Normalcy Bias 【1】




「正常性バイアス(normalcy bias)」とは、本来、危険に直面していながら、「自分だけは大丈夫だろう」と思い込んで、その脅威をあえて無視する心理のことを言う。
 その意味では、スザクの心理は違う。だが、スザクの考え方、心理には通じるところがあると、ルルーシュには思えてならない。



 名誉ブリタニア人で軍人の枢木スザクが一般の学校である私立のアッシュフォード学園に編入してきたのは、副総督の地位にある第3皇女ユーフェミア・リ・ブリタニアの“お願い”という名の“命令”があったがゆえである。皇族が口にしたことであれば、本人にとってはあくまで“お願い”であったとしても、それを受ける側にしてみれば、“命令”以外のなにものでもなく、つまり断ることなどできない。学園側── 教職員を含めて── としては、受け入れるしかなかったためである。
 しかし、学園側が受け入れたとはいえ、生徒たちはどうかと言えば、それはまた別の話である。特に純血派と言えるような者たちから見れば、受け入れがたい存在であったことに違いない。実際、当初は陰湿な苛めが行われていた。それが止んだのは、生徒会副会長を務め、生徒たちからの信頼も大きく、また、多くの好意を寄せられていたルルーシュの、スザクは自分の幼馴染の大切な親友である、との言葉があったがゆえである。そのために、内心はともかく、生徒たちからのスザクに対する苛めは止んだ。心の底ではどう思っていたのだとしても。
 アッシュフォード学園は基本的に全寮制をとっていることから、在籍する者全てに対し、何れかのクラブに属することを課している。しかし、ルルーシュの言葉によって、それなりに表面上はスザクは学園内に受け入れられた形になりはしたが、それでもさすがに、スザクを受け入れるクラブはない。そこでルルーシュがいる生徒会で受け入れることになった次第だが、問題はそこでのスザクの言動にあった。
 まずなんといっても、いつも同じ事を繰り返し主張し続けることだ。そしてそれに対して、生徒会の他のメンバーが、また始まった、いい加減にしてほしい、というように途中からほぼ聞き流していたりするのだが、そのことに全く気付くことなく、いや、周囲の気配に対して気付けないのかもしれないのだが、ひたすら言い続けるのだ。
「ゼロのやり方は間違ってる。テロなんて、いらぬ犠牲者を出してるだけじゃないか」
 スザクのこの言はある意味正しい。何故ならスザクは名誉であり、ブリタニア軍に属する軍人なのだから。その立場で言えば、正しい発言である。しかし、スザクのその発言は、その意味で行われているものではない。
 ならばどういう意味での発言なのかと言えば、簡単に言うなら、ルールを守らねばならないから、ということである。スザクにとっては経過が大切で、そしてそのためには必ずルールに従わねばならないという思いがある。日本はブリタニアに敗戦し、現在はブリタニアの属領たるエリア11である。となれば、守るべきルールは必然的にブリタニアのものになる。だから総督であった第3皇子クロヴィスの殺害犯として冤罪で引き立てられ、ゼロによって救い出された後も、口にはしなかったが、考えとしては、冤罪を承知で、実際に自分はクロヴィスを殺してなどいない、無実なのだから、しっかり調べてもらえれば自分の無実が証明され釈放されると簡単に考えでもしたのだろう、と軍に戻っていったのだ。実際には、ブリタニア、特に純血派としては総督暗殺がG1ベース内で行われたことから、犯人は軍人、ならば名誉の中から誰か一人、犯人としてあげればいいと考えていたにすぎない。当初からきっちりとした取調べを行うつもりなどなかったのだ。そしてそのために、その出自もあってスザクが選ばれたのであり、スザクが考えているような事はありえないことだったのだ。しかしスザクにはそんな状況を察する事はできない。あくまでルールに従うことを絶対と考えているからだろう。そうしてブリタニアに恭順し、従っているとはいえ、日本を取り戻すという思いをなくしているわけではない。だが、それはあくまでルールに従った上で行わなければならない。ゆえに、ブリタニアの中に入り、力をつけ、内側からブリタニアを変えて、いずれ日本を取り戻す、というものである。だから結果のみを求めてテロ行為を行い、犠牲を出しているゼロの方法は間違っている、ということになるのである。
 しかし、本気でそう思っているなら、ブリタニアという国は随分と甘く見られたものである。いや、それ以前の問題だろう。敗戦後、長じて名誉となり、軍に入隊したスザクは、勉学という点で言えば、日本が敗戦した10歳足らずの時点で終わっている。その後、軍に入ったことにより、必要な研修や訓練は受けているだろうが、それ以外の学習はブリタニア語の習得を別にすれば何も受けていないような状態である。そのことから言えるのは、スザクはブリタニアの政治体制、つまり絶対専制君主制度というものを全く理解していないということだ。
 政治家、それもかつての日本においては名だたる旧家であり、最後の首相であった枢木ゲンブのたった一人の息子でありながら。専制君主制ということは、国家を変えることのできる権利を持っているのは、君主、つまり皇帝のみということであり、その体制下にある以上、それ以外の者がブリタニアという国を変えることなどできはしないのだ。強いて可能だとすれば、せいぜいが周囲にいる者の考え方を幾分変えられる程度のことである。それとて、相手の立場次第で何処まで変わるかも変わる。ブリタニアの弱肉強食の国是は国民に染み込んでいるのだから。それをスザクは全く認識していない。その点に関しては完全に無知なのである。
 一方、きっかけや最終目標はさておき、ゼロとして()ったルルーシュはといえば、結果論である。目的とする結果を出すためにはできる限りの事をする。しかし、だからといってスザクが考えているように、そのための経過について考えていないわけではない。いかに効果的に犠牲を少なく目的を達成させるか、それは指導者としては当然の事として考えなければならないことであるし、また、スザクは思ってもいないようだが、ルルーシュ、いや、ゼロ、というべきか、ルールを全く考慮していないわけでもない。ある意味、特例の連続であって、本来の基本的なルールを破り続け、しかもそれに一切気付かぬままにを当然の事、自分の実力などと恥ずかしげもなく言い切っているスザクに比較すれば、基本的な部分はスザクよりもずっと守っていると言える。ブリタニアの国是は弱肉強食であり、皇帝は、次代の皇帝の座を巡っての兄弟姉妹間の争いも奨励しているくらいであり、強者と弱者をはっきりと区別している。つまり争いを奨励している以上、属国となった地における抵抗を否定はしていないということになる。極端になるかもしれないが、言ってみれば、ただ、それが実際に行われているか、それとも完全にブリタニアによる支配を受け入れて行動しないか、その差だけである。ただ、ブリタニアの支配地となっている以上、抵抗してくるテロリストに対しては、無論それを制圧し、ブリタニアの支配をより完全なものとするために徹底的に押さえ込んではいるが。要するに、エリア11においても、テロ行為を行うこと自体は、法的にはともかく、行動としては完全に否定されてはいないことを意味している。
 かつての単なる名誉ブリタニア人の軍人、二等兵に過ぎなかった時は、スザクは他の同じ名誉からは特にどうとも思われてはいなかった。単に自分たちと同等の存在でしかなかった。しかし、新たにエリア11に副総督としてやってきた第3皇女ユーフェミアの口利きによって、スザク一人だけがアッシュフォード学園に編入し、通学するようになって変わった。特にスザクと同年齢やそれ以下、かつての日本であったなら修学年齢にあたる者たちから、当初は、何時かは自分たちにもそんな機会が訪れる可能性があると、そう思われ、期待されていた。しかし違った。他の者たちは誰一人としてスザクと同様の機会が与えられることはなく、相変わらず銃の所持も許されない歩兵で、ただの捨て駒のままだ。そうなってくると、日を追うごとに、何故あいつだけが、という思いになってくる。
 しかしそんな名誉の軍人たちの声が、部署を異動したスザクの耳に入ることはない。そうして生徒会でのスザクのご高説は、ゼロ批判とルールを守らなければいけないということに加え、自分を学園に入れる手配をしてくれたユーフェミアに対する賞賛が加わる。
 そのスザクのユーフェミアに対する賞賛が増したのは、捕らえられた、かつての戦争時に、唯一ブリタニアに土をつけ、“厳島の奇跡”の二つ名を持つ藤堂鏡志朗に対する処刑執行命令を受け、それを実行した後の事だ。とはいえ、その処刑自体は失敗に終わり、藤堂は部下の四聖剣と、協力依頼を受けたゼロと黒の騎士団の力があって救い出されている。ただその処刑にあたり、名誉であるスザクが現行唯一の第7世代KMFランスロットに騎乗していたことが、コクピット上部を切り取られたことによって公に知られることとなったのだ。そしてTV放映されていた映像を見ていた者たちは、本来は許されていない、名誉がKMFに騎乗していること、更には藤堂に逃げられるのをそのままにしてしまったことで批難をしていたのだが、美術館でマスコミの者たちと共にその放送を見、スザクに対する批難の声を聞いていたユーフェミアは、スザクを自分の騎士になる者だと宣言したのである。
 スザクがKMFに特例的に騎乗することが許されたのは、そのKMFを開発したロイド・アスプルンドの技術により、特殊なものとなり、操縦者を選ぶ物となってしまったことに事の発端があった。開発なったばかり、あるいは途中と言ってもいいかもしれない、最新式の第7世代KMFランスロットのデータを取ること、つまり起動させることを優先したために、そのKMFたるランスロットとの適合率の関係からデヴァイサー── ロイド曰く、パーツ、だが── はブリタニア人からは見つからなかったことから、名誉からも探し、結果としてスザクとなったのだ。ゆえに、それを知ったブリタニアの軍人たちは、心の底での思いはどうあれ、致し方なし、といやいやながらも受け入れざるを得ない状況であった。そこには、ランスロットを開発した特別派遣嚮技術部── 通称“特派”── が、軍に属していることに変わりはないとはいえ、帝国宰相を務める第2皇子シュナイゼルが個人的に創設した組織だという事情も含まれていたが。
 しかし、皇族の、それもリ家の皇女の選任騎士となると話は違う。スザクはテストパイロットということになっているが、デヴァイサーとして特派に所属している。それはつまり、特派を創設したエル家のシュナイゼルの部下ということになる。ところが、スザクを騎士として宣言したのは、エル家とは皇位継承を巡っては政敵となる他家、リ家の皇女である。しかも事前に何の話もないままに、ユーフェミアは唐突にTV中継もされている中で、マスコミを前に告げたのだ。
 主を二人持つことはできない。つまり、スザクは選ばなければならなかったのだ。特派に属している以上、直接断るのは無理であろうから、上司たる── しかもシュナイゼルの友人でもある── ロイドを通して、自分はシュナイゼルの部下であるとして断るか、特派を辞してユーフェミアの騎士となる道を選ぶか。いずれにせよ、まずはロイドに相談すべきであった。ところが、特派のトレーラーに戻ったスザクは、藤堂を処刑すべきところをその執行に失敗して逃げられてしまったことを責められると思っていたところに、その前にユーフェミアが告げた内容を教えられ、満面の笑みを浮かべたのだ。しかも、その中には、特派に所属したまま、更には学園にもそのまま通学を続けてもよい、との言葉まであった。スザクはそれを聞いて、ユーフェミア様は自分の立場、状況を尊重して、その上で自分を騎士にと望んでくださったのだと喜んだ。それはユーフェミアの騎士指名を受け入れるということだ。それも何一つ知らぬまま、気付かぬままにユーフェミアの好意をそのままに受け取って。





【INDEX】 【NEXT】