昔、小さな山里に住む一人の娘が恋をしました。
相手は里の者ではなく、さらに奥の山から来たという若者でした。
名はもちろん、素性の何一つ知れぬ者でした。
けれど初めて出会ったその時に、娘は一目で恋に落ちたのです。
恋をするのに時間など関係ないのです。
何もいらない、ただ、想いのみ。
互いのみがそこにあるのです、それが恋というもの── 。
けれど娘の両親が疑います、心配します。
娘の恋した相手は一体誰なのだろう?
娘は何も言いません。
娘とて何も知らないのですから。
『騙されていたらどうするの』、親はそう言います。
娘は答えます。
『私はただあの方に恋をしているだけ。あの方が何者であろうと、関係ありません』
そうして母親は何も言えなくなるのです。
ある時、若者が娘に打ち明けます。
『娘よ、愛しい娘よ、私は人間ではない。
この身は、龍。
娘よ、それでも私を愛せるか?』
娘は驚いて、けれど静かに微笑んで応えます。
『愛するお方、それが一体何でしょう。
たとえあなたが何者であろうとも、私の気持ちに変わりはありません。
誰でもない、あなただからこそ、私は恋したのですから。
心から、お慕いしております』
そうして、龍の化身である若者と人間の娘とは、契りを交わしたのです。
けれど、幸せはいつまでも続きません。
娘の両親が気付くのです。
娘の恋した相手が人間ではないことに。
『娘よ、やはりおまえは騙されていたのだ。
あの男は人間ではない。恐ろしい龍だよ』
『知っています。
けれど、それが何でしょう。
私はあの方を愛しているのです』
『なんてこと!?』
そうして娘の親は、娘を遠い国へとやってしまうことを考えました。
娘を龍などに渡してなろうものか。
娘は遠い海を渡った外国へと連れて行かれることになりました。
『愛するお方、どうして止めてくださいません。
どうしてお傍においてくださいません。
あなたが仰るなら、たとえ両親を捨てても御身の許へ参りますものを……』
『娘よ、愛する娘よ、我が身は龍、そなたは人間。
所詮、共に生きることは叶わぬ身。
そなたを愛しているよ、誰よりも。
だからこそ、娘よ、そなたは人間として幸せになるがよい』
『あなたのお傍にいてこその私の幸せですのに……』
泣いて、引き裂かれて、娘は海を渡ります。
『娘よ、愛しているよ、いつまでも、この生命ある限り── 』
龍は知らなかったのです。
娘の両親も知りませんでした。
娘自身、そのことに気付いたのは、海を渡り、異郷の着いてからのことでした。
娘の胎内には、新しい命が宿っていたのです。
娘は誰にも何も告げませんでした。
親に知られれば、その命は摘み取られてしまうでしょうから。
そして、娘は子を産んだのです、龍と人間との間に出来た命を── 。
年月が、流れます── 。
『おばあちゃまー!』
小さな手を振りながら、幼い声が今は老いた娘を呼びます。
娘の産んだ子は、人界では長くは生きられませんでした。
今は、その形見の幼な子が腕の中にあるのみです。
いつの日か、愛した龍の許へ還る日を夢見て── 。
── 了
|