Normalcy Bias 【4】




「ユーフェミアお異母姉(ねえ)さま、どうしてあんなことを……。私、言ったんです、お兄様さえいてくだされば、それだけでいいって……。なのに……」
 全身を、そして声も震わせながらそう告げるナナリーに対して、ルルーシュはただその名を呼び、手を握り締めてやることしかできなかった。思うことはあれど、掛けてやる言葉が出てこなかった。
「ナナリー……」
 ゼロとしてのルルーシュは、シンジュクゲットーを中心に、独立を宣言するつもりで予定を立てていた。それを今のユーフェミアの発言で先を越され、計画を潰された形だ。ましてや、今の内容を聞くだけで、ユーフェミアの言う“行政特区日本”が如何に愚策であるか分かってしまったから余計だ。第一、ユーフェミアはあくまで副総督であり、エリアにおける政策は、総督であるコーネリアの名で行われるべきものである。つまり、ユーフェミアが自分の名で宣言したこと自体が間違いであるし、それ以前に、コーネリアはブリタニア人と人と、名誉も含めてナンバーズをきっちりと区別する。そんなコーネリアがユーフェミアの宣言した“行政特区日本”などという政策を認めたり進めたりするはずがないのだ。もし認めるとしたら、それは実妹であるユーフェミアを溺愛するがゆえに、全国生放送で中継されてしまった事から、皇族が一度宣言した内容を否定することはできないと、最低限度のレベルで認めるだけだろう。決してユーフェミアが真に望むような形にはなりえないだろうことは明らかだ。それでも、成立してしまえば、黒の騎士団はその存在意義を失うことになる。そうして悪意などはないだろうが、ユーフェミアは、ブリタニアはルルーシュからまた奪っていくのだ。今、ルルーシュの心の中にあるのは、純粋な怒りだった。
 問題はそれだけではない。
 さすがに“行政特区日本”創設が決定された── 結局、ルルーシュが思った通りに、国是に反していると分かっていながら、コーネリアはユーフェミアの顔を立てて認めてしまった── ために、出席率は以前よりも更に減っていたが、スザクがルルーシュとナナリーに特区への参加を促してきたのだ。しかも、参加するのは当然だと言わんばかりに。
 スザクはルルーシュたちの出自、その状況を知っているはずなのに。敗戦時にルルーシュが心の底から叫んだブリタニアへの思いを知っているはずなのに。更に、スザクが学園に編入してきた時、自分たちはアッシュフォードに匿われていると話しているのに。
 結局、スザクは知っているだけで、何も理解していないのだ。だから平然とルルーシュに特区への参加を促してくる。
 そもそも“行政特区日本”とは、日本人、つまりは現イレブンのためのものだ。ユーフェミアはブリタニア人とイレブンが互いに理解しあうための場所と述べているが、現在補償されているブリタニア人の権利が奪われる特区に、一体どんなブリタニア人がそうと分かっていて参加するというのか。
 特区ではイレブンは日本人という名と権利を取り戻す。しかし逆に、ブリタニア人はエリア11で持っていた特権を失う。その結果がどうなるか。ユーフェミアはあまりにも簡単に、甘く考えているのだ。戦前、すでに当時の日本とブリタニア両国の関係は悪化しており、国民感情上もそれは明らかだった。日本に送られたルルーシュは、子供だけではなく、大人からも、単純な苛めだから始まって、酷い時には暴行すらも受けていた。さすがに相手が子供であったことからさしたるものではなかったが。その事から考えれば、権利を取り戻した日本人が、いたとしたら、だが、入ってきたブリタニア人に対して、かつてのルルーシュが受けたような事を行わないとは限らない。そして実際にそれが行われた時、どう処理されるのか。特区内では優遇されるのは日本人としか考えられないし、名は体を表すというように、特区に入る日本人もそう考えるだろう。望んではいなくとも、運営の関係上、ブリタニア人もいるだろうが、圧倒的に日本人の方が多いはずであり、ユーフェミアが述べたような形で設立されるなら、そこにKMFは無く、警備に当たるのがブリタニア人だとしても、それが果たしてどれ程の人数であり、何か起きた時、多数の日本人を押さえ込む事ができるのか。スザクはそれらの事に全く思い至っていないのだろうか。ルルーシュが受けていた状況を知っていながら。
 スザクは言う。「きっとユフィが守ってくれる、大丈夫、心配することなどない。だから特区に参加してくれるよね」と。
 一体何処からそのような言葉が出るのだろうか。日本人が圧倒的多数となるであろう“行政特区日本”では、ブリタニア人は目立つ。特区の外では権利を奪われイレブンと呼ばれ、ブリタニア人から差別的扱いを、弱者として真面な扱いをされてこなかった、むしろ家畜のように被害を受け続けていた、権利を取り戻した日本人が、ブリタニア人に対して何もしないと言い切れるのか。もしそうなったとしても、本当にユーフェミアにそんなブリタニア人を守ることなどできるというのか。それ以前に、ユーフェミアの周囲にいる、おそらくコーネリアの息のかかった者たちが、そのような状況をユーフェミアに知らせるだろうか。多分に彼らは、ユーフェミアと自分たちの身を守ることだけに集中し、自分の意思で特区に入ったブリタニア人を守ることなどしないだろう。自ら日本人のための特区に入ると言うことは、そのブリタニア人は主義者であるのだろうから、守る必要はないと思うのではないか。
 ルルーシュにはそのような状況が容易く思考できる。そう考えるなら、もし自分とナナリーが特区に入ったらどうなるか。答えは簡単だ。多数の日本人の中でブリタニア人の自分たちは目立つ。特に車椅子のナナリーは。待っているのは日本人たちからの苛め、酷ければ暴行だ。特に身体障害を抱えているナナリーなど、格好の相手となるだろう。
 スザクはユーフェミアの騎士であり、自分たちの傍に居続けることなど不可能なことである。周囲の者も許さないだろう。現在の自分たちはあくまで一般のブリタニア人であり、皇族のユーフェミアが気にかけるような存在ではない。逆にユーフェミアが自分たちを特別扱いするようなことになれば、いずれ隠している自分たちの出自がバレるのは目に見えている。
 いずれにせよ、ルルーシュたちの立場からすれば、自分たちが特区に入ることはデメリットしかないのだ。更にゼロとしては言わずもがなだ。ゼロとしては、如何に設立を阻むか、それができなければ、如何にして被害や批難を受けることなく、特区に参加しないで済むかに思考を巡らせているところなのだ。
 だが何度断っても、スザクはルルーシュに参加を促し続ける。生徒会室で、クラブハウスの居住棟内にあるルルーシュの自室で。そしてその時にスザクが口にするのが決まって「ユフィが守ってくれるから大丈夫」なのだ。ユーフェミアが実際にどうやって、参加したルルーシュたちを守るのか、その具体策も何も言うことなく、ただ「大丈夫」だと繰り返し、参加を促す。ルルーシュやナナリーのことだけではない。日本人と、自分の意思で参加するブリタニア人との間に問題が起きた場合の対処法など何一つ示すことなく、ただ「ユフィがいるから大丈夫」としか言わない。いや、言えないのだろう。何も知らないから。知ろうとすらしていないから。
 何度断っても特区への参加を促してくるスザクに対して、ルルーシュは何度怒鳴りつけたくなったかしれない。おまえは自分やユーフェミアの理想だけで、現実を見ることなく、俺たち兄妹の立場や状況のことを何も考えてくれていない、と。おまえにとって俺たちはとうに昔の事でしかないのだろう、俺たちを守ってくれると言った事など、すでに忘れているのだろう、と。だから思いもする。スザクにナナリーの騎士となってくれと言わずに終わってよかったと。
 そしてもう一つ。スザクは学園に編入してきて間もない頃、ナナリーも含めて三人でクラブハウスのテラスでお茶会をしたのだが、スザクは自分は技術部に配属変更になって前線に出ることはない、と告げていた。確かに組織の名称としては技術部とつくが、実際には最前線にいて、ゼロとしてのルルーシュにとっては最悪の敵となっていた。しかしその嘘は、自分たちに心配させないようにとの配慮からだったのだろうと思えるから許せる。だが、それ以外、ルールや、特にユーフェミアが絡むと話は別だ。
 ルルーシュは、スザクは自分で責任を持ちたくないのだと思った。ルールに従って行動している限り、そのことで何か責められることがあったとしても、自分はあくまでルールに従っただけだと、そう言い逃れることができる。
 そしてユーフェミアだが、スザクはまるで女神を崇拝しているかのようだ。スザクはユーフェミアが理想として口にすることを、あるいは自分の考えと何処か通じるものを感じたのかも知れないが、崇高なものと思い、また、ユーフェミアが自分を学園に通学できるようにし、選任騎士として任命してくれたことから、実際には騎士となって以降も本来の騎士のように常にユーフェミアの傍らにあることなく、結果、ユーフェミアはただ理想を口にしているだけで、それを実行する能力など無いこと、皇族として、為政者としての能力など無いこと、それを身に付けるための努力一つすらしていないことに全く気付くことなく、自分に対してしてくれた人ならきっとできるとでも思い込んだのだろう。
 スザク自身は思ってもいないのだろう。いや、気付いてすらいないと言った方が正しいのかもしれない。そしてそういう立場をとりながら、自分の考えは間違っていない、正しいと思い込んでもいる。大いなる矛盾だ。
 正常性バイアスの考え方は確かにスザクの中にあるとルルーシュは思うが、しかし、そこにおける本来の心理としての「自分」は、スザクにとっては常に他のもの、ルールであったり、ユーフェミアであったりで、決して「自分」ではない。これはスザクの、たとえ無意識だとしても、逃げだと、ルルーシュには思えてならない。責任を持つことから逃げているのだと、そうとしか思えないのだ。そう思い至ると、ルルーシュはスザクを切り捨てるべきかと思うのだが、その一方で、初めてできた大切な幼馴染の親友という情が残っており、切り捨てることができずにいる。
 そして後に、ルルーシュはスザクを切り捨てなかったことを後悔することになるのだ。

── The End




【INDEX】 【BACK】