傷だらけの人生 【1】 




 思えば、本当に幸福だったと言えるのは母が殺される前までの、幼い子供だった頃だけだっただろう。
 時折訪れる父、母の出自の関係から蔑む他皇妃や異母兄弟姉妹、貴族たちも多くいたが、数は少なくとも、そのようなことは気にせず、やはり時々離宮を訪ねてくれる、親しくしてくれる異母兄姉妹たち。母に守られ、可愛い妹と三人、そしてそんな人たちと過ごした日々は、子供だったことから他とはあまり交流も無かったこともあって、幸福だったと思う。
 それが一挙に変わったのは、何よりも母が殺されたこと。
 そのために妹のナナリーは足を撃たれて下半身不随となり、ショックから瞳を閉ざしたまま目が見えなくなってしまった。そんなナナリーを見舞おうともせず、母の遺体も自分の知らぬ間に何処か分からぬ処へ運ばせ、加えて、犯人の捜査も直ぐに打ち切らせてしまった父。
 そんな父に謁見を願い出て、その場で口にされた言葉。
 その「生きていない、死んでいるも同じ」との言葉にどれほどのショックを受けただろう。時折離宮を訪れる父は、優しかった。愛されていると思っていた。そんな父の口から発せられたその言葉。それは僕という存在を、生を否定したものだった。そしてその言葉は、その後ずっと僕の心の中に大きな傷として残っている。
 そして僕とナナリーは国から追い出され、緊張関係にある日本へと送り出された。名目上はどうあれ、実質は人質として、行って死んで来いとばかりに。
 そこで住まいとしてあてがわれたのは古ぼけた土蔵。そして子供二人だけ、しかも相手は、仮にも良好な関係にあるとは言えないといえ皇族だというのに、世話をしてくれる者など一人も無く、全て自分でやらなければならなかった。僕より幼く、ましてや身体障害のあるナナリーが何かをすることなど無理で、だから僕はナナリーのことも守らねばならない立場だった。
 その土蔵に最初に入った時、同年代と思われる子供にいきなり怒鳴りつけられ殴られた。その後、その子供── 枢木スザク── と良好な関係を築けるようになり、暫くすると彼は僕にとって初めてできた大切な友人、幼馴染とも言えるような存在になったが。
 状況は油断ならなかったが、それでもそこで子供三人だけで過ごした時も、以前とは違って何かと不自由はあったが、それでもそれもやはりそれなりに幸福な日々と言えたかもしれない。ただ、外出のたびにブリタニアに対して悪感情を抱く大人たちからのいやがらせや、子供たちからの苛めや暴力に曝されていたが。だが、それを僕は決して口にしたことはない。ナナリーに心配させたくなかったし、スザクにも迷惑をかけたくはなかったからだ。
 しかしその日々はやはり長くは続かなかった。母国ブリタニアは、僕たちの存在を無視して日本に対して突然、宣戦布告、同時に攻撃を加えてきた。そんな中、誰も僕たちの所に迎えにきてくれる者はいなかった。やはり僕たちは棄てられたのだと、その思いを強くするだけだった。
 開戦から僅か一ヵ月ほどで、徹底抗戦を唱えていたスザクの父である枢木首相の死をきっかけとして、日本はブリタニアに敗戦し、その植民地として“エリア11”“イレブン”という名を与えられた。“日本”“日本人”という名は地上から消え失せたのだ。
 そして僕は誓った。「ブリタニアをぶっ壊す」と。それを聞いていたのは、その時、僕の傍にいたスザクだけだったが。
 戦後、かつて母が生きていた頃、その母の後見だったアッシュフォード家の者が僕たちを捜しにきてくれて庇護してくれたのがせめてもの救いだった。それがなかったら、僕たちは戦後の荒れ地となった、敗戦後、エリア11となった日本で、多分、誰に頼ることもできぬまま、みじめに死んでいくしかなかっただろうから。



 アッシュフォード家に庇護され、偽りのIDで、ブリタニアから、正確にはその皇室に見つからないように隠れ住むのは、表には出さなかったが緊張の日々だった。
 アッシュフォード家が決して一枚岩でないのは分かっていた。当主のルーベンとその孫娘のミレイは信用できる。だがそれ以外の者たちは信用できない。特にルーベンの息子夫婦がその代表格だ。彼らの目論見は分かっている。何時か俺たちを皇室に売って、爵位を奪われて没落したアッシュフォード家を立て直すために、復権するために利用したいのだ。
 だからアッシュフォードでの日々は、決して安楽とした日々ではなかった。何時皇室に、皇族や貴族たちに見つかるか、ひいては暗殺者を送ってこられるか、そしてまた、ルーベンが当主としてある間は大丈夫かとも思うが、それでも何時アッシュフォードに裏切られ、売られるか、その緊張感から抜け出せる時など一時として無かった。もちろん表面上はID登録にあるように一般庶民の振りをして、何気ない、何もない、という日々を送り続けてはいたが。そんな俺の内心を、誰も気付いてはいないだろう。すぐ傍にいるナナリーさえも。いや、ナナリーに対してはことさら知られないように注意していたからなおさらだ。ナナリーに心配や苦労はさせたくなかったから。ただ、もしかしたらミレイだけは、うっすらと気付いていたかもしれないと思うが。
 年月は流れ、17歳となったある日のこと。その日も賭けチェスで友人── いや、悪友、と言うべきか── のリヴァルと共に出かけたその帰り道でのことだった。
 その時はまだ分かっていなかったが、テロリストがブリタニアが開発したという毒ガスポッドを盗み出し、ブリタニア軍がそれを追っていたのだ。それに俺たち、つまりはリヴァルの運転する、俺も乗っているバイクが巻き込まれたのだ。
 工事中の道に突っ込んで止まったトラックの様子を見にいった俺は、荷台の中に入り、そこにあるポッドを確認した。どうすべきかと思っていたら、突然トラックが動きだし、また、運転席の方から一人の少女が出てきてKMFで出ていき、そこで漸くこれがテロリストによるものなのだと知った。俺は出ることもできずにそのままそこに留まるしかなかった。
 やがてトラックは再び停車し、そこにやってきて何を確かめることもなく突然躍りかかってきて俺に回し蹴りをくらわしてきた一人のブリタニア軍人。そして俺を責め立てる言葉を投げつける。これ以上殺すなというそいつに対し、殺しているのはそちら、つまりはブリタニアであり、そもそも今回の件にしても、元をただせばブリタニアが開発した毒ガスが発端、それでも何もしていない相手に殺すなと言うのか、言えるのかと怒りが沸いた。
 そんな遣り取りの中、そいつは俺に対する口調を変え、ヘルメットを外した。そこから現れたのは、戦後ほどなくして別れたスザクの成長した姿だった。
 そんな中、突然ポッドが割れ、中から一人の拘束された少女── C.C.── が姿を現した。
 そしてやってきたこのエリアの総督たる第3皇子クロヴィスの親衛隊。彼らに俺を殺すように命令され、それを拒否したために撃たれたスザク。
 トラックの爆発に紛れ、俺は少女を連れてそこを一度は脱したが、やがて見つかり、殺されそうになったところを、その少女に守られて助かった。しかしそれで終わりではない。再び俺に対して向けられる幾つもの銃。こんな処で何もできないままに俺は死ぬのか。あのナナリーを一人残して。そう思った時に突然流れ込んできた声とも言えぬ声。そう、それは直接脳に響いてきたものだった。その時、俺に他の選択肢は無かった。ただ生き延びること。それだけしかなかった。だから生き延びるために、「結ぶぞ、その契約」と応えていた。
 脳裏に浮かんでは消えていく幾多の映像。そして俺は命じていた。俺に銃を向けてくる親衛隊の者たちに対して「おまえたちは死ね」と。
 その言葉に、自分で自分を撃って死んでいく親衛隊の者たち。最初は理解できなかったが、それが俺に与えられた力なのだと分かった後は、シンジュクゲットーの掃討作戦を止めさせるためにG1ベースに入り込み、クロヴィスにそれを実行させると自分の正体を明かし、ある一つのことを確認すると、かつては親しいと言ってもいいだろうほどの付き合いのあった異母兄(あに)クロヴィスを殺した。俺のブリタニアに対する反逆の狼煙として。
 しかしクロヴィスの暗殺容疑者として捕まったと報道されたのは、あの時に死んだとばかり思っていたスザクだった。
 先の件を引き起こしたテロリストグループと接触を図り、俺はスザクを救い出した。仮面を被って素性を隠し、“ゼロ”と名乗って。だが、そうして救い出したスザクは俺の説得を聞き入れず、俺の差し出した手を取ることなくブリタニア軍に戻っていった。
 それから暫くして、どういった経緯でか、スザクは皇族── 副総督となってエリア11にやってきた第3皇女ユーフェミア── の、お願いという名の命令によってアッシュフォード学園に編入してきた。無事に再会できたことそのものは俺にとっては嬉しいことで、だから名誉ブリタニア人ということで苛めを受けているスザクを、俺の幼馴染の友人として生徒会に引っ張り込み、彼が学園で少しでも過ごしやすいようにと心を砕いた。その頃は俺はあいつのついた嘘── 技術部所属になって前線に出ることはない── を信じ疑っていなかったから。
 だが俺は知った。“厳島の奇跡”と呼ばれる藤堂鏡志朗を処刑から救い出す際の作戦で、スザクこそが“ゼロ”たる俺が率いる黒の騎士団の最大の敵である“白兜”のデヴァイサーであると。そしてその彼を、ユーフェミアが己の選任騎士に任命したことを。
 スザクは何も理解していない。あの専制君主国家たるブリタニアで、皇族でも貴族ですらもない、更に言えば絶対的存在である皇帝ではないただの一人の、それも名誉にすぎない人間が、ブリタニアを内側から変えることなど不可能だという極当然のことを。なのにユーフェミアを賛美し、そして警察や軍に入り、中から変えていくべきだと持論を唱える。ユーフェミアの騎士となってからはそれまで以上に。皇族の騎士でありながらその主である皇女の傍を離れて学園に通い続けるという、騎士としてあるまじき行為をしていながら、ルールを守らなければならないと声高に唱え続ける。副総督という地位にある皇女の選任騎士となったスザクが在籍し続けていることで、俺の緊張感はいや増しているというのに。それゆえに、以前はいずれはナナリーの騎士に、とも望んだスザクに対する俺の態度も少しずつではあったが、分かる者── それは本当に極一部に過ぎないが── には分かるほどに変わりつつあったのに、それにも全く気付かずに。
 そして唐突に行われたアッシュフォード学園における、ユーフェミアの“行政特区日本”の設立宣言。
 俺はユーフェミアを憎んだ。ユーフェミアは俺がゼロであると知っている。おそらくそれから考えたことなのではあろうが、それは施しだ。俺はお恵みが欲しいわけではない。ましてや彼女が唱える特区は日本人が真実望んでいるものなどでは決してない。なのにそんな簡単なことにすら気付かず、更にはスザクまでもが“日本”と付けられた名に、深く考えることもせずに彼女に賛同し、あまつさえ、スザクが編入してきたその日に、彼に対して俺は「アッシュフォードに匿われている」と告げていたにもかかわらず、それを忘れたかのように、いや、あいつのことだ、意味を理解していなかったのだろう、特区への参加を促してくる。俺たち兄妹の立場を考えれば、そんなこと、決してできようはずがないのにもかかわらず。
 そうやってブリタニアは俺から全てを奪っていく。俺の立てていた計画をなし崩しにしていく。それによりブリタニアに対する俺の憎しみは尚一層深くなる。
 そしてやって来た式典当日。
 当初はユーフェミアに俺を撃たせて、これは罠だったのだと、そうして特区を潰す計画だったが、ユーフェミアの「ブリタニアの名を棄てた」との言葉に彼女の覚悟の程を知り、彼女の異母兄(あに)たるルルーシュとしてではなく、ゼロとして力を貸すと約束を交わし、けれど俺の油断から、かけるつもりのなかった冗談で口にした言葉が俺の持つ絶対遵守のギアスとして彼女にかかってしまった。必死に抵抗はしていたが、俺のギアスに逆らうことはできず、ユーフェミアは式典の舞台に戻ると日本人の虐殺を始めた。一度ギアスにかかった人間を止める方法を俺は知らない。だから俺はユーフェミアを殺すしかなかった。異母とはいえ、ブリタニアにいた頃には親しくしていた、そして俺の生存を喜んでくれていたユーフェミアを殺したくなどなかった。だがそれしか方法はなかったのだ、彼女の手と命令による日本人に対する虐殺を止めるには。
 それを契機として、日本人のブリタニアに対する一斉蜂起、ブラック・リベリオンが始まる。俺たちはトウキョウ租界に向かって進撃した。
 そして政庁で、俺は総督たる異母姉(あね)の第2皇女コーネリアを負傷させて戦線から離脱させ、問い詰めた。クロヴィスにも聞いていた母の死について。
 ところがそこにアッシュフォード学園で守られていたはずのナナリーが誘拐されたとのC.C.からの言葉に、俺はC.C.に導かれるまま、戦線を離脱し、ナナリーを奪い返すべく神根島へと向かった。
 それを邪魔してくれたのは、俺を追ってきたスザク。誰とも知れぬ子供の言葉だけを信じ、俺の存在を否定し、「君は生きていてはいけない」と俺を撃ち、一部始終を見て聞いていたカレンは俺を見捨てて神根島から去った。むろんブラック・リベリオンは失敗し、多くの者が死に、あるいは捕えられた。
 スザクはユーフェミアの仇をとると言うなら、そこで俺を殺すべきだった。ところが奴のしたことは、俺を皇帝であり、俺の父であるシャルルに売り、己の出世── ラウンズとなること── を望んでそれを願い出、シャルルはそれを叶えた。ラウンズは臣下としては最高の存在。だがそれはあくまで臣下としてであって、皇帝の意に背くことや、奴の望む内側からの変化など為せはしないというのに。
 それから一年程、俺はシャルルのかけた記憶改竄のギアスの下、何も知らずに24時間の監視体制の中に置かれていたが、やがてC.C.をはじめとした黒の騎士団の逃げ延びていた者たちの手によって、バベルタワーで救い出され、C.C.の力で全てを思い出した。それはまた多くの犠牲を払ってのものでもあったが。
 死亡したとブリタニアから公表されていたゼロの復活。
 復活したゼロたる俺がしたことは“合衆国日本”の独立宣言と、捕らわれていた騎士団の団員たちの解放。
 それらを前に、奴が、スザクが動かぬわけがない。スザクは自分自身で確認すべくエリア11へとやってきたばかりか、アッシュフォード学園に復学した。ミレイたちに対してもシャルルの記憶改竄のギアスをかけるという加害者でもありながら、そんなことは知らぬとでも言うように。ユーフェミアの仇たる俺がすることは許せないが、その俺を陥れるためならギアスを利用することに問題はないということか。なんと身勝手なことか。だがスザクはその矛盾にすら気付いていないのだろうことが見てとれる。ミレイたちに対する罪悪感などこれっぽちも見えないからだ。何も考えていないのだろう。あいつにとっての問題は、ユーフェミアを殺した俺が復活したゼロかどうかを確認することのみであって、それ以外に関心はないのだろう。だから皇族に復帰し、エリア11へ総督としてやってくるナナリーを利用した。そう、利用したのだ、俺の記憶がどうなっているかの確認をするためだけに。
 俺は、弟として俺に与えられていた監視役のロロを籠絡したことを手始めに、機密情報局── 機情── を掌握し、すでに行動の自由を得ていた。





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