鴉 - 5




 鴉たちの鳴き声が、不気味に響き渡る。その鳴き声の中に、聞き覚えのある若い男の笑い声が混じった。
「クックックッ……。待っていたよ、ここから、君たちを観察しながらね……」
 最上階に辿り着くと、奥の方に肩に鴉を停まらせた若い男が一人立っていた。その周囲を数多くの鴉が取り巻いている。
「ケッ。悪趣味な野郎だぜ。こんな高い場所から見下ろしてりゃ、さぞやいい気分だろうな」
 吐き捨てるように蓬莱寺が言う。
「クックックッ……、もちろんだよ。ここからは、この汚れた世界がよく見渡せる。神の地を冒涜せんと高く伸びる高層ビル── 、汚染された水と大気── 、そして、その中を蛆虫の如く、醜く蠢く人間たち── 。人間とは、愚かで汚れた存在なんだ……。もはや人間という生き物に、この地で生きる価値はない……」
「勝手なこと言うなよっ!! そういうキミだって人間じゃないかっ!! なのに、どうしてそんなこと……」
「僕が? 君たちと同じ、人間だって!? クックックッ……」
 桜井の言葉に、唐栖は馬鹿にしたように嘲りの笑いを浮かべた。
「冗談じゃないね。僕は、神に選ばれた存在なんだ。僕はもうすぐここから飛び立つ。堕天使(カラス)たちを率いて、人間を狩るためにね……」
「冗談もほどほどにしなっ。唐栖よ、この世に選ばれた人間なんていやしねぇ。テメェだって、分かるだろ? 腐った街なら、これからオレたちで変えていけばイイじゃねぇか」
「…………」
「なっ? 唐栖、オレ様とやり直そうぜっ」
「…………」
 諭すように、説得するように話しかける雨紋に、唐栖は嘲笑を向けた。
「クックックッ……。相変わらず、甘いことを言ってるんだな、雨紋……。この東京(まち)で、何を信じろっていうんだい……? 日々起こる殺人、恐喝、強盗── 犯罪の芽は、摘んでも摘みきれないほどこの世に、溢れている……。粛清が必要なんだよ……、この東京(まち)には……」
「唐栖……」
「黒い水にたった一滴、澄んだ水を垂らしたところで、その色が変わろうはずもない。雨紋、どうして君は僕に従わない? 君だって、神に選ばれた証の《力》を持っているのに。それから── 君たちもね……」
 言いながら、唐栖は龍麻たちを次々に見て、最後に美里にその視線を向けた。
「特に、君……」
「えっ……」
「そう── 、君だよ、美里葵……」
「なぜ、私の名前を……?」
 名を呼ばれたことに、美里は戸惑いながら尋ね返した。
(こども)たちが教えてくれたのさ。僕のかわいい(こども)たちがね……。僕たちの《力》は、この東京(まち)を浄化するために、神から与えられたものだ。そして── 君のその美しい姿はこの不浄の街に降り立つ僕の傍らにこそ相応しい……。そこの君も」
 視線を美里の隣に立つ龍麻に向けて問い掛ける。
「そうは思わないかい?」
龍麻は、口許に冷笑を浮かべていた。
「くだらぬな」
「クックックッ……。強気でいられるのも、今のうちだけさ。そう── 、君たちはもうすぐ死ぬんだ。僕の可愛い(こども)たちに全身を喰い尽くされてね」
「美里……。こんな奴の言うことを真に受けるな」
「クックックッ……。さあ来るんだ、何も、悩むことなんてないはずだろ?」
 言いながら、唐栖は美里に手を差し伸べた。この手を取れというように。
「私は── 、私は……貴方とは行けません」
 胸の前で組んだ手は震えていたが、それでもきっぱりと美里は言い切った。
「葵……」
「ここにいるみんなは、私の大切な……仲間だから。それに私は信じています。人間の持つ、優しい心を。誰かを愛し、護ろうとする力を── 。もしも……あなたがみんなに危害を加えるというのなら、私は──
 最後まで声にすることはできなかったが、美里は自分の心の中で、『戦います』と、そう告げていた。
「大切なもの……だって? そんなことのために僕の誘いを断るのかい? クックックック。くだらない……」
「…………」
「そんなもの、僕が手に入れたこの《力》の前では塵に等しい」
 唐栖が何を言おうと、彼を拒否し、否定するように向けられる美里の瞳の色は変わらない。
「分かったよ……」
 美里の心を変えることはできないと諦めたのか、踏ん切りがついたかのように、美里に向ける視線が厳しいものになった。
「僕を拒む奴らはみんな死んでしまえばいいさ。おまえらも、みんな── おまえらの信じる希望ってやつと一緒に死ぬがいい……」
 その言葉を合図にしたかのように、大人しく唐栖の周りに留まっていた鴉たちがいっせいに飛び立ち、威嚇するかのような大きな鳴き声を上げながら五人に襲い掛かってきた。
 醍醐は美里を後ろに庇って立ちふさがり、鴉に向けて拳を放つ。しかし飛び回る鴉に対しては甚だしく不利だった。
 蓬莱寺は襲ってくる鴉に木刀を振り下ろし、桜井は矢を放ち、雨紋は槍を突き出した。だが、やはり飛び回りながら襲い掛かってくる鴉に対して苦戦は免れない。
 そんな中、龍麻は掛けていた眼鏡を外し、制服のポケットにしまった。その途端に、龍麻に襲い掛かろうとしていた鴉の動きが停まった。
「何っ!?」
 それに気付いた唐栖が、何事かと声を上げた。
「何をしてる、そいつを襲え、殺すんだっ!!」
「……無駄だ。鴉たちは私が何者か分かっている。だから決して襲ってはこない」
 一歩一歩唐栖に近付いていく。
 他の四人には次々と鴉が襲い掛かっていくというのに、龍麻の周りだけが静かだった。
「神に選ばれた、神から《力》を与えられた、と言ったな。では問おう。おまえの言う神とは何者だ?」
「な、何を……」
天津神(あまつかみ)か、禍津神(まがつかみ)か、それとも外国(とつくに)の神か? だが、少なくとも国津神(くにつかみ)ではない。私はそのようなことを許した覚えはないからな」
「……お、おまえは、一体……」
「おまえの力は誰から与えられたものでもない。ただ少しばかり、おまえが大地の氣の影響を受けやすかった、それだけのことだ」
 龍麻の醸し出す気に呑み込まれたかのように、唐栖の動きは止まっていた。それだけではない、まるで瘧のように躰を震わせている。
 唐栖の目の前まで来た龍麻は、何の感情も見せぬまま、その右腕を上げると唐栖の額に掌を当てた。
 その掌が光を放つ。
 唐栖は手を上げることすらできず、その光に晒され、やがて小さく呻いてその場に崩れ落ちた。
 それと同時に、鴉たちは統制を欠いたようにその動きを変えた。そしてそれぞれにその場を飛び去っていく。
「見て……、カラスがみんな飛んでく……」
 そうして周りを見渡し、龍麻の足元に倒れた唐栖を認め、そちらに集まる。
「うっ……、ううっ……」
 かろうじて意識はあるらしい唐栖が、小さく呻きながら、必死に躰を起こそうとしていた。
「唐栖……」
「さっきまでの邪気が嘘のようだな……」
「あぁ……。もう、あの《力》を使うこともできねぇだろうさ」
 唐栖からは先刻まで感じられた《力》が、抜け落ちたかのように消えていた。
「そうだな……」
「唐栖よ──
 呼びかけながら、雨紋は唐栖の前に膝を着いた。
「人間も鴉も同じさ……」
「…………」
「薄汚れて、堕ちて生きていくのは簡単だ。だがな、心まで堕ちなきゃ、希望ってヤツに飛んでいける翼を持っている」
「…………」
「だから、オレ様は人を信じている……。人の持つ心を── 、そして、この街を……」
 雨紋は唐栖に言い聞かせるように話しかけた。それは同時に自分自身に対しての言葉でもあった。
「他にも──
「…………」
「他にも、唐栖や俺たちのような人間がいるんだろうか。異質な《力》を持った人間が……」
「……さあね……。だが、何が原因か知らねぇが、そういった人間がオレ様たちだけだとは、思わねぇ方がイイだろうな」
 醍醐の疑問に答えながら、雨紋は立ち上がった。
「そうだな……」
「そういうこった。それじゃオレ様も帰るとするかな」
「もう……行っちゃうの?」
「あぁ、唐栖(こいつ)の後始末もつけねぇとならねぇしな」
「そっか……」
 雨紋の台詞に、桜井は寂しそうに呟いた。
「ン? どうしンだよ」
 その様子に気づいて、声をかける。
「だって、ボクたち一緒に力合わせて戦ったのにこのままさよなら、なんてなんか寂しいじゃないか」
「……オレ様もあンたたちも、今回は利害の一致で協力した、ただ……それだけだろう?」
「……そうですね」
「緋勇くん……」
 龍麻の答えに、美里と桜井は批難の目を向けた。
「緋勇クン、それはないだろっ! せっかく……」
「いいってことよ。オレ様のことは気にしないでくれ」
 ふいに鳴き声がして、飛び去ったはずの鴉が一羽、向かってきた。
「きゃあっ」
「何っ!? まだ……」
 身構える五人を無視して、龍麻はその鴉に向けて腕を伸ばす。その腕に、鴉が静かに舞い降りた。
「ひ、緋勇っ!」
 鴉が首を傾げて龍麻を見上げる。それに、龍麻は微笑みを向けた。
「どうした、何を案じている? もう、おまえたちを縛る者は、繋ぎとめる者はいない。おまえたちは自由だ」
 言いながら、龍麻は空いているほうの手で優しくその小さな頭を撫でてやる。その様を五人は恐々と見ていた。
「だがこれからは、人間(ひと)を襲うなよ。さ、行け」
 諭すように言い、そして飛び立てと促す。それに、鴉は名残惜しそうに一声、鳴き声を上げてから飛び立った。
「緋勇、おまえ……」
「……緋勇クンも鴉のこと、分かるの……?」
 龍麻は問いには答えず、ただ鴉の飛び去った方を見つめていた。
 その様子に、答えを返す気はないのだろうと、醍醐は視線を雨紋に向けて話題を元に戻した。
「雨紋、おまえ、これからどうする気だ?」
「そうだな……。これからは、普通に高校生活を送るさ」
「そうか……。それも、一つの選択だな」
「そういうこと」
「《力》を持っているからといって、何かをしなければならないということはありません。責任も義務もない。ヘンに気負うことなどありません」
 視線を雨紋に戻していた龍麻は、先刻の答えは決して雨紋を否定してのことではないのだというように、自分の考えを述べた。
「その《力》をどう使うか、あるいは使わないか、それは個人の判断です。他人が無理強いすることではない。まして戦うなどということは。悪用は、してほしくありませんが……。もっとも、君ならその心配は不要でしょうけれど」
 最後は苦笑を浮かべながら龍麻は雨紋に告げたが、それは実は雨紋に対してというより、今彼の後ろにいる四人に告げたいことだった。とはいえ、彼らはそれをそう受け止めてはくれないだろうが。
「そうだな、その心配は無用だぜ。それじゃ、もう会うコトもないだろうが」
「さようなら……」
「じゃあね……、雨紋クン」
 口々に雨紋に別れを告げて、階段を降りはじめた。
「さてっと、そろそろ俺たちも帰ろうぜ。アン子が首長くして待ってるからな」
「そうね……、いろいろ話すこともあるし」
「いったい、この東京で何が起こりはじめているのか、それを確かめる必要がありそうだ……」
 醍醐の言葉に、龍麻を除く三人は頷きを返した。



『こうして渋谷における連続殺人事件は無事、終結した。
 警察の発表によると、代々木公園からは、数多くの白骨化した死体が発見されたという。
 現在もこの件は連続猟奇殺人事件として捜査が進められているが、
 この事件の真実を知るのは最早カラスのみとなってしまった。
 これからもこのような事件が起こっていくのだろうか、これからも……』





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