「あ、アリオス、オスカーを見なかった?」
 アリオスは階段に脚を掛けたところで、ちょうど上がり際にいたオリヴィエに声を掛けられた。
「オスカー? いや、見なかったが、あいつがどうかしたのか?」
 階段を上りながら、オリヴィエに答える。
「そっか。特にどうってことじゃないんだけど、あいつ、そうとう煮詰まってきてるみたいだから、一緒に呑もうかと思ってさっきから探してるんだけど……」
 どうしようかな、とでもいうように溜息を吐くオリヴィエに、アリオスは彼が口にした一言が気になって問い返した。
「あいつが、煮詰まってる、って?」
 そう聞き返されて、オリヴィエは、しまった、とでもいうように慌てて手で口元を押えた。
「オリヴィエ?」
 訝しげに名を呼ばれて、オリヴィエはあたりをさっと見回し、既に皆、部屋に引き上げたのだろう、誰もいないことを確認してホッと一息ついて、それでも念のためにとでもいうように、アリオスにもっと傍に寄れと手招き、声を潜めた。
「つい口が滑っちゃったけど、あんたなら、大丈夫よね。この旅の間、どうしても四六時中皆一緒に過ごしてるでしょ。加えて最近は、あいつ言うところの精神安定剤代わりの女ともご無沙汰状態で、他の連中にはさすがに気付かせるようなことしてないけど、だいぶストレス溜め込んでるみたいでさ。だから、酒でも呑ませて愚痴聞いてやって、少し憂さ晴らしさせてやろうかと思ったんだけど、肝心の本人が見当たらなくてね。素人娘には絶対に手を出さない奴だから、どこかの女の所に潜り込んでるとも思えないんだけど」
 オリヴィエの綴る言葉に、アリオスは眉を顰めた。
 女を抱けずに欲求不満、ということなら理解できる。だが、オリヴィエの言うのは、それとは異なるように感じられた。
 それに、他の連中とただずっと一緒にいることで彼が煮詰まってきているというのか。一緒にいるということなら、今回の旅に出る以前の、聖地にいた時も同様であろうに── との疑問が、口には出さずとも顔に出ていたのだろう、オリヴィエがそれに答えるように続けた。
「聖地にいる時は、プライベートはしっかりあって、四六時中今みたいに一緒にいたわけじゃないし、あいつは、よく聖地を抜け出して外界に女を抱きに行ったりして気晴らししてたけど、今はそうそうできないからね。あいつは……、私以外は誰も知らないけど、あいつは、ホントは聖地を、そこにいる者も含めて、憎んでるから。守護聖である自分自身も、ね。私のことは、とりあえず友人として認めてくれてて、以前、無理矢理あいつの本音を聞きだしてから、時々一緒に呑んじゃ、あいつの愚痴を聞いてやってたけど、今はそれすらも難しいでしょ。私はね、皇帝も恐ろしい相手だと思うけど、それ以上にあいつが怖いのよ。あいつがぶっ壊れたら、って思うとね」
 それはオリヴィエの本音なのだろう、最後は何かに耐えるように、自分の体に両腕を回して躰が震えるのを抑えるようにして告げた。
 アリオスはオリヴィエの話を聞きながら、暫く前に別の町の酒場で偶然会って、二人で話をした時のことを思い出した。
 あの時のオスカーが、今のオリヴィエの話を裏付けていた。
 あのあとも、オスカーの自分に対する態度は一切それまでと変わることなく、だから忘れていた、いや、忘れた振りをしていたが。
「……どこに行ったのか分からないけど、肝心のあいつがいないんじゃ、一緒に呑むのも無理ね。夜更かしは美容の敵だし、もう寝るわ。ああそうだ、今の話、他の連中にはくれぐれもオフレコでね。私も少しばかり溜め込んじゃってるのかな、つい話し過ぎたわ」
 分かったと、アリオスが頷くのを確認すると、オリヴィエは「おやすみ」と告げて、自分に割り当てられて部屋へ戻っていった。
 オリヴィエが部屋に入るのを見届けながら、アリオスは、夕食のあと、一人で静かに表に出て行くオスカーを見掛けたのを思い出していた。
 今滞在しているここは、大きな湖の近くにある小さな、町というよりも村といった方がいいような本当に小さな町だ。その町外れ、湖のほとりに観光客用に建てられたこのホテルも、観光シーズンを過ぎて閑散とし、自分たちの他に滞在客はいない。どこかへ行こうにも、行くところなどないといったほうが正しい。そんな中を外に出ていったということは、どこかに行ったというより、ただ単に一人になりたくて出ていったのだろうと、そう察せられる。ならば外を探せばどこかにいるだろうと。
 あの夜からこちら、オスカーの変わらぬ態度に、訝しく思いながらもそのままに来てしまったが、話をするなら今夜がいい機会かもしれないと、そう考えて、アリオスは階段を下りるとそのまま表に出た。



 人工的な明かりは、ホテルの窓から漏れてくる幾つかの明かりだけで、他には何もない。
 だが月明かりだけで十分なほどに、明るかった。
 空気の冷たさに一瞬身を震わせて、湖の方に足を進める。そのまま、湖に沿ってあたりを見回しながら歩く。
 そしてさほどいかぬうちに、陸に上げられたボートに腰掛けている人影を見つけた。
 ゆっくりとその人影に近づいていく。
 アリオスの足音に、その人影が振り向いた。
「アリオス」
 名を呼ばれて、アリオスはオスカーの前に立って見下ろした。
 見れば、オスカーの足元には既に空になった酒の瓶が1本と、煙草の吸殻が何本も落ちていた。
「オリヴィエが、探してたぜ」
「オリヴィエが?」
「ああ、あんたが煮詰まってるようだから、一緒に呑もうと思ったんだけど、って言ってな」
 言いながら、アリオスはオスカーの隣に腰を降ろした。
「アリオス?」
 迎えにきたという感じでもないアリオスの様子に、オスカーは動揺した。もちろん、それを顔に出すようなことはしていなかったが。
「聞きたいことが、あってな」
 そう告げて真っ直ぐにオスカーを見つめてくるアリオスと、オスカーの視線が絡む。
「何だ?」
「なぜ、何も言わない。なぜ、他の者に告げない、俺のことを」
 ああ、そのことかと、オスカーは小さく笑うと、手にしていた吸いかけの煙草を最後にもう一度大きく吸って、それから地面に落とすと火を消すために踏み潰した。
「……なぜ、だろうな。守護聖としてではないもう一人の俺が、それを望んでいないから、かな」
 その言葉に、オリヴィエの先刻の台詞を思い出す。
『あいつは、ホントは聖地を、そこにいる者も含めて、憎んでるから』
 そして、以前に彼自身の口から聞いた言葉。
『守護聖としてではなく、ただの一人の人間としての本音を言えば、聖地がどうなろうが女王がどうなろうが、俺の知ったこっちゃない』
「吐き出したいことがあるなら、聞いてやろうか?」
 そう言われて、オスカーは伏せていた顔を上げてアリオスを見つめ返した。どういうつもりだと。
「あんたには、でかい借りがあるからな」
 目を見開いて、それから自嘲気味な笑みを浮かべる。
「別に貸してるつもりはないんだがな。俺がそうしたいからそうしてるだけで」
 そう答えてから、脇に置いてあったまだ中身の残っている酒瓶を取り、そのまま口をつけてあおる。
 その様は、どこか荒んだものを感じさせる。
 本来の彼自身の本音と、守護聖として女王を護り仕えるという建前と、おそらく普段は微妙にバランスをとっているのだろう。そして今、そのバランスが、この旅の中で、守護聖ではない方向に偏り、崩れかけているのかもしれないと、そうアリオスは察した。
「オリヴィエが言ってたが、だいぶキてるみてぇだな」
「……かもな。最近、夢のせいであまり寝てないしな」
「夢?」
 疲れたように呟くオスカーに、思い出す。
 悪夢に魘され続けているのだと言っていたことを。そしてまた、その夢を見たくないから、女のところに潜り込むと言っていたことを。
 それはつまり、言い換えるならば、一人でいるから見たくない夢を見て、魘されて、だから眠れない、ということか。といって、夢を見たくないからというそれだけの理由で、素人の娘を引っ掛けることはさすがにできないでいるのだろう。
 オスカーのいう彼の見る悪夢がどういうものかは分からない。だがそれは、彼が失い、彼一人が取り残されたという故国に由来するものなのだろうことは容易に想像できる。そして彼にとって女と寝るということは、人の温もりを欲してのことなのではないかと。
「なら、一緒に寝てやろうか?」
「えっ?」
 言われた意味が分からなくて、オスカーは疑問の眼差しをアリオスに向けた。
「一人じゃ寝れねぇんだろ? だったら、俺が抱いてやるよ。さすがに抱かれてやる気はねぇんでな」
「アリオス……」
 アリオスは自分の名を呟くオスカーの顎を右手を添えて上げさせると視線を合わせる。
「それとも、男は経験無くてダメ、か?」
 言いながら顔を近づける。
「……経験が、ないわけじゃないが……」
 アリオスは唇を重ねて、オスカーの言葉を遮った。
 目を伏せて、アリオスの口付けを受ける。
 そして唇が離れて目を開けた時、二人はそれまでいた外のボートでなはなく、ホテルの室内、ベッドの上にいた。
 慌てて回りを見回すオスカーに、アリオスは唇の端を上げて小さく笑いながら教えてやった。
「俺の力だ。さすがにあのままあそこでやったら風邪を引くからな」
 言いながらオスカーの服に手を掛ける。
「イヤ、か?」
 抵抗はしないものの、戸惑いの表情を浮かべるオスカーに、確認するようにアリオスは聞いた。
「……分からない……」
 力無く首を横に振って答えるオスカーに、アリオスはよく見せる皮肉気な笑みではなく、優しげな微笑みを見せながら続けた。
「なら、大人しく抱かれてな。夢を見たくねぇんだろ? 見ないで済むようにしてやるよ」
 手際よくオスカーの着衣を剥ぎ取って床に放り投げると、ゆっくりとその躰をベッドに押し倒した。
 そうしてその上に覆い被さると、鎖骨に唇を這わせる。
「んっ」
 小さく漏れた声に、決して嫌がっているわけではないと理解して、アリオスは唇をずらしながら愛撫を続ける。
 未だ戸惑いを残しながらも、オスカーはアリオスの背に己の両腕を回した。
 それに気付いて、アリオスは微笑(わら)った。
「……約束、やぶっちまったな……」
 ふいに呟かれたオスカーのその言葉に、アリオスは顔を上げた。
「約束って?」
「フランツと、約束したんだ。男はフランツだけにしとくって」
「フランツ? ……それが、あんたの昔の男か?」
 アリオスは愛撫の手を止めることなく、オスカーに問いを重ねた。
「そう……。あっ、ん……。最初で、……最後になるはずだった……。フランツに、言われたんだ。女はいくら抱いてもいいけど、男は、あっっ……、俺、だけにしとけよ、って……。ふ、あっ……」
 止まらぬ優しい愛撫の手に喘ぎながら、途切れ途切れに答える。
「どんな、男だったんだ?」
「……んっ……。今のおまえと、同じ。……一人だと夢を見て、眠れ、なくて、あっ……、そ、そんな俺を抱いてくれた。……でもそれ以上に……、フランツがいなかったら、……今の俺は、なかった。俺を引き上げて、それから、いろんなこと、んっ……、教えてくれた。酒の呑み方も、煙草の吸い方も、女の抱き方、遊び方、も……。ああっ!」
 アリオスの手がオスカーの股間に伸びて、勃ちあがりつつあったものを扱き始める。それに、オスカーは声を上げてしなやかな背を反らした。
「自分で聞いといてなんだが、恋愛感情からでないとはいえ、こうして抱き合ってる最中に他の男の話をされるのは、やっぱり厭だな。妬けるぜ」
 男の言葉に、オスカーはふっと笑って、それから髪に手を差し入れた。
「な、まえ……」
「なんだ?」
「名前、教えろよ、……おまえの、本当の名前」
「……教えるまでもなく、とうに知ってるんじゃねぇのか」
 ニッっと笑って、オスカーは否定しない。
「おまえの口から、聞きたい」
 そう言われて、アリオスは顔を上げて、オスカーと視線を合わせた。
「……レヴィアス、だ」
 片方の手でオスカーのモノを扱きつづけながら、もう片方の手をオスカーの頬に添える。
「レヴィアス・ラグナ・アルヴィース」
 告げて、オスカーの唇を塞ぎ、荒々しくそれを貪る。
 目を伏せ、苦しそうに眉を寄せてそれを受けていたオスカーが、やがて唇を解放されて目を開けた時、そこにいたのは、銀髪で、緑の双眸をした良く見知ったアリオスではなく、以前にアリオスに渡した紙に写っていた、黒髪の男だった。緑と、そして金色に輝く二つの異なる色の瞳が真っ直ぐにオスカーを見つめていた。
「……レヴィアス……」
 男の真名を呟いて、オスカーは男の髪を掻き乱しながら抱き寄せる。そうして今度は自分から唇を合わせていった。
 オスカーの先走りの液を指に掬い取ると、それを彼の後ろの秘孔に触れさせる。
 ビクッと震えるオスカーの躰を、自分の体で押さえつけながら、ゆっくりと指を挿入していく。
「うっ……、くっ……」
 辛そうに呻くオスカーを宥めるように、優しく髪を梳き、口付けの雨を降らせる。
 そうしながら、もう一本、指を挿入し、慣らすように蠢かす。
「……レヴィ、アス……、おまえなら……」
「俺なら、なんだ?」
 普段は冷酷にも見える蒼氷の瞳を潤ませながら、オスカーは自分を抱く男を愛しそうに見つめた。決して恋愛感情から今こうして抱き合っているわけではないのに。
「おまえなら、……俺の……、もう一つの望みを、叶えて、くれるか……?」
「もう一つの望み? なんだ、言ってみな」
 アリオスの、否、レヴィアスの問いに、オスカーは答えない、いや、答えられなかった。
 レヴィアスから与えられる刺激に、目を固く瞑り、唇を噛み締めて耐える。
 レヴィアスはオスカーの両脚の間に躰を入れると、オスカーの秘孔に入れていた指を引き抜き、彼の腰を持ち上げると己れのものをそこに触れさせた。
 その感触にオスカーが閉じていた瞳を開けて、これから自分を蹂躙しようとしている男の、欲情に濡れた瞳を見つめる。
「躰の力を抜いてな」
 言って、レヴィアスはオスカーを貫いた。
 久し振りに受け入れる男に、オスカーは声もなく仰け反った。
 馴染むのを待って腰を使い始めたレヴィアスに、オスカーの喘ぐ声が、自分を名を呼ぶ声が心地よく響く。
「……あ……っ、うっ……あ、レ、レヴィア……」
 縋るものを求めるように伸ばされたオスカーの両腕が、レヴィアスを掻き抱く。
「……俺の、望みは……」
「望みは?」
「……っ……、女王の、いない……」
 躰を揺さぶられ、苦痛と、そして僅かに覚え始めた快感から声を上げながら、オスカーは必死に言葉を綴って、自分の望むものを、告げる。
「……聖地の、存在しない、世界……っ! ああっ!!」
 他の者には、決して言えない本音。この男だから、言える言葉。
 オスカーの答えに、レヴィアスは満足そうに笑って、己の下でのたうつオスカーの体を力強く抱き締めた。

── das Ende




【INDEX】