貴船の鬼神 【5】




“行政特区日本”の式典会場における悲劇から一月余り後、一人の女性が深夜、草木も眠ると言われる丑三つ時、貴船神社に向かっていた。その身なりは、まさに丑の刻参りをする者のものであった。
 基本的に、江戸時代に完成されたとする形をとってはいた。ゆえに、白装束を身にまとい、髪を振り乱し、顔に白粉を塗り、頭に五徳(鉄輪)を被ってそこに三本のロウソクを立て、一本歯の下駄を履き、胸には鏡を吊るし、憎い相手に見立てた藁人形を持っている。もちろん、その藁人形を神社の御神木に打ち込むための五寸釘も忘れてはいない。そして何より肝心とも言える藁人形には、すでに本国に戻っている元第3皇女ユーフェミアと、近々総督から解任されて本国に戻ることが決まったとされている第2皇女コーネリアの写真が入っている。
 そして身なりは、江戸時代以降、一般的に広まったものをまとってはいるが、丑の刻参りの原型の一つとされている「宇治の橋姫」伝説にならい、橋姫のように、妬む相手を取殺すため鬼神となることを願い、その達成の方法として、三十七日間、宇治川にも漬かった。



 彼女の中にある思いはただ一つ、「許さない」、それだけだった。
 彼女はあの日、結婚の約束を交わしたばかりの、つまり婚約者たる男性とともに式典会場にいた。
 彼女もその相手の男性も、共に戦争で身寄りを失っていた。それぞれに友人はいたが、本当に頼り頼られ、そして信頼できるのは互いに相手のみ、といっていい状態だった。
“行政特区日本”が宣言された際、二人とも悩んだ。参加すべきか、それともこのままイレブンとして過ごすか。しかし、ユーフェミアがゼロに参加と協力を申し出たことで、ゼロからの回答はされていなかったが、それでもそれがあったから、最終的に参加することを決めたのだ。
 だのに、ユーフェミアは裏切った。
 呼び出したゼロを騙し討ちにし、日本人に対する虐殺のきっかけを作り出した。それだけだったら、彼女がここまでの行動をとることはなかっただろう。しかし、彼女を守って彼は死んだ。彼女は彼の血に塗れながら、命が失われていく彼の体を抱きしめて泣いた。そんな彼女を、傍にいた男性が、「可愛そうだが、今此処で君まで死ぬようなことになれば、君を庇った彼が悲しむよ」、そう言って、彼から彼女を引き離し、会場の外へと連れ出したのだ。
 それからは、最初の数日は何もする気が起きなかった彼女だったが、やがて少し落ち着いてくると、その事態を招いたユーフェミアと、それ── 行政特区日本── の設立を認めたコーネリアへの恨みしか沸いてこなかった。
 彼女は昔、つまりブリタニアによる侵略を受けるずっと前から、日本の歴史や民俗学に興味を持ち、様々な本を読み漁っていた。いずれ大学は、それを学べるところへ、と決めていた。そんな最中、ブリタニアによる侵略戦争が起きたのだが、幸いなるかな、田舎だったため、大きな被害はなく、彼女の蔵書は多くがそのまま残っていた。
 ブリタニアからの侵略戦争に負け、イレブンと呼ばれるようになってからは、その中で両親を失ったこともあり、生き延びることに必死だった。そしてそんな中で彼と出会い、想いを育みあい、共に生きていこうと、こんな世の中だけど、それでも頑張って生きていこう、そう約束したばかりだった。
 トウキョウでは仮面のテロリスト“ゼロ”が現れ、その存在に希望を見出し、自分たちには何もできなかったが、彼に未来を託しもした。何時か、時間がかかってもいい、日本を取り戻してくれることを願った。
 それなのに、全てを失った。あの愚かな“自愛の皇女”ユーフェミアと、彼女を溺愛しているという、このエリア11となったかつての日本の総督たる、ユーフェミアの実姉であるコーネリアによって。
 それから彼女はしまいこんだままになっていた蔵書を漁り、朧な記憶として残っていた丑の刻参りについて調べた。
 それは、結局は単なる伝承、伝説の類に過ぎず、実際にはありえないことかもしれない。だが、今の彼女にはそれしか頼るものがなかった。できることがなかった。だから馬鹿なことと言われるかもしれないと思いつつも、それに縋った。可能性に賭けたのだ。思いが強ければ、あるいは通じるかもしれないと。
 式典会場にいた多くの者は、シンジュクゲットーに向かったと聞いたが、彼女は、僅かな荷物── その中にはもちろん、苦労して用意した、丑の刻参りに必要な物も入っている── を手に、密かにブリタニアから隠れるようにして、キョウトへ、キフネへと向かった。
 貴船神社に着くと、誰もいないことを幸いに、本殿の中に寝泊りすることにして、到着したその日は、さすがに疲れからすぐに寝た。
 そして日が変わった頃に目覚めると、その時から彼女は始めたのだ、丑の刻参りを。
 もちろん、一番憎いのは自分から全てを奪ったブリタニアという国全てだ。とはいえ、そこに対してまでどうにかできるとはさすがに思わない。だから、彼女にとって大切な彼を、そして望みを託していた、希望としていたゼロを── 幸い命は助かったようだが── 殺そうとしたユーフェミアと、その姉である総督のコーネリアに狙いを絞った。二人一緒に、というのも無理があるかもしれない、直接の原因を生み出したユーフェミア一人に絞ったほうがいいかもしれない、とも思ったが、それでは思いが収まらず、無理を承知で、彼女は二人共に、その対象としたのだ。
 そして最後の七日目の参詣が終わった時、彼女の形相は、正に鬼と呼んでもいいだろうものに変わっていた。そう、少なくとも、彼女の外見は彼女が望んだように“鬼”と化していたのだ。
 なすべきことを終えた彼女の心に浮かんだのは、願いは叶うだろうか、というものだった。
 あの皇女たち二人は、彼女が願ったように、死を与えられるだろうか。地獄へ落ちるだろうか。
 そしてまた思う。
 彼は、生き延びた自分がゼロの元に行くことを望むかもしれない。そこでゼロの指導の下、新しい日本を創るために生きることを望んでくれるかもしれない。あるいは、自分でなくてもいい、誰かを見つけて、こんなブリタニアの支配を、差別を受ける中でも、小さくてもいいから幸せを見つけて生きて欲しいと願ってくれているかもしれないと。
 そう思いながら、ああ、まだ自分の中には、こんな風に考える、人間(ひと)としての心が残っていたのだな、と思った。だがそれがゆえに、効果の程は分からないが、丑の刻参りを無事に果たすことができたのだろうとも。
 そして考える。今からでもゼロの元へ行くことはできるだろうかと。だが彼女は即座に否定した。こんな、とても人間とはいえない有様になった自分が、鬼となった自分が、ゼロの元へ行くことなどできはしないと。



 やがて彼女は山を下り、夜半、ブリタニアの基地を目指した。
「ば、化け物だーっ!!」
 入り口に立っていた衛兵は、彼女の姿を見てそう叫んで中へと走りこんでいった。
 そうして誰にも邪魔されることなく基地の中に入っていった彼女だったが、やがて彼女は出てきた兵士たちに取り囲まれた。彼女の形相に、有り様に、兵士たちは恐れおののく者が多かったが、それでも、軍人らしく彼女に向けて銃を発した者もいた。外した物もあれば当たった物もある。しかし、当たったことによって血を流しはしたが、なんでもないとでも言うように、ひるむことも、体勢を崩すこともなく、彼女は自分を撃った兵士に向かっていった。そしてその兵士の頭を掴みあげると、腕の力だけで胴体からその頭を切り離した。それを見ていた他の兵士たちは、一目散に逃げ出した。彼女はその後を追って奥へと進む。
 この時、正に彼女は鬼神と化した。ブリタニアを恨む、一人の鬼神が誕生したのだ。



 それから程なく、ニュースにもならなかったため誰も知ることはなかったが、獄にあったユーフェミアがもだえ苦しむように胸をかきむしるような様で息絶えているのが看守によって発見された。
 一方、コーネリアは派遣された戦場で深手を追い、手当ての甲斐もなく、程なく死亡した。
 彼女のなした丑の時参りは、本当にそれが原因なのかは不明だが、成就したと言っていいのだろう。
 そして鬼神と化した彼女は、今宵もブリタニアの基地を襲い続け、ブリタニアの兵士たちの中に噂となって広まり、恐れられる存在となった。
 何時か、そうして鬼神と化した彼女が人間の姿に戻り、穏やかな死を迎えることができる日は、果たしてくるのことがあるのだろうか。

── The End




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