正 夢 【1】




 その日、スザクは長い長い夢を見た。
 その夢は成長したスザクが黒い仮面を被り、マントを翻しながら、一人の少年を己の持つ剣で刺し殺したところで終わっていた。
 朝になって目が覚めたスザクは、己の両手を見た。そして自分がまだ子供のままで、その両手も血に塗れてなどいないことに安堵した。
「坊ちゃま、お目覚めですか? そろそろ朝食のお時間ですよ」
 扉の外から、家に仕えている女の一人が部屋の扉をノックしながらそう声をかけてきた。
「今起きたところだ。直ぐに仕度して食堂へいく」
 スザクは慌てたようにベッドサイドに置かれた目覚まし時計を見て、いつもより遅い目覚めだったことに気が付いた。よく見てみれば自分で目覚ましを止めてしまった形跡があった。
「畏まりました」
 スザクの返事を受けて、女は下がっていった。
「チッ。目覚まし止めちまうなんて、久し振りだったな」
 そう呟きながら、スザクは急いで着替え始め、さっさと済ませると食堂に足を運んだ。
 亡き母の教えで、例え多少遅くなろうとも、朝食はしっかり摂りなさいと言われていたのだ。亡くなった母との約束を違えたのは、その母が亡くなった翌日くらいだっただろうか。
 母が亡くなって以後、スザクは枢木家に長く仕えている女の手によって育てられた。しかしあくまで彼女は仕える女であって母親ではなく、主人の息子であるスザクには甘かった。というより叱ることができなかった。スザクがどんな悪戯をしても。そして高名で裕福な旧家の嫡子ということも手伝って、スザクが望んで叶えられないことはほとんどなかった。そんな育ち方をしたせいか、スザクは我儘で乱暴者との周囲の声が絶えない。
 その日の朝食の席、珍しく女から一言注意された。
「お父さまからのお言いつけです。枢木神社の土蔵ですが、今日からブリタニアの子供が二人住むことになるので、決して近付かないように、とのことです」
「ブリキのガキが?」
 行儀悪く、ご飯を頬張りながら、スザクは女に問い返した。
「はい。この点、ご主人様からしっかりと申し付かっておりますので、くれぐれもお忘れのないように。よろしいですね、坊ちゃま」
 少し考えてから、スザクは頷いた。
「分かった」
 そうして味噌汁を口に含みながら、見た夢を思い出していた。
 それはあまりにも鮮明なものだったので、珍しくよく覚えている。
 自分が秘密基地と称して遊び場にしている枢木神社の土蔵に住まうようになった二人のブリタニア人の子供。一人はルルーシュという名の、日本人よりも強い漆黒の髪と、日本人には有り得ない紫電の瞳、そして白過ぎる肌を持ったスザクと同い年の少年と、もう一人はそのルルーシュの妹でナナリーといって、目が見えず、足も動かなくて車椅子に乗っていた。
 そのルルーシュの長じた姿を、目覚める直前、スザクは刺し殺していた。その感触がまだ手に残っているような気がして、スザクはただの夢になんたるザマだというように、思い切り頭を振った。
「坊ちゃま、どうされました? お口に合いませんでしたか?」
 そんなスザクの様子に、女が聞いてきた。
「なんでもない」
 そう一言告げると、スザクは「ごちそうさま」の一言もなく── これはいつものことだが── 椅子から降りて自分の部屋へ戻った。
 部屋に戻ったスザクは、小学校へ行くべくランドセルを手にした。流石に学校をサボるのは厳格な父が煩いので、嫌な夢を見て起きた今日は正直なところ休んでしまいたかったのだが、ふーっと大きく息を吐き出すとランドセルを持って部屋を出、女に見送られながら小学校へと向かった。
 その日一日、スザクは見た夢のことを忘れられず、授業はそっちのけだった。けれどそんなスザクの態度に、地元の名士の息子にこれといった注意をできぬ若い担任は、やはり注意をすることもなく、その日の授業は、スザクにとってはずっとうわの空で終わった。
 終業時間のチャイムが鳴るや、スザクはランドセルを手にして校舎を飛び出した。それでも一旦家に戻ってランドセルを置いていくくらいの余裕はあったが。
 今日、ブリキのガキが二人やってくると言われた。その二人が夢の中に出てきた少年と少女なのか、スザクの興味はそれに尽きた。
 神社に着いて、土蔵の物陰からすでに中にいる二人の子供を見る。その子供二人は、間違いなく夢の中に出てきた少年と少女に違いなかった。声をかけて友達になるべきか、それともブリキのガキなど知らんふりを通すべきか、スザクは悩んで、結局後者を選んだ。
 夢とは違う行動を取ろうとスザクは思った。
 元々ブリキのガキなどスザクにとっては何の意味もない存在だ。そんなブリキのガキと知り合いに、友人になって、もし夢の通りになったとしたら、自分はあの少年を殺すことになる。人殺しになどなりたくない。それなら夢に反した行動を取った方が間違いない。万一同じ事態になったとしても、友人を殺すのと、そうではない奴を殺すのとでは気の持ちようが違う。そう己を納得させて、スザクは二人の姿を物陰から確認しただけで、以後、二人に近付くようなことはしなかった。



 枢木神社にやって来た二人の子供。少年の名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア、少女はその妹でナナリー・ヴィ・ブリタニアといった。
“アリエスの悲劇”と呼ばれる事件で母親のマリアンヌ皇妃を殺されたブリタニアの第11皇子と第6皇女である。母が殺された後、その母は皇帝シャルルの一番の寵妃であったが、庶民出のその母が亡くなり、これといった後見── 唯一の後見貴族であったアッシュフォード家は、マリアンヌを守ることができなかったことを責められ、爵位を剥奪されて没落している── もないルルーシュとナナリーは、皇室では弱者として扱われ、力が全てというシャルルの言葉の元、二人はすでに緊張関係にあり、何時戦争に発展してもおかしくない状態にある日本へ、名目上はあくまで「親善のため」であったが、実質的には人質として送られることになったのである。
 弱者の存在など、ブリタニア側にしてみればさして意味はない。たとえブリタニアが日本に侵攻することになろうと、皇族といえども二人には何の価値もない。むしろブリタニアは行って死んでこいと、そうすればそれが侵攻の口実になるとの思惑から二人を送り出したのである。
 そんなブリタニアの状況を感じ取ってか、それとも単にブリタニアの子供など放っておいてよいとの思惑か、ブリタニアの皇族という立場にありながら、ルルーシュもナナリーもそれに相応しい扱いを受けることなどなく、枢木神社の古い土蔵に、世話役の一人もなく放り込まれ、そのまま放っておかれている。
 そうして送る日々の中、兄であるルルーシュは、ひたすら妹のナナリーに心配をかけまいと、周囲の大人たちからどのような扱いを受けようと、近所の子供たちに“ブリキのガキ”と蔑まれるようにして苛められようと、幸いなことに目の見えない妹には、心配するようなことは何もないと、そう振る舞い続けた。



 そうして熱い夏の最中、それは突然始まった。ブリタニアからの宣戦布告と、それと同時に開始された日本侵攻である。
 空を覆う戦闘機、初めて実戦配備された、かつてルルーシュたちの母、“閃光”と謳われた、ラウンズとして騎士候の位を得ていたマリアンヌが、その開発にパイロットとして関わっていた機動力に勝る二足歩行兵器── KMF。それらの圧倒的な戦力差の前に、日本軍は抵抗も虚しく敗れ続けていた。
 そんな中、スザクは思い悩んでいた。
 かつて見た夢の中で、自分は父のゲンブを殺していた。徹底抗戦を唱える父を殺しさえすれば戦争は終わる、そう考えてのことだった。半ば衝動的なものではあったが。
 けれどその夢の記憶がある今のスザクは違う。
 父を殺しても戦争は終わらない。それは分かっている。ならば自分が父を殺しその手を父の血に汚れさせるようなことはしたくない。その思いだけでスザクは父をその手にかけることなく、戦争の成り行きを見守った。おそらく日本はこのまま敗戦して、ブリタニアの植民地に、エリア11となるのだろうと漠然と思いながら。
 そんな中、枢木神社にいたルルーシュとナナリーだったが、ある夜、ルルーシュはナナリーを背負って秘かに枢木神社を後にしていた。このまま此処にいては自分たちの身が危ういと思ってのことだった。といって何処に行くという当てがあったわけでもなかったが、ただもう此処にはいられないと、その思いゆえの行動だった。
 枢木神社の長い階段を降り切ったところに、黒塗りの自動車と数人の男たちがいた。
 はっとして立ち止まったルルーシュだったが、その男たちの中央に立つ壮年の人物には見覚えがあった。かつて母が関係していたKMFの開発をしていた、そしてその関係でヴィ家にとって唯一の後見だったルーベン・アッシュフォード、その人だった。
「ルーベン」
 ルルーシュから名を呼ばれた男が、ナナリーを背負ったルルーシュに近寄った。
「殿下、ご無事で何よりでございました。一刻も早く此処を離れて安全な場所に参りましょう」
「安全な処? 戦争状態にあるこの国で、その戦争を仕掛けているブリタニア人の僕たちにとって安全な処などあるのか?」
 ルルーシュのその問いにルーベンは頷いた。
「それがあるのでございますよ」
 そう答えたルーベンはルルーシュが背負っていたナナリーを受け取り、ルルーシュを車へと促すと、自分もナナリーを抱えたまま乗り込み、車は夜の闇の中、静かに走り始めた。





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