 光の守護聖たるジュリアスとは別の意味で陽の下が似合う彼に、闇に生きる自分は似つかわしくない、相応しくはない。
 武人としても相当の器量を持つオスカーと、早く解放されたいと望みながら、この閉ざされた世界の中でしか生きる術を持たない自分── 。比べれば比べるほどに正反対の自分たち。
 それに、とクラヴィスは思う。
 もし仮に彼の気持ちを受け入れたとして、それでどうなるというのだろうか。
 守護聖という立場にあって、共に生きていくなどということは叶うまい。それは既に経験済みだ。ウォルフが自分を置いて聖地を去っていった時の喪失感は、今もなお、自分の中にあって埋められてはいない。最後の時、まだ夜の明けきらぬ中、眠った振りをしていた自分を一人残して部屋を出ていくウォルフを想って流した涙をまだ覚えている。
 相手が誰であれ、もう二度とあのような思いを、経験をしたくはない。
「オスカー、私は……、……」
 何かを言おうとして、けれど告げる言葉が出てこないまま、クラヴィスは泣き出しそうに顔を歪めた。
「貴方がウォルフ様を忘れられないというなら、それはそれで構わない。あの方にそう簡単に勝てるなどとは思わない。けれど、きっと貴方を俺に振り向かせてみせます。必ず、貴方を手に入れて、俺のものにする」
 クラヴィスの揺らぐ瞳の中に彼の想いの一端を見た気がして、オスカーはそう宣言し、これがその誓いというようにクラヴィスの唇を奪った。

── das Ende




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