ある朝、神聖ブリタニア帝国第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、一つの長い夢を見て目覚めた。それは単なる夢と片付けるにはあまりにも生々く、また悲惨なものだった。そしてその夢がやはりただの夢ではないのだと、ルルーシュがそう実感するには、そう時を置かなかった。
その日、離宮内にある図書室に篭ったルルーシュは、そこに備えられているパソコンと向き合っていた。その操作はあまりにも素早く、迷いも見えない。とても10歳にもならぬ子供のものとは思えないほどに。
そしてあるものを完成させると、この離宮の主であり、己にとっては母である皇妃マリアンヌにも知られぬように、ヴィ家の後見貴族であるアッシュフォード大公爵家の当主たるルーベンに連絡を入れ、誰にも、母にも内密にとかたく誓わせて面会の約束を取り付けた。
当日、宮殿の外にある、皇族や貴族たちの子弟が多く通う学園の小等部に行くと、ルルーシュは授業を受けることなく、そのまま学園を出て、アッシュフォード家の屋敷へと足を向けた。
ルルーシュを出迎えたルーベンは、二人して応接室に入り、紅茶と茶請けを用意して運んできたメイドに、この後は、くれぐれもいいと言うまで決して誰も入らないようにと、そう言いつけて下がらせ、ルルーシュとルーベンの二人だけの時を持った。
「急に誰にも内密に会ってほしいなどと頼んで済まない。他に話をできる者が見当たらなかったものだから」
ルルーシュのその言い回しは、とても子供のものと思えるものではなく、ルーベンは些か戸惑いの表情を浮かべながら、それでも主家の皇子が相手ということで、それなりの礼をもって対した。
「いいえ、殿下。殿下からのご命令であれば、従うのは当家としては当然のことにございます。お気になさいませんよう。ただ、正直なところ、母君のマリアンヌ様にも内密に、というのが、気になってはおりますが」
ルーベンのそのどこか探りを入れるような言葉に、ルルーシュはうっすらと微笑を浮かべた。
「これから話すこと、とても信じられないと、子供の見たただの夢、幻覚だと思われるかもしれないが……」
その言葉から始まったルルーシュの話は、全てを話し終えるまで、それは長い時間を要した。そしてそれは、途中で休憩を入れて食事を摂りつつ、お茶の時間も過ぎるほどだった。それは単にルルーシュの見た夢の話だけではなく、それに伴い、今後どうするか、つまりルルーシュがどうしたいのか、アッシュフォードに何を望んでいるか、またそれに対するルーベンの回答、あるいは対策── もちろん、そのための考慮の時間も含めてだが── までと、どうしても時間がかかってしまった。それでも、普段通りに小等部の授業を終えて離宮に戻る時間には間に合ったが。ただ、ルルーシュ自身、最終結論、細部まで決めかねている部分もあったことから、最終決定にまでは至らず、また今後の話し合いのために、また別の日の予定を定めて終わったというのが正しいのだが。
そして、気付けば、ルルーシュが夢とは言い切れぬ夢を見てから1年近い月日が経っていた。そして真に実感する。あれは夢ではなかった、どういう経過なのか、原因などは到底理解できなかったが、それでも自分は人生をやり直しているのだと。
そうルルーシュが実感した要因は、夢で見た通りの日に母が暗殺され、妹のナナリーが負傷を負ったことだった。全て夢のままの通りに。
ならば夢に見た通りに行動しても意味はない。むしろ自分たち兄妹の状況を悪化させるだけ。しかしそうと分かっていても、ルルーシュは実父である皇帝に謁見を求めた。
謁見の間に入ったルルーシュは、真っ直ぐに実父である皇帝シャルルを見据えながら、ゆっくりと歩を進め、その少し前で歩みを止め、口を開いた。
「皇帝陛下、母が身罷りました」
「それがどうした。弱者に用はない」
「……陛下におかれては、母を殺した犯人の捜索も、病院で苦しんでいる我が妹ナナリーの見舞いも、してくださることはないのでしょうね」
「何故そのような事をする必要がある。弱者に生きる資格などない。そしてそれはそなたも同じ。そなたは生きてはいない。死んでおる。そなたの全ては儂が与えたもの。そなたのものなど何もない。そなたが自分で生きたことなどない。そのような者の言うことを聞く必要などあるまい」
「クスッ」
表情も変えず、黙ってシャルルの言葉を聞いていたルルーシュは小さく微笑った。
「? 何がおかしい?」
シャルルはもちろん、ルルーシュが笑いをこぼしたことに気付いたその場にいた皇族、主だった貴族や文官、武官のほとんどが疑問を抱き、ざわめいた。
「ずいぶんとおかしなことを仰られますね」
「おかしなこと、だと? どういう意味だ?」
ルルーシュの対応に疑念を抱いたシャルルが問いを繰り返す。その疑念はその場にいた者全てが抱いたものだ。
「だってそうでしょう? あなたが与えた、と仰るが、皇族費の元は国民が納めた税金。あなたは単にそれを各皇族に分けているに過ぎない。それも実際に行っているのは文官である官僚たち、宮内省によるもの。ただそれがあなたの名前によって行われているだけです。つまりあなたから与えられた、あなたのものなどではない。それどころか、あなたが自分のものと思っているもの、私たちに与えていると思っているものも、つまるところは国民の税金であって、あなたから与えられたものなど何も無いということです。ただ一つ、この躰以外には。だから“おかしなこと”と申し上げました。そしてそれは貴族たちも同様ですね。全て自分の領地の民から搾取したものだ。それを、あなたも、他の皇族や貴族たちも、自分のものだと思いこんでいる。そして自分たちは、その出自だけで特別な存在なのだと思い込んでいる。あまりにも愚かだ。自分たちは何もせずにただ搾取しているだけで、生きるために自分で働いて稼ぐなどということはまったく行っていない。国民によって生かされているというのに、そのことに全く気付いていない。これが“おかしなこと”でなかったらなんと表現すればいいんでしょうね?
それでも、まだあなたがこの国の君主として、皇帝として相応しい治世を行っているならまだしも、治世などほとんど他の者に丸投げで、実際に行っているのは、あなたの数少ない仲間たちと計画したあまりにもくだらない、人間としては決して許されないものだ。私は“ラグナレクの接続”など、到底認めることはできません。それは人としては許されざること、他人と意識を共有するなど、ごめんですから。そうなったら、とても人とはいえない存在と成り果てますからね」
「な……何故、そなたがそれを知っている!?」
シャルルの肘掛を握り締める力が強くなり、しかもそれは震えている。立ち上がるのを必死に抑えている感じだ。その様子を見て取ったその場にいる者たちのざわめきは一層大きくなる。
「それをあなたに言う必要を認めません。ただ、私は全てを知っている、そういうことです。
そしてそんなあなたを、私は皇帝とは認めないし、父とも思わない。それはあなたの仲間である母にも言えることですが。ですから、私の皇位継承権は返上します。ナナリーの容態が落ち着いて、動いても問題ない状態になりましたら、この国を出ます。ああ、ナナリーの治療費、入院費ですが、あなたがあなたのものだと思っている、国民の税金で支払っていただく必要はありませんよ。私が自分で支払います。そのくらいの費用は、私自身の力ですでに用意済みですから。
それではこれで失礼させていただきます。もう二度とお目にかかることはないでしょう」
そう言って身を翻したルルーシュだったが、何かを思い出したかのように、顔だけをシャルルに向けた。
「ああ、忘れていました。あなたがたが計画している“ラグナレクの接続”ですが、妨害させていただきます。このブリタニアだけではなく、世界中の人々が不幸になると分かっている計画を実行させるわけにはいきませんから。
では今度こそ失礼を。名ばかりで自分たちのことしか考えていない自分勝手な皇帝陛下」
嘲笑するようにそう告げると、今度こそルルーシュは立ち去った。
暫し呆然としていたシャルルだったが、意識を戻すと慌ててルルーシュを取り押さえようと命令すべく口を開こうとしたが、すでにそこにルルーシュの姿はなく、逆にその場に居合わせた他の皇族や貴族たちから口々に問いかけられた。
「陛下、ルルーシュ殿下の仰られていたことは本当ですか!?」
「“ラグナレクの接続”とは一体どういうものです!?」
「陛下は何をなさろうとしておられるのですか!?」
さすがに皆、皇帝たるシャルルの座する壇上にまで上がっていくことはなかったが、それでも皆が壇上に向かって詰め寄り、口々にシャルルに対して問いを投げかける。一つ一つの質問の内容、誰が何を言っているのか、確認できないほどに。それでも、皆が問いかけている内容はほとんど同様のことであったので、それは理解できてはいたようだが。
皆が壇上まで上がってこないのを幸い、シャルルは脇に控えるナイト・オブ・ワンであるヴァルトシュタインに視線で意を伝えると、それは無事に伝わったらしく、ヴァルトシュタインに守られるようにして、何を答えることもなく下がっていった。
その様に、罵声が浴びせられる。
「お逃げになるのですか!」「何もお答えにならないということはルルーシュ殿下が仰られていたことは真実なのですか!」「あなたは何をしようとなさっているのです!!」「そのようなあなたを皇帝と認めることなどできません!」
それらの声を聞きながら、シャルルの脳裏を占めるのは、何故ルルーシュが自分たちの計画を知っていたのか、それだけであった。そしてヴァルトシュタインに、すぐにルルーシュの身柄、そしてまたナナリーの病院に兵士を派遣して見張るようにと告げた。
ヴァルトシュタインもまたシャルルの同士たる者の一人であれば、その意図を即座に理解して、命令を実行に移したが、時すでに遅かった。
ルルーシュは本殿を下がると、アリエス離宮に戻ることなく、宮殿を後にしてすでにその内にはいなかったし、ナナリーについては、ルルーシュの命を受けたアッシュフォードによって転院した後であり、その転院先は不明だった。誰も、何処に転院するのかも知らされてはいなかったのだ。そして皇子であるルルーシュの命とあれば逆らうこともできず、病院関係者は、ただ、無事にと祈りながら、まだ容態が安定しているとは言い難いナナリーを見送っただけだったのだ。
アッシュフォードは後見していた皇妃マリアンヌを守れなかったとして爵位を剥奪されていたが、幸いかな、ナナリーを転院させる時点ではまだ爵位剥奪の決定は公表されておらず、ヴィ家の後見貴族として、病院の者たちは誰も疑いはしなかった。ただ、皇子ルルーシュの命とはいえ、いまだ重態であるナナリー皇女を、皇族のための施設であるこの病院から転院させるとはどういうことなのかと、皆、疑問を持ってはいたが。
そしてヴァルトシュタインがそれらの報告を受けて考えうる手段を手配し終えた時には、ルルーシュはアッシュフォードの手配により、ナナリーと共にアッシュフォードの所有するプライベートジェットでブリタニアを飛び去った後だった。ちなみに、ルルーシュに同行したのは、医師や看護師を伴ってはいたが、それを別にすればルーベンと、その孫娘のミレイと少数の口の堅いごく警護の者のみである。
空港に提出された書類では行き先は日本となっていたが、それは偽情報であり、実際にルルーシュたちが向かったのは、アッシュフォード家の知人、親しくしている者が多く、それなりの影響力を所持しているEU、その中でもイギリスであった。そしてルルーシュが立てた予定通り、ルーベンの手配もあって、ルルーシュとナナリーはイギリス貴族で、子供を亡くしたばかりの夫妻の養子となった。ルーベンも別の姓を入手し、アッシュフォードという家名は、少なくとも表向きには── ブリタニア本国に残った何も知らされていない者以外── 消え去り、これにより、ブリタニアはルルーシュたちの後を追う術を失った。
そうして少なくとも暫くの間は、ブリタニアからの追っ手の心配をせずにすむ状況を作り出したルルーシュだったが、もう一つの心配事があった。それはシャルルたちが計画している“ラグナレクの接続”である。それだけはなんとしても防がねばならないとの思いが強い。
しかし、当初、夢を見たばかりの時点では訳も分かっておらず、ただの夢だと思ったりしたこともあってそれに対する手段を持ってはいなかったが、今は違う。暫くして夢は単なる夢ではなく、事実であり、自分は時を逆行、あるいは、似て非なる別の世界── 並行世界── に転生したのだと実感し、更には母の死とナナリーの負傷によってそれを確かなものなのだと認識した時に、前世といっていいのだろうか、と思いもしたが、そこでC.C.と呼んでいたコード保持者であり、自ら魔女と名乗っていた女性との契約により手に入れていた“絶対遵守”のギアスが、今も自分の内に息づいていることを自覚したのだ。ならば手段は一つであり、何よりも確実な方法が自分の中にあるのだと気付くのは早かった。ただ、C.C.のいない状態で、ギアスしかない自分が、そこに、つまりCの世界に接触することが可能なのか、それが不安ではあったが、何もしないでいることはできないと、ナナリーの容態が落ち着くと、今回の騒動がきっかけでブリタニア国内が混乱し、日本に対する開戦が遅れているのを幸い、ルルーシュは義両親となっているエヴァンズ伯爵夫妻にくれぐれもナナリーのことをよろしくと頼むと、ルーベン、そして警護の二人をあわせて四人で日本に渡った。日本に到着すると、あらかじめ予約を入れていた東京のホテルにチェックインし、荷物だけを置いて、即座にチャーターしておいたヘリで神根島へと向かった。
神根島に到着したルルーシュは、さてどうしようかと思いながら── 最悪、今回は様子見だけでもいいと思ってはいた── ルーベンたちと共に洞窟まで進んだ。
洞窟の前まで着くと、その入り口の前に一人の人物がいた。ルルーシュたちの到着を待っていたかのように。
後ろ姿であったために確認はできなかったが、ルルーシュには覚えがあった。己の契約者たるC.C.だ。ストレートのライトグリーンの髪にそう確信し、ルルーシュは、「危険です」と止めるルーベンを振り切って近づいていった。その足音に気付いた人物が振り返る。それは、ルルーシュが思った通り、C.C.だった。
ルルーシュはC.C.の存在に安堵しながらも、同時に不安も感じた。現在のC.C.の立ち位置が分からなかったからだ。自分の契約者、共犯者と言っていいのか、それとも、いまだシャルルたちの仲間なのか。
「……C.C.……」
それゆえに、ルルーシュは戸惑いの表情を浮かべながらその名を呼びかけることしかできなかった。
そんなルルーシュを見て、C.C.は微笑みを浮かべて見せた。
「久しぶり、と言っていいのかな。それとも、初めまして? どちらなのだろうな、ルルーシュ、私の共犯者」
C.C.の最後の一言に、ルルーシュの心配は消し飛んだ。
「久しぶり、だろう、C.C.。俺だけではなく、おまえにも記憶があるのなら。そうではないのか、共犯者の魔女」
そのルルーシュの答えに、C.C.は一瞬目を見開き、それから声をあげて笑った。
「そうだな。しかし、その姿でそういう言い方をされると、いささか笑えるな」
C.C.からすれば当然だろう。ルルーシュの内面、記憶はともかく、外見的にはわずか10歳程の子供のままなのだから。
「仕方ないだろうが」
ルルーシュとしては他に言いようがない。
「そうだな」
「で、おまえはどうして此処に?」
「おまえがかつての、と言っていいのかな、記憶を、そしてギアスを身の内に宿したまま、此処に来るのが分かったのでな。だから待っていたんだが、不要だったか?」
C.C.の答えに、彼女もまた現状の原因をよく理解していないことが分かったが、それに続いた言葉に、ルルーシュは笑みを浮かべた。
「いや、助かった。実際、此処まで来るには来たが、どうやってCの世界に行けるか分からずに、悩んでいたんだ。とりあえず、周囲の現状確認だけでもいいかと半ば諦めに近い心境だった」
そう言いながら、ルルーシュはC.C.に向けて右手を差し出した。その意図を悟ったC.C.もまた笑みを浮かべて同じく右手を差し出し、ルルーシュと握手を交わした。
「ルーベン、すまないが暫く此処で待っていてくれ」
「ですがルルーシュ様……」
心配そうに言葉を発するルーベンに、ルルーシュとC.C.は互いに言葉を綴った。
「ルーベン、C.C.のことなら何も心配することはない。彼女は私の大切なたった一人の共犯者なのだから」
「それに、この先にはルルーシュ以外の者が行くことはできない。それもコード保持者たる私の案内があってのこと」
「……分かりました。では、此処でお待ちしておりますので、どうぞお気をつけて」
「すまないが、頼む」
ルーベンが頷いたのを確認すると、一言そう告げて、ルルーシュはC.C.と共に洞窟の中にへと消えた。
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