夢の後先 【2】




 やるべきこと全てを終えてC.C.を伴ってイギリスに戻ったルルーシュを出迎えたのは、閉ざしていた瞳を開いていたナナリーだった。
「お兄さま、私……」
「……シャルルのギアスは解けたのだね、よかった」
 ルルーシュがCの世界で願ったのは、シャルルたちの望みを拒んで明日を迎えることだけではなく、自分たちがCの世界を去った後、叶うならコードとギアスを拒絶すること、更には人々にすでにかけられているギアスを解除してくれというものであった。欲張りすぎたかと思いつつ、Cの世界で成長途中であったアーカーシャの剣が壊れたこと、そしてナナリーの瞳が開いていたことに、ルルーシュは望んだ事の全てが叶えられたことを知った。
「ナナリー、確認したいことがある」
「確認?」
「ああ、そうだ。あの時は、僕もだけど、おまえをブリタニアにおいておくのは危険だと判断したから、ルーベンに手配を頼んでブリタニアを出たけれど、おまえはブリタニアに帰りたいかい?」
 ルルーシュのその問いに、ナナリーは暫し逡巡していたが、はっきりと答えた。
「……はい、帰りたいです。生まれ育った場所ですし、コーネリア異母姉(ねえ)さまやユフィ異母姉さまもいらっしゃいますから、帰ってお会いしたいです」
「そうか、分かった。ではできるだけ早く帰国できるよう、ルーベンに手配してもらうことにしよう」
「はい! ありがとうござます、お兄さま!」
 ナナリーはルルーシュの答えに満面の笑みを浮かべた。そんなナナリーを、ルルーシュはどこか醒めた()で見つめる。もちろん、ナナリーはそれには全く気付いていない。かつて自分の言うことを何も聞かず、ただシュナイゼルの言葉のみを信じて敵対したためだろうか。ルルーシュにとって、確かにナナリーが大切な妹であるということに変わりはないが、それでも、以前のような愛情は持てなくなっていたのだ。
 ルルーシュはルーベン、ミレイと共に空港まではナナリーと同行したが、飛行機に乗ったのは、ナナリーとその護衛役をルーベンから依頼されたボディガード一人のみであった。
 飛行機に乗り込んでからそのことに、兄のルルーシュがいないことに気付いたナナリーは動揺したが、すでに遅く、飛行機は発進態勢に入り、滑走路をゆっくりと進みつつあった。
「ど、どういうこと? お兄さまは……っ!?」
「ルルーシュ様はブリタニアには戻られません」
「な、何故っ!?」
「理由は存じませんが、それがルルーシュ様のご意思です。ですがナナリー様は帰国されることを望まれた。だからルルーシュ様はナナリー様の帰国の手配をされたのです」
「なんで……? お兄さまは、私を……」
 ナナリーの瞳が潤みだす。
 ルルーシュは、実際のところ、ナナリー一人を帰国させることに全く懸念がないわけではなかった。ましてや、ブリタニアにいるルーベンの信頼おける人物からの連絡によれば、シャルルはルルーシュとの謁見の後、他の皇族や貴族たちから質問攻めにされ、しかもそれを無視したことで君主としての信頼を失った。それだけならまだしも、シャルルの知らないことだが、ルルーシュがCの世界で行ったことにより、シャルルはどうしたことか、自分たち兄弟が望み実行してきたことが全て無にきしたこと、更には自分がかけたギアスが全て無効になったこと、しかもアーニャ・アールストレイムの中で精神だけ生きていたマリアンヌの精神が消えたことも分かり、決定打としてはV.V.のコードが失われたこともあって、全てに失望し、帝位を退いて第1皇子であるオデュッセウスを後継者とし、現在ではオデュッセウスがブリタニアの第99代皇帝となっており、シャルルが行っていた侵略戦争は全て停止され、すでに植民地たるエリアとなっていた国々に対しては、状況を見ながらいずれは解放することをオデュッセウスは内外に表明している。とはいえ、ブリタニアの国是であった弱肉強食が完全に消えたわけではない。人々の意識の中に刷り込まれている。そう簡単に消えるものではない。そんな状況のブリタニアにナナリーを帰すことに、不安がないとは言い切れない。()は見えるようになったとはいえ、最大の盾であった母マリアンヌを失い、兄もなく、足は動かず、しかも唯一ヴィ家の後見であったアッシュフォード大公爵家もない。ルーベンとミレイはルルーシュを信じ、ルルーシュのためにそのままイギリスに残った。エヴァンズ夫妻の旧く親しい友人一家として。息子夫婦や他の一族の者たちは皆ブリタニアに残っているが、ルルーシュがシャルルと謁見して立ち去った後、アッシュフォード家は爵位を剥奪され、現在もまだそのままの状態であり、ナナリーの後見とは到底なりえない。つまりナナリーは弱者のままだ。そんな状態で、相変わらず弱肉強食の意識が消えていないところで、果たしてまだ幼いナナリーが一人で無事に過ごすことができるのか。ルルーシュには大いに疑問でならない。それでもナナリーが出した名前、リ家の姉妹は、異母ではあっても、コーネリアがマリアンヌを尊敬していたこともあってか、他の異母兄弟姉妹と違い、確かに自分たち兄妹を大切にしてくれていた。思ってくれていた。それは間違いない。だからルルーシュはそれに賭けたのだ。少なくとも、かつてのようにナナリーを慈しむことのできない、愛することのできなくなっている自分よりはましなのではないかと。
 その一方、ナナリーには彼女の瞳が開いた後、エヴァンズ夫妻を一度として引き合わせたことはない。それどころか、実は正確な場所も正式な名前も教えていなかった。それはルルーシュの自己保身ゆえだ。ナナリーが帰国したいと言い出す可能性を、ルルーシュは早くから考えていた。そしてナナリーとは逆に、偽りの弟でありながら、共に過ごしたのは僅か一年のことでありながら、ルルーシュの本質を理解し、ルルーシュが創り上げた黒の騎士団に裏切られた時、その命を懸けてルルーシュを救い出し、ルルーシュの制止を振り切って己の命を危険に晒す絶対制止のギアスを使い続け、文字通り、己の命と引き換えにルルーシュを救い、ルルーシュの腕の中でその命を散らしたロロ。その時から、たぶん、正確にはルルーシュが気付かなかった、いや、気付かない振りをしていただけで、実際にはとうに認めていたのだろうが、偽者ではなく、たとえ血の繋がりはなくとも、真実の弟となったロロ。もしそのロロもまた現世に存在しているのなら、自分の弟として手元に置き、今度こそ幸せな人生を全うさせてやりたいと、そう思ってやまない。ゆえに、養父母── ナナリーを帰国させた後、正式に養子縁組をしたのだが、ルルーシュの気持ちとしては、本当の両親から与えられたとはいえない愛情を注いでくれる夫妻は、彼にとっては真実の両親と思えるようになっていたし、夫妻もルルーシュを本当の息子のように思い、対してくれている── に、全てではないが、自分の希望を話した。これから対応するのでどうなるか分からないが、一人、弟を迎えてもいいだろうかと。今やルルーシュを本当の息子だと思っているエヴァンズ夫妻は、その息子の初めての我侭に否やはなかった。その子がどんな子か分からずとも、ルルーシュが弟として迎えたいというような子なら、間違いはないだろうと思ったこともある。
 エヴァンズ夫妻の許可を得ることができて、ルルーシュはルーベンが手配した警護を数名、そして何よりもC.C.と共に中華連邦にあるギアス嚮団へと向かった。すでに嚮主たるV.V.がコードの能力を失っている現在、嚮団がどうなっているか、はなはだ不安である。調査し切れなかったこともあるがゆえになおさらだ。つまり、そこにロロがいるかどうか、いや、それ以前に嚮団がまだあるのかすら分からない状態だ。
 到着した嚮団施設内に中に足を踏み入れると、研究員の大人たちは、すでにコードとギアスを封じてから暫く経っているにもかかわらず、嚮主たるV.V.が戻ることのない状態の中、右往左往といった状況であることが簡単に見て取れた。その一方で、実験体となり、その結果としてギアス能力者となっていた子供たちもまた、そのギアスを失ったことで放っておかれているようで、明らかに真面な食事すら与えられることもなく、飢えによって衰弱してきているのがすぐに分かった。もっとも、その様子を見ても、おそらくそのような状態に陥っているだろうとあらかたの推測を立てていたルルーシュはさして驚きはしなかったが。
「何の状況も分からずにいたとはいえ、大の大人が何人も集まりながら、自分たちが実験体として犠牲にしてきた子供たちの面倒を一切みることなく、世話をすることなく、自分たちのことだけ考えて見捨てていたとはな。人間として、それはどうなのだろうなぁ」
 前嚮主であったC.C.からの嫌味を込められたその言葉に、誰一人として何も言い返すことができず、皆、下を俯いたままだ。
 警護の者たちはルルーシュの命に従い、子供たちを嚮団施設の外に停車させていた大型バスに乗り込ませた。中には自分で歩くこともできず、大人である警護の者たちが抱きかかえて運んだ者もいた。
 大人の研究者たちに対しては、C.C.が冷たく、突き放すように告げていた。
「嚮主であったV.V.はもういない。ここに帰ってくることはないだろう。私も嚮主に戻ることはない。おまえたちは、おまえたちが実験体として扱っていた子供たちとは違う。ほとんど嚮団内でしか過ごしていなかったとはいえ、立派な大人だろう。外の世界のこととて、何も知らぬわけではないだろう。これから先は自分自身の責任で生きていけ。私たちは子供たちの面倒はみるが、おまえたちのことまでは責任は持たない。叶うなら責任を取らせたいところなのだからな。ともかく、これからどうするかはおまえたちの自由ということだ」
「「「C.C.様っ!?」」」
 自分たちにも道を示してほしい、導いてほしい、そう願いを込めて彼らはC.C.を呼んだが、C.C.はその声を無視して身を翻すと、ルルーシュと共に外に出た。後には途方にくれた研究員たちが残されたが、C.C.が告げたように、ルルーシュもまた、彼らのことまでどうにかしてやろうという気は全くない。コードとギアスを失わせたのは確かにルルーシュだが、自分に彼らの面倒までみてやる責任はないと思っている。彼らは全て承知のうえでV.V.に従っていたのだから。
 バスに乗り込んだルルーシュは、子供たちを見回した。
「ロロ、ロロはいるか!?」
 年齢的にまだ幼いこともあって、座席に埋もれて前の方にいる一部の子供たちの顔しか確認することができない。ルルーシュももう少し成長した年齢であったならまだどうにかなっただろうが、ルルーシュ自身、まだ10歳ほどでしかないのだから無理な話だ。そしてまた、C.C.はロロのことに関しては、自分は口出しせずにルルーシュに任せておいた方がいいだろうと、あえて何もせずにルルーシュの後ろから様子を見るにとどめていた。
 ルルーシュの声に、奥の方に座っていた子供が一人、立ち上がった。その姿を見て、ルルーシュが慌てたように駆け寄る。
「ロロ!」
「……兄、さん……?」
 名を呼びながら自分に向けて手を伸ばしてくるルルーシュの姿に、一瞬目を見開いた子供は、首を傾げながら、確認するかのように子供はそう呼びかけた。
 その呼びかけに、ルルーシュの動きが止まった。
「……ロロ、おまえ、記憶が……?」
 ルルーシュは、C.C.を別にすれば他に自分のように記憶を持っている者がいるなどとは思っていなかった。それまで誰一人として記憶を持っているような者に会ったことがなかったからだ。自分にとって最も身近な存在であったはずのナナリーにもなかった。だから思ってもみなかったのだ。ロロにも記憶はないと思っていた。それでも、ロロは自分にとっては大切な弟だから、自分と共に生きてほしい、そう思い、それが今回の嚮団に対する── 組織解体というのも、もちろん一番の要因ではあったが── 行動となったのだ。
 ルルーシュはロロの己を呼ぶ声に、思わずその小さな躰を抱き寄せていた。そんなルルーシュの背に、ロロが両腕を回して縋り付く。
「ロロ、ロロ……!」
「兄さん、本当に兄さんなんだね……?」
「ああ、そうだよ、ロロ」
 抱きしめあい、瞳を潤ませている二人に、C.C.が冷静に声をかけた。
「ルルーシュ、感動の再会をしていところ申し訳ないが、そろそろ此処を離れた方がいいと思うのだがな」
「あ、ああ、そうだな」
 C.Cの言葉に、ルルーシュは顔だけを向けながらそう答えて頷いた。
「ロロ、詳しい話は後だ。とにかく今は此処を離れよう、皆一緒に」
「皆も?」
「ああ、そうだ。皆、もうギアスを持ってはいないだろう? だから普通に人々の間で暮らしても問題はない。ただ、そのためには準備も必要だが、そのための用意も整えている。だから何も心配することはないんだ。
 さあ、今はとにかく今は此処を離れよう。僕以外にも、おまえの新しい家族が待っている」
 ルルーシュはロロに席に着くように促し、それを認めると、バスは動き出した。嚮団施設から最も近い── といっても実際にはそうとう離れてはいるのだが── 空港まで行き、そこに待たせていたチャーター便に子供たちを乗り込ませた。向かうのはイギリスだ。
 ルルーシュは夢を見て、確実とまではいかなかったが、それでもそれが単なる夢ではないのだと実感した後、誰にも分からぬように偽名で様々な投資活動を行い、資産を貯めていた。それはブリタニアを離れてイギリスに来てからも続けている。そしてルーベンに頼んで、その資産を元に、ギアス嚮団で実験体とされていた元ギアス保持者である子供たちが実社会に復帰するための施設── 用意をしている段階では本当にギアスを喪失させることができるかどうか不明ではあったが── を創設させていた。ロロは養父母の了承も得ていたことから、予定通りに自分の手元に、つまりは弟としてエヴァンズ伯爵家に引き取り、他の子供たちはその施設に入れて、対応はかねてからの計画通り、ルーベンと話していた通りに彼に任せた。いずれは、記憶の中のように学園経営を、と考えている。
 夢を見て、それがただの夢ではないと理解してから、ルルーシュの意識は変わった。それにより、ブリタニアという国のあり方も変わり、ギアス嚮団も消滅したといっても決して言い過ぎではないだろう。コードもギアスもすでにこの世界にはないのだから。少なくとも、これから先当分の間は。もしそれらが戻ったとしても、再発現したとしても、その頃には、何らかの形で多少の情報が残っている可能性は否定できないが、その実態をきちんと理解している者はいなくなっているだろう。
 だから思う。かつては誰よりも愛しく大切だった妹のナナリーとは離れてしまったが、それ以上に、命を懸けて自分を信じ、慕って、守ってくれた、今は明らかにナナリーよりも大切だと、愛しいと思える弟のロロがいる。そして実の両親であったブリタニア第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアとその第5皇妃マリアンヌよりも、自分たちを実の息子のように慈しんでくれる優しい両親、かつては共犯者であり、常に自分と共にあってくれた、彼女が望んでいた通りコードを失ったC.C.もいる。また、こんな自分に従ってくれるルーベンとミレイも。今の自分にとってはブリタニアとそこに属するものはもう何の関係もない。どうなろうと、自分とは関係ない。今の自分は、イギリス人、エヴァンズ伯爵家の長子なのだから。
 そして今現在、自分の周囲にいるのは皆── もちろん、養父母のエヴァンズ夫妻も含めて── 大切な存在ばかりだ。だから、彼らと共に幸せな日々を、人生を送っていきたい、全うしたいと、切に願ってやまない。

── The End




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