黄龍と蛇神 【6】




 龍麻が意識のない紅葉を抱き上げたまま玄関まで戻ると、そこには鳴滝がいた。おそらく鳴滝の部下だろう者が一人、鳴滝に何か報告しているようだったが、龍麻が鳴滝に近付くと、ちょうどその報告を終えたのか、鳴滝の傍から離れていった。
 龍麻と、その腕に抱えられた紅葉を認めた鳴滝は目を細めた。
「どうやら間に合ったようだな」
「ええ、ぎりぎり、でね」
「で、この家が祀り上げているという大物主とやらはどうした?」
「さあ? 黄龍を二発程くらわしたら消えましたけど、その結果、どうなってるかまでは……」
 首を捻りながら龍麻は鳴滝の問いに答えた。
「そうか。とりあえず、奈良市内のホテルに私の名前で部屋を取った。細かいことは運転手に話してあるから、先に紅葉と一緒に行って休んでいなさい。私はもう少しばかり、ここで片付けていくことがあるからね」そうして自分の足元を指す。そこには鞄と手提げ袋が一つ、置かれてあった。「紅葉がここに連れてこられた時に持っていた鞄と、着ていた服が入っている。これも持っていきなさい。その姿では」紅葉の様子を見ながら言葉を続ける。「ホテルに入るのはちょっと問題だろう。車の中で着替えさせるといい。なんだったら、途中で何か着替えを買ってもいい」
 そう告げると、鳴滝は懐から財布を取りだし、その中から数枚の一万円札を龍麻に手渡した。
「そうさせてもらいます」
 龍麻は鳴滝に一礼すると、鞄と袋を受け取り、変わらずに紅葉を抱き上げたまま、玄関から出て門までの距離もものともせずにそのまま歩き続けて、さらに乗ってきた車まで向かうと、龍麻に気付いた運転手が、後部座席の扉を開いた。
「ありがとう」
 一声かけて、龍麻は紅葉とともに車に乗り込み、それを確認した運転手は車を発進させた。
 ちなみに、龍麻たちが乗ってきた車の後ろに黒い車が数台止まっていたが、先に鳴滝のところに人がいたことから考えると、自分が紅葉の元に行った後に到着した鳴滝の部下のものだろうと思った。鳴滝が言った「片付けていくこと」が、何を、そしてどの程度のことを示すのかは分からないが、後で聞けばいい、とにかく今は紅葉をきちんと休ませてやることだと、龍麻はそう思い、隣に座らせた紅葉に、意識が戻らないため── むりやり意識を取り戻させるのは躊躇われた── に、苦労しながら鞄に入っていた服に着替えさせた。
 やがて走り続けた車は奈良市内に入り、龍麻はホテルに着く前に見つけた百貨店に入ると、自分と紅葉、二人分の着替えを買った。それを終えて車に戻った頃には、紅葉の意識は戻っていたが、疲れているようで顔色はあまりいいとは言えず、龍麻は紅葉を自分の躰によりかからせた。そして何かを言おうとする紅葉に対し、龍麻は、話はホテルの部屋に入って落ち着いてからゆっくり聞くからと言って、そのまま鳴滝が手配したホテルに入り、チェックインして部屋に案内された。
 鳴滝が取ったのはシティホテルで、部屋はそのホテルの中では少し上のランクのツインルームが一つとシングルルームが二つ── 鳴滝用と運転手用のもので、流石に部屋のランクは違ったが── だった。龍麻と紅葉はツインルームに入り、ランクが下の方のシングルルームに運転手が入った。
 部屋に入ると、龍麻は紅葉に、室内に備えられている浴衣に着替えてベッドに入るようにと告げた。
「まだ顔色がよくない、楽なように浴衣に着替えて横になっていたほうがいいだろう。風呂はもう少し顔色がよくなってからな」
 言われるままに紅葉がベッドに横になると、龍麻はそのベッドの端に腰を降ろし、紅葉の髪を梳くように撫でながら尋ねた。
「休んでろって言いながら、質問するのもなんだが、一体何があったのかだけ、教えてくれるか?」
「……それが、僕もよく分かってないんだ。学校を出た後、祖母の迎えだという男たちに車に乗せられて……。本当なら避けたかったんだけど、周囲の状況的にちょっと無理っぽくてね……。で、乗った後、一緒にいた男たちはなんともなかったみたいなんだけど、僕だけ急に意識が朦朧としてきて、たぶん、そこで意識を失って、それからずっと戻っていなかったと思う。気がついたら君がいたから」
「そっか」龍麻は紅葉の言葉に一つ頷くと、先を続けた。「鳴滝さんが戻ってきたら、もう少し何か分かるかもな。何やら片付けてから来るって言ってたから」
「館長が?」
「ああ。おまえの両親からも何か言われてたらしい。で、俺は腹が減ったから、おまえが休んでる間に簡単にどっかで食事をしてくる。きちんと休んでろよ」
「分かったよ」
 紅葉は龍麻の言葉に簡潔に答え、龍麻はその言葉を受けて、紅葉の額に軽く唇を落とすと部屋のキーを持って出ていった。



 夜になって鳴滝が到着し、龍麻と、すっかり顔色もよくなった紅葉も含めて、三人でホテル内のレストランの奥の方のテーブルで、周囲には聞かれないように注意しながら、食事をしつつ今回の件についての話がなされた。
「あの家にいた者は、当人たちには悪いが、処分したよ」そう告げる鳴滝の言葉に罪悪感は感じられない。暗殺組織である拳武館の館長ともなれば当然か。「紅葉の祖母にあたる婦人については、流石に処分するのは躊躇われてね、申し訳ないが、こちらの息のかかった精神病院に入れさせてもらった。屋敷の方は知り合いの業者に取り壊しの手配を頼んだ。ああ、屋敷内に価値のありそうなものがあったら、それは取り壊し前に売却するようにとも言ってある。それで、あの家の所有する資産だが、まず、取り壊した後の土地については、取り壊しが済み次第、売却の手配をするように指示した。その屋敷も含めて、他の不動産やそれ以外の資産については、幸い実印や登記簿なども見つけたことから、一旦、私の名義に変えた後、紅葉の名義にすることにした。後でどこから親族を名乗る者が出てくるか分からないからね、間に一度、私が入った方がいいと判断した。そして櫻さんの名義にするよりも、紅葉にしておいた方がより追跡しづらいだろうとね」
 鳴滝が行うと告げた手段は法的な問題を含んでいるが、それを気にするような三人ではない。鳴滝のことだ、表沙汰に、問題になるような下手な手を打つことはないと分かりきっているからだ。
「それからあの家が祀っていた大物主については、龍麻が消したというが、正直なところ、どういう状態になっているか、龍麻からも聞いたが分からない。従って、今の何も分からない状況では、物理的な対処としてこれが精一杯だ」
「館長、今回はお手数をお掛けして申し訳ありません。龍麻も、心配をかけてすまなかった」
 細かいことを省いた簡単といっていい説明だったが、そう言って、紅葉は二人に向けて頭を下げた。龍麻は特に何かを言う必要を認めず、ただ笑みを浮かべて頷いただけだった。
「このことは、生前のおまえの父親からくれぐれも頼むと言われていたことだ。そんなに気にすることはない。それで言えば、むしろ逆に、おまえを守りきれずに連れ去られてしまったことを詫びねばならない」
「館長……」
「だから、本当に気にすることはないよ。友人だったおまえの父親との約束を守るために拳武館の力を少しばかり使っただけのことだ。
 それと、おまえが意識を失った原因だが、屋敷の中からほとんど見たことのない薬草らしきものが見つかってね。今、その成分の分析をさせているが、おそらくそれが原因だろう。他の者に影響がなかったというのは、たぶん耐性ができていたためではないかと思う。で、その薬草についてだが、後遺症や依存症など、後に残るものがないかどうか、些か心配ではある。だから紅葉、東京に戻ったら、一度、病院で検査を受けなさい。
 その薬草の調査結果と、資産に関する処理が終わったら、それはまた改めて知らせよう。今はそんなところでいいかな?」
 鳴滝の言葉に、龍麻と紅葉は揃って頷き、食事を終えるとそれぞれに部屋に戻った。
 部屋に入った龍麻は、自分の前に室内に入った、つまり、今目の前にある紅葉の躰を、後ろから抱きしめた。
「龍麻?」
 抱きしめられたまま、紅葉は顔だけ振り向いて龍麻を見た。
「今日は危なかった。もう少しであの蛇野郎におまえに手を出されるとこだった。ひやひやした。鳴滝さんのおかげでどうにか間に合って、本当に安心した。で、そんな様子を見させられて、それでなくてもここ暫くおまえに飢えてる俺に、おまえをくれるか?」
 龍麻の言葉に、紅葉は思わず軽く笑って応じた。
「いいよ。でも先に、一度風呂に入ってから、ね」
「ああ、それでいい。なんなら、一緒に入るか?」
 龍麻の言葉に、思わず二人して笑いあう。



 翌朝、朝食を終えると早々にチェックアウトして、運転手を含めた四人は車に乗り込み、東京に戻るために車を発進させた。
 最終的な処理がまだ残っているとはいえ、それは鳴滝に任せ、とりあえずこの件は落着したものと考えていいのだろうと、龍麻と紅葉はそう思った。

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