普通の幸福




 ルルーシュ・ランペルージは現在、私立アッシュフォード学園高等部2年に在籍している。生徒会に属し、しかも副会長を務めている。3歳下の弟のロロは中等部だ。
 ルルーシュたち兄弟の通う全寮制の私立アッシュフォード学園を創設したアッシュフォード家は、元は本国において大公爵という、爵位持ちとしては最高の貴族だったが、後見していた皇妃を守りきることができずに殺されてしまったことがきっかけとなって、爵位を剥奪され、その後、皇妃の遺児二人が送り込まれ、後にブリタニアが開戦し、結果、敗戦してブリタニアの植民地となった日本、現在のエリア11に、その遺児のうちの一人、第11皇子ルルーシュが生きている可能性にかけて、戦後ほどなくしてやってきたのだ。
 もう一人の遺児である第6皇女ナナリーは、戦後程なく軍に保護され、本国の宮殿に戻っているが、母である皇妃が殺された際、現場に居合わせ、その時に脚を撃たれて両足は麻痺し、車椅子がなくては動くことも叶わない。それだけならまだしも、ショックから精神的なものと医師の診断が下されているが、瞳を閉ざしてしまった。その瞳は、7年程経った今もなお、開かれる気配はない。加えて、皇妃亡き今、後見を勤めていたアッシュフォードにとっては、ナナリーよりも皇子であるルルーシュの存在の方が大きく、大切だった。そしてまた、ナナリーに関していえば、アッシュフォードには最早何の関係もない。なぜなら、既に貴族ではなくなったアッシュフォード家が皇族たるナナリー皇女の後見をすることなど不可能であるし、それならば、ナナリーが軍に保護される直前まで兄ルルーシュと共にいたという情報を得たアッシュフォード家の当主ルーベンは一縷の望みを懸け、ルルーシュ皇子の生存を信じ、祈り願って、エリア11にやってきたのだ。日本に送られた頃のルルーシュは、まだ幼いながらも優秀さを垣間見せていた。ブリタニアの皇族の中でも上位になるだろう程に。だからナナリーが言った、兄はブリタニアに戻るつもりはないと言っていたけれど、自分は帰りたいと言ったのだということから、ルルーシュはわざとナナリーが軍に保護されるようにした後、一人そのままエリア11に残ったのではないかと、そしてルルーシュならば、無事に生き延びているのではないかと思ったのだ。ならば守りきることのできなかった皇妃の分も、まだ幼いルルーシュを庇護したいと考え、エリア11に来て以降、ルーベンは人を使ってルルーシュを探したが、一向に見つからなかった。だが、本国にはもういられないとも思っていたルーベンは、仮にルルーシュが死亡してしまっていたとしても、それならそれで、彼の眠るこの地で、と思い、引き続きルルーシュを探させる一方で、エリア11で生きていく── ルルーシュを庇護できた場合のことも考えて── ために学園を創設したのだ。そこには、学園としてアッシュフォードの名がエリア11内に広まれば、もしルルーシュが生きていたら訪ねてきてくれるかもしれない、といった望みもあった。
 しかしいまだルルーシュは見つからず、また彼が訪ねてくることもない。ルルーシュは本当に死んでしまったのか、それとも、もはや関わることすら避けているのか、ルーベンは判断しかねていた。生きていることを祈ってはいたが。



 実をいえば、ルルーシュとロロは本当の兄弟ではない。それは、両親が再婚で互いに子連れだった、などというようなことではない。
 ランペルージ家が本国を出てエリア11に移ってきたのは、戦後程なく、トウキョウ租界が成立して程ない頃だったのだが、漸くエリア11での生活に慣れてきた頃、ロロができたばかりの友人たちと遊びに出かけた時、子供の好奇心から、租界とイレブンの住むゲットー近くまで出てしまったのだが、そこで傷を負って意識を失っている、自分たちより少しばかり年上と思われる子供を見つけたのだ。どうしようと相談する中、ロロは、生まれて程なく亡くなった兄がいたという話を両親から聞かされていたこともあってか、自分が両親に相談すると、友人たちにその子を見ていてくれと告げて急ぎ足で自宅に戻った。まだ日中といっていい時間だったこともあって、父親は勤め先からまだ戻っておらず、母親しかいなかったが、状況を説明した。そして母親は、ともかくもロロに案内されるまま、その子のいる場所に向かったのだ。
 当初、その子を見た母親は、漆黒の髪の色からイレブンなのではないか、とも思ったが、近寄ってよく見ると、肌の白さから、イレブンではなくブリタニア人だと判断し、更に躰のそちこちに傷を負っているらしいことが見て取れた。特に頭部の負傷は大きいようで、顔には、既に固まって止まってはいるようだが、明らかに血が流れたあとがある。慌てて傍によって抱き寄せても、その子の意識が戻ることはなく、どこの子かは分からずとも、このままにしておくことはできないと、周囲で様子を見守っていたロロの友人の子供たちに帰るように促すと、ロロを伴って、その子を抱き上げ、慌てて病院に向かった。
 母親は、子供を医師に診てもらっている間に警察に連絡も入れたが、その子に該当すると思われる子供に関すると思える情報は入っていないとのことであった。
 傷は、やはり頭部のものが一番酷かった。そして負傷だけではなく、酷く痩せこけていた。この子の両親は、親族は一体どうしているのだろうという思いが母親の頭をよぎったが、意識が戻らなかったこともあり、その日は病院に任せてロロと共に自宅に戻った。
 翌日の午後、ロロは母親と共に病院に出かけた。自分が見つけた子供がどうなったのか、気になってならなかったし、母親は母親で、子供を持つ親の一人として放っておくことはできなかった。
 病院につくと、母親やロロを待合室に一人で待たせ、医師の話を聞くために呼ばれるままに診察室に入った。そこで聞かされたのは、思いもかけぬないようだった。
 医師が言うには、彼は朝方に意識を戻したが、自分自身に関する記憶を全て失っていたというのだ。おそらく頭部に受けた傷が原因だろうと。ただ、普通に生活を送るために必要と思われる知識はあるようで、察するに、あまりよい扱いを受けてこなかったか、あるいは酷い目にあったことがあり、傷を負ったことをきっかけに忘れてしまったのだろうと、医師は告げた。自分のことだけ全て忘れるだなんて、まだ10歳くらいだと思われるが、一体どんなことを経験をしてきたのだろうと、母親は、しかとは分からぬまでも気の毒に思えてならず、悲しくなった。そこには、殆ど何もしてやれないままに亡くした子供の影響も、多少はあったかもしれない。
 記憶喪失── いつ、どのようにしたらその失った記憶が戻るのか、全く分からないという。世界でも最先端の医療技術を持つブリタニアであったが、さすがに傷の治療はできても、記憶を取り戻す手段はないとのことだった。そしてまた、警察からの報告では、ロロたちが彼を見つけた場所から考えて、イレブンに暴行をうけたのだろうことだけで、それ以外、その子供自身に関しては何の情報もないと。身元を証明するようなものは何も持っていなかったのだ。
 そんなまだ幼いといって差し支えない子供をどうすべきか、病院としても考えあぐねているとのことだった。それに対し、母親は、とりあえずは栄養状態がよくなさそうなことから、その改善と、負傷の手当てを医師に頼んだ。その後どうするか、夫とも相談しなければならないが、せめてその結論が出るまでの間は、治療費などの責任は持つから病院で預かって治療を続けてほしいと。そして医師はその願いを受け入れた。ある意味、病院側にとっても、最終的にどうなるかはともかく、当面の間については、病院側にとっても幸いな申し出だったのだ。
 意識を取り戻したばかりの時は、記憶がないことに取り乱していたが、今は落ち着いていると聞かされて、母親はロロをともなって病室に向かった。とりあえず、小さくはあったが、病院側は空きの関係もあって個室を用意してくれていた。記憶を失っているという状態を考えれば、それは幸いだと母親は思ったし、それは病院側も同様だった。
 ロロは、人懐こそうに、見様によっては懐かしそうに、そして何よりも嬉しそうに、ベッドの背もたれを少し上げて半身を起こしていた子供に近づいていった。
「お兄ちゃん! 気が付いたんだね。良かった!! 昨日、お兄ちゃんを見つけたの、僕なんだよ!」
「……君、は……?」
「え?」
 ロロの立て続けに発せられる言葉に、些か面食らっていた様子の子供は引き気味であったが、かろうじて、自分にとっては初対面になるロロに対して名前を尋ねた。しかしロロにはそれが分からなかった。それを見て子供の問いかけを判断した母親は、ロロに声をかける。
「ロロ、お兄ちゃんはね、おまえの名前を聞いているの。自己紹介なさい。できるでしょう?」
 母親の言葉に一瞬きょとんとした後、ロロは「あ」と一声上げてから、改めてベッドにいる子供を真っ直ぐに見つめた。
「はじめまして、お兄ちゃん。僕、ロロっていいます。もうすぐ7歳になります」
「……ぼ、僕は……」
 自分もロロのように名前を名乗ろうとして、しかし思い出せない名前に、それ以上の言葉を告げることができず、俯いてしまった。そんな子に、母親が優しく声をかける。
「坊や、気にすることはないわ。坊やの記憶がないこと、名前も思い出せないこと、医師(せんせい)から聞いているから。今は、医師にお願いしてきたから、怪我を治すことだけを考えなさい。そのうちに記憶も戻って、名前も思い出せるかもしれないわ」
 母親の言葉に子供は顔を上げたが、その瞳は不安そうに揺れていた。
「……でも、思い出せなかったら……、そしたら僕は……」
「おばさんね、生きていたらちょうど坊やと同じくらいの、このロロのお兄ちゃんがいたの。ロロの父親とも話をしないとどうなるかはっきりとは言えないけど、おばさんね、その死んでしまった子のかわりに神様が君を私たちに与えてくれたような感じがしてるの。会ったばかりなのに、おかしいわね。信じられないかもしれないけど、ロロや医師の話を聞いて、こうして初めて坊やとあって、そうとしか思えなくなっているの。だから、もし病院を退院できるようになっても何も思い出せなかったら、その時は、おばさんがどうにかしてあげたいと思うのよ。信じてもらえるかどうか分からないけど、本当にそう思ってるわ。
 それにね、どちらかというと人見知り気味のロロが、初対面と言っていい坊やにこんなに懐いているとしか思えない態度をとっているんですもの。私の思いはあながち間違いではないような気がするの。だから、とにかく今は何も心配しないで、余計なことは考えないで、治すことだけを考えなさい。無理に思い出そうとしなくていいから」
 優しく頭を撫でながら母親がそう告げると、子供は幾分安心したように、そしてまた嬉しそうに目を細めた。
「でも、とりあえず君を呼ぶのに名前が必要ね」頭を撫でていた手を頬に滑らせながら、考えるように母親は言葉にした。「……そうね、ルルーシュ、というのはどうかしら? ロロの亡くなった、私の最初の子供の名前なのよ。その子が生きていたら、君と年齢もほぼ同じようだし。どうかしら? 気に入らないようなら、別の名前を考えるけど」
「……ルルー、シュ……? ……それで、いい、です……。なんだか、懐かしいような気がするし……」
 小首を傾げて、母親に告げられた名を呟いて、それから頷いて応えた。
 その様子に、母親も嬉しそうに微笑んだ。
「気に入ってくれたようね。じゃあ、君は今からルルーシュ、ね。ルルーシュという名前はね、亡くなられたマリアンヌ皇妃様の皇子殿下のお名前なのよ。私たち夫婦は、特に軍人の夫はマリアンヌ様の大ファンで、とても尊敬していた方だったの。それで、恐れ多いと思いながらも、マリアンヌ様が皇子殿下につけられたのと同じ名前を、偶然でしょうけど、同じ日に生まれた息子に、これも何かの縁だ、っていって、そのお名前をいただいてつけたの。もしかしたら、あなたのご両親も、私たちと同じように考えてその名前を君につけていたのかもしれないわね。髪の色もだけど、瞳の色も殿下と同じだし。だから懐かしい気がするのかもしれないわね。聞いた話だと、他にもそういう風に、マリアンヌ様はとても人気のあった方だったから、同じように、子供にルルーシュとつけた人がけっこういたって聞いた覚えがあるわ。
 マリアンヌ様が亡くなられた後、ルルーシュ殿下は妹君のナナリー皇女殿下と一緒に、戦前のこのエリア11、当時はまだ日本という国名だったけれど、親善留学生として皇帝陛下のご命令で来られて、でも、お二人がいる最中に戦争が始まってしまって、戦後程なく、妹君のナナリー皇女殿下は軍に保護されたのだけど、兄君のルルーシュ殿下はどうしても見つからなくて、亡くなられたものと思われて、皇籍では鬼籍に入っていらっしゃるわ。あ、鬼籍っていうのは、亡くなられた方の名前がそこに記されている、っていうこと。亡くなった私の息子の分も、そしてルルーシュ殿下の分も、君に生きてほしいと思うわ。だから、その意味も含めて、君はルルーシュ、ね?」
 母親の言葉に、皇子殿下と同じ名前だなんて本当にいいのかな、と思いつつも、嬉しそうに話すその母親の様に、子供もまた微笑んだ。
「母さんばっかりお兄ちゃんと話をしてずるいよ!」
 母親と、母親がルルーシュと名づけたばかりの子供の間に、ロロが割って入ってきて、思わず二人は笑ってしまった。
 子供── ルルーシュ── の左腕には、栄養補給のためだろう、点滴の針が刺さっているし、頭はもちろん、躰の数箇所に包帯が巻かれている。ルルーシュに覆いかぶさるようにしたロロに、母親は、怪我をしているんだから、負担をかけるような真似をしてはダメよ、と注意しながら、頭の片隅では、このまま彼の身元が分からず、親族が出てこなかったら、なんとしても夫を説得して、息子として引き取りたいと早くも思い始めている母親だった。
 そして退院の日に至るも、母親がルルーシュと名づけた子供の身元は分からぬまま、警察もお手上げの様子であり、必死に夫を説得した母親は、ルルーシュを自分の息子、ロロの兄として引き取り、養子とするための手続きをとってから、病院に迎えに行った。もちろん、ロロも、そして今回は夫も一緒だった。
「話には聞かされいていたが、マリアンヌ様によく似ているな、君は。うん、妻の選択に感謝するよ、確かにルルーシュという名前にふさわしい。そんな君が今日から私たち夫婦の息子になるのは、とても嬉しいことだ。だから、フルネームはルルーシュ・ランペルージだよ。誕生日は、何も言わずに決めてしまって悪かったが、同じ年頃だったから、亡くなった息子と同じ日ということで登録させてもらった。つまり、ルルーシュ殿下とも同じ日だということだな。
 本来の自分のことが分からないというのは、君にとってはとても不安かもしれないけれど、少なくとも、思い出すまでは、私たち夫婦の子供で、ロロのお兄ちゃんだ。心から歓迎するよ」
 そう言って父親はルルーシュを抱き上げた。その足元にはロロが嬉しそうに笑みを浮かべながら纏わり着いている。
「良かったわね、ルルーシュ君。いい家族ができて」
 そんな家族の様子を見ながら、見送りに出てきていた看護師の一人が、父親に抱き上げられたルルーシュに笑いかけた。それにルルーシュも嬉しそうに頷いている。その傍らでは、母親が担当医から、「栄養状態も改善されましたし、負傷も完治しましたが、記憶喪失という問題がありますから、何かあったらいつでも連れていらしてください」と告げていた。そしてそれに対して母親は、「分かりました」と、そしてまた、「お世話になりました。何かありましたら、その時は必ずつれてきますからよろしくお願いします」と応じていた。
 そうして記憶をなくした子供は、ルルーシュと名づけられて、ランペルージ家に迎えられ、優しい両親と、弟という家族を得た。血の繋がりはなくとも、ランペルージ家は、皆、ルルーシュを実の息子のように迎え入れ、扱った。ただし、同じ名前をつけたとはいえ、決して亡くした長男の身代わりとしてではなく、あくまで別人だと理解した上で。それからルルーシュの新しい生活が始まった。



 ルルーシュ・ランペルージとなった子供は、実はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア本人である。
 戦後、ルルーシュはブリタニアに帰国する意思は全くなかった。妹のナナリーも同じだとばかり思っていたのだが、確認してみれば、帰国したいという。それは、ルルーシュが父であるブリタニア皇帝シャルルから投げつけられた、「死んでいる」「生きていない」という言葉を知らなかったからだろう。また、皇室にいる間、自分たちが他の者たちからどう思われていたかも、まだ幼い故に、どのような形であれ、彼らとの交流も殆どなく離宮にいることが多く、外に出たことがあまりなかったことから、知らないのかもしれない。そして、自分たちがどうして日本に送られたのか、その本当の理由も。親善などではない、人質で、それも日本で殺されること、死ぬことを期待されて送られたのだということを。だからナナリーは母国であるブリタニアへの帰国を望んだ。止めようとも思ったが、誰の手を借りることもできない子供の身では何をどうすることもできず、結果、ルルーシュはナナリーの意思を尊重して帰国できるように取り計らった、あくまで自分はエリアとなった日本に残ることにして。そう、その時に、ルルーシュはある意味、妹のナナリーを見捨てた、切り捨てたのだ。
 母亡き今、誰よりも愛する、身体障害を抱えている大切な妹を。しかし、他に選択肢がなかったのだ。ナナリーの意思を尊重してやることが、ルルーシュにとって最後の妹に対するせめてものことだった。それがナナリーと最後に過ごす瞬間であり、また、この先のナナリーについては、身体障害を抱え、皇妃という最強の楯であったであろう母を亡くし、加えて、かつて母の後見であったアッシュフォード大公爵家が貴族でなくなった今、おそらくナナリーについてくれる後見貴族もいないだろうことを考えれば、弱肉強食を国是とし、皇族間、兄弟姉妹間であっても皇位継承を巡っての争いが奨励されている現在のブリタニア、更にはその頂点たる皇室にあっては、弱者として── それでなくても母である皇妃マリアンヌが、庶民出の軍人上がり故に、臣下としては最高位のラウンズとなり、騎士侯にまでなったとはいえ、庶民腹と、ずっと他の皇族や、貴族たちからすらも陰口を叩かれ、蔑まれていたのだから── 扱われるであろうことを考えれば、死んでこいと送り出されながら生きて戻るという状態でもあり、どれほどの苦労、苦難が待ち構えていることか、ルルーシュには分かりきったことであった。ことによっては、また政治の道具として、今回のように他国に人質として送り出される可能性も多分にある。しかしそうと分かっていても、自分ですら、誰の庇護もない、まだ子供でしかないことから、このエリアで野垂れ死にする可能性が高いことを思えば、無理矢理ナナリーを引き止めることもできず、結果として、母国へと送り出したのだ。
 そして日本に残ったルルーシュは、トウキョウ租界が建設されていくのを見ながら、ゲットーと呼ばれるようになった、イレブン── 元の日本人── の住む場所の一つ、であるシンジュク・ゲットー、その中でも外れに小さな空き家を見つけて入り込み、そこに住み着いた。しかし、僅か10歳の子供が一人で生きていく術などない。イレブンに自分の存在を、少なくとも自分がブリタニア人であることを知られぬように、ひっそりと生きていた。夜になると少し歩くことになるが、元は公園だったらしい所に行って、そこで木の実や草など、食べられるものを見つけたり、苦労したが川で小さな魚を捕まえたりなどして、どうにか生き延びていた。また、自分の出自と生存を決して知られぬように、ブリタニア人の近く、租界にも決して近づかないようにして。ルルーシュは、ただ、生きていた、ブリタニアの名を捨て、ただのルルーシュという名の子供として。
 けれどある日、曇りで薄暗いという天候の関係もあり、いつもより早めに出たのが悪かったのだろう。イレブンの子供たちと遭遇し、彼らにとっては見知らぬ子供だったからだろう、取り囲まれた。それでも最初は、漆黒の髪故に同じイレブンと思われたようだったが、薄汚れてはいても、明らかに彼らとは違う白い肌、そして見られてしまった瞳の色故に、ブリタニア人と知られ、そのためだけに寄ってたかって暴行を受けた。相手は子供故に力加減というものを知らず、思い切り殴られ続けた。やがて本当に暗くなってきて子供たちは帰って行ったが、ルルーシュは半ば意識朦朧としながらも、そして自分がどこへ向かっているのかも分からぬままによたよたと歩き続け、そして意識を失って倒れた。そして意識が戻らぬままに夜が過ぎ、翌日、ロロたちよって見つけられたのだ。
 それらの経緯があって、ランペルージ夫妻の養子となり、ロロという弟を得、理由の如何はともかくも、本来の名前と同じ名── ルルーシュ── を付けられ、一向に記憶が戻らぬまま、エリアに移り住んできた、ただの一般のブリタニア人の子供の一人として過ごすことになった。
 ロロは、既に小学生として学校に通っていたが、ルルーシュは記憶のこともあり、暫くは様子見と、現在の生活に慣れることが何よりと、数年は学校に行くこともせずに── 父親が購入してきた教科書で勉強はしていたが── 自宅で過ごし、やがてロロが通っているのと同じアッシュフォード学園の中等部に入学した。アッシュフォード学園は基本は全寮制であるが、ロロの小等部では、強制ではなく、自宅通学も認められていた。しかし中等部はそうとはいかず、寮に入ることになり、ルルーシュ・ランペルージとなってからは、初めて家族から離れて一人で過ごすことになった。ロロは大好きなお兄ちゃんとなっていたルルーシュと離れるのを泣いて嫌がったが、両親としては、小等部の間は自宅から、との思いもあり、ルルーシュは、ロロに週末は必ず帰ってくるから、とそう言って学園の寮に入った。入学にあたり、ランペルージ夫妻は、学園側にルルーシュが実は自分たちの子供ではなく、記憶喪失になっていたのを引き取ったこと、記憶はいまだ一向に戻る気配がないこと、そして何よりも、幾度と警察に尋ねても、ルルーシュに該当すると思われる子供の捜索願いや情報は何一つなかったことを告げた。そしてロロが見つけた時の状態から、ルルーシュには親族や頼れる大人は存在しないのだろうと思い、自分たちの養子として引き取ったのだと。それは、少なくともルルーシュには過去の記憶がないことを、学園側に認識してもらっておく必要があると考えたからだった。ただし、そのことによる配慮はしてもらう必要がある時以外は特別扱いはしてほしくないこと、そしてまた、他の生徒、つまり子供たちには知らせてほしくないとも伝えたのだった。
 マリアンヌ皇妃は、皇族の中では、民衆からの人気が最も高かった。その一番の要因は同じ庶民出で、そこから皇妃にまでまでなった、ということもあっただろうが、軍人としての功績も高く、軍部からの人気も高かった。何せ、研究が始まったばかりの人型歩行兵器KMFの開発に協力したパイロットとしても優秀で、“閃光のマリアンヌ”との異名を付けられるほどに、その能力はとにかく他から抜きん出ていた。そんなこともあり、アッシュフォード学園の教職員の中にもマリアンヌのファンは結構存在した。ルルーシュが入学したことにより、そのマリアンヌ皇妃によく似た面差しの生徒が入ってきたと、随分と噂になったものだ。
 それだけではない。ブリタニアの第11皇子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアとしての記憶が一切ないルルーシュ・ランペルージには、己の才能を隠す理由が全くない。故に、ルルーシュは入学早々、目一杯に己の才能を惜しむことなく全開で行動した。とはいえ、それは頭脳のみのことであり、体力面では人並みよりも幾分下、という状態だったが。
 そんな次第で、ルルーシュの存在はあっという間に学園、中等部では話題の中心になった。週末になると必ず帰宅し、寮に戻ってくると、ブラコンなのかと思われるほどに弟自慢をされることも理由の一つだったかもしれない。そんなルルーシュの話を聞きつけた、一学年上に在籍している、理事長の孫娘であるミレイ・アッシュフォードが、こっそりとルルーシュのクラスを訪ね、その姿を探した。ミレイの目当てであるルルーシュは直ぐに見つかり、ミレイは息を呑んだ。ミレイはアッシュフォード家がヴィ家の、マリアンヌ皇妃の後見をしていたことから、ルルーシュ皇子とは、アッシュフォード家の当主であり、ミレイにとっては祖父にあたるルーベンに引き合わされて、いわば顔見知りだったのだ。ミレイにとって、ルルーシュは出会った瞬間に一目惚れした、いわば初恋の相手だ。その頃は幼すぎて、初恋という言葉すら知らなかったが、今なら分かっている。あれが自分にとっての初恋だったと。だからルルーシュが妹のナナリーと共に、母であるマリアンヌ皇妃が暗殺された後、日本に送り出されたことを知った時、その日本と開戦となり、ルルーシュが死んだと聞かされた時、どれだけ泣いたことだろう。祖父ルーベンの、もしかしたらエリア11で一人で生きていらっしゃるかもしれない、との僅かな望みの言葉に希望を懸けて共にこのエリア11にやってきたが、結局見つけ出すことはできず、ただ時だけが流れていた。それが、最後に会ってからは数年経っているから多少成長したと思わせるものではあったが、そのルルーシュ皇子に瓜二つの、しかも同じ名の生徒がいたのだ、自分から僅か数メートル先に。
 その場は何をするでもなく、ミレイはルーベンの元へと走り、ルルーシュのことを告げた。直接の接触はしていないが、彼は、あの方はルルーシュ皇子に間違いないと。それを聞いたルーベンは、学園長を呼び出し、ルルーシュ・ランペルージについて問うたが、彼がランペルージ家の養子となる以前については、その経緯と、記憶喪失であることが分かっただけである。結果としては何も分からないのと同じだった。本人に記憶がないのでは、確かめようがない。だがミレイは確信していた。彼は間違いなくルルーシュ皇子に違いないと。伝え聞いた話から、ルルーシュはブリタニアへの記憶を望んではいなかったことを知っている。だから帰国を望んだナナリー皇女だけを帰すようにしたのだろうと思った。だからこそルーベンの言葉を信じてついてきたのだ。そして今、確証はないものの、その本人がいる。
 それからのミレイの行動は早かった。一緒に過ごしていれば、もしかしたらいつかルルーシュの記憶は戻るかもしれない。自分のことを思い出してくれるかもしれないと、今はミレイが生徒会長を務めている生徒会にルルーシュを誘った。私のことを思い出して、と思いながら、ミレイはルルーシュと共に生徒会室で過ごす日々を送った。
 そして数年が経ち、ルルーシュの記憶は相変わらず戻る気配のないままだったが、小等部に通っていたルルーシュの弟であるロロが中等部となり、寮に入ってきた。ルルーシュは既に高等部だったので、寮も校舎も別だったが、昼休みなどはよく二人一緒に過ごしているようだった。その様子を垣間見たミレイは、ロロの面差しに、どこかしらナナリー皇女に似たものを見出していた。ロロへの接し方もお、どこかしら、かつてのナナリー皇女への接し方を思い出させるものがあり、それが尚、ミレイにルルーシュ・ランペルージがルルーシュ・ヴィ・ブリタニアであるとの思いを強くさせた。
 共にある間、ルルーシュはミレイに対してくったくのない笑顔を見せることがよくあった。その笑顔は、彼が皇室にいた時は見ることのできないものだった。なぜなら、同じ皇族でありながら、母親であるマリアンヌ皇妃の出自故に、己の才能を隠してひっそりと過ごされていたから。それを思い出し、ミレイは考えた。この方は、このままルルーシュ・ランペルージとして、ランペルージ家の息子として、皇室とは何の関係もない一人の一般人として生きていかれるほうが幸福なのではないかと。かつてルルーシュが危惧していた通り、一旦帰国したものの、暫くして、また人質として他国へと出されたナナリー皇女のことを思えば気の毒ではあったが、それは二人がそれぞれに選んだ結果で、他人の自分がどうこう言うべきことではない。ましてや今のミレイ、いや、貴族でなくなったアッシュフォード家は、皇室とは何の関係もないのだから。
 ルルーシュの幸福を考えれば、今の状態が一番望ましいのかも知れないと、最近のミレイは思うのだ。無理に記憶を取り戻す必要はないのではないかと。記憶がないという不安感は、それを取り戻さない限りどこまでもつきまとうかもしれないが、ルルーシュ本人のことを思えば、皇族としてではなく、あくまでただの一般の者として、ごく普通の生活、あたりまえの普通の幸福を得るのがいいのではないかと。
 そしてまた、皇族か否かは別しても、ナナリー皇女には本当に申し訳ないと思うが、身体障害を抱えた妹の面倒を見なければならないだろうこと、それに対し、現在、ルルーシュの弟としてあるロロは、血の繋がりがないことはよく知っているにも関わらず、本当の兄に対するように、他人の目から見ても真にルルーシュを慕い、懐いているし、健康体で、勉強だってとてもよく努力し、時には中等部であるにも関わらず、兄たるルルーシュのいる高等部の生徒会室を訪ねてきて、あくまで可能な範囲でではあるが手伝ったりもしてくれている。その状況から、ナナリー皇女と共にある時に味わうことになるだろうルルーシュの苦労── ルルーシュは愛する(ナナリー)のためなら、それを苦労などとは思わないかもしれないが── を考えると、ミレイはどうしたってナナリーよりもロロを、つまりは現状を選んでしまう。
 容貌に優れ、頭もよく、親切で責任感もあるルルーシュに好意を持っている生徒は数多くいるが、彼が一番親しくしているのは、リヴァル・カルデモンドという生徒だ。リヴァルは新聞部で、けれどルルーシュに誘われて生徒かも掛持ちしている。友人となったきっかけは、中等部に入学して程ない頃、あまりにも整ったルルーシュの容貌に周囲の者たちが声をかけかねている中、気兼ねなくリヴァルの方から一番最初に声をかけたことだったらしい。ルルーシュが外出する時、同行するのは弟のロロでなければ、たいていリヴァルだ。それもあって、特にリヴァルがバイクの免許を取って以降は、生徒会で必要な買い物など、殆ど二人に頼んでいる状態だったりする。
 そんなある日、学園に籍を置き、クラスもルルーシュやリヴァルなどと同じカレン・シュタットフェルトが死亡したと家族から連絡があった。元々病弱ということで、特例的に自宅通学で、学園にもめったに来ることのなかったカレンのことをよく知る者は少ない。必然的に本心から悲しむ者も少ない。それでも、同じ学園に籍を置く者としての悲しみは多少はあったが。
 しかし、ミレイはカレンが実は元々の名門ともいえるシュタットフェルト家の令嬢ではなく、当主のシュタットフェルト氏が、このエリアがまだ日本という国であった頃に、不倫をした相手との間に生まれた、いわばハーフであること、本妻との間に子が生まれないことから、日本がエリアとなったことをきっかけに引き取ったのだということを知っていた。だから学園に来ないのは、ブリタニアに対する反感があるからであって、その間何をしているのかまでは知らなかったし、知る必要もないと思っていたのだが、TVニュースを見て驚いた。
 そのニュースというのは、ブリタニアが研究開発していた毒ガスを移送中、それを奪うべくテロリストが活動したこと、そして軍がそのテロリストたちを殲滅したというものだったのだが、そうして画面に表示されたテロリストメンバーの中に、髪型は変わっていたが、カレンの姿があったのだ。そのテロがあった頃、ルルーシュとリヴァルがいつものように外出していたのだが、何事もなかったように無事に戻っていたし、後で聞いた話では、買い物を済ませて学園に戻る途中、軍が出ていたこと、やがて総督のクロヴィス皇子がシンジュク・ゲットー殲滅作戦を指令したという街頭ニュースを見て、二人して何があったのだろうと顔を見合わせていたのだということで、二人が巻き込まれていなかったことに安心したものだ。
 余談だが、そのテロが元でのシンジュク・ゲットー殲滅作戦の際、抵抗するテロリストを処断するためにもちろん軍が出動したわけだが、その中に、新しく開発された第7世代KMFも出るという話が一部であったのだが、その必要はないまま、純血派によって全て完了したということで、その新しいKMFは出ることなく終わったらしい。ちなみにそのKMFを開発した特別派遣嚮導技術部は、現在、正規軍ではその存在すら疎まれて、アッシュフォード学園の大学部の一部にその研究開発のため、そしてまたそのKMFの格納も兼ねているトレーラーがある。さすがに爵位持ちの、しかも帝国宰相を務める第2皇子シュナイゼルの友人が主任を勤めるその技術部の申し出を、今は爵位を持たないアッシュフォードが断るわけにはいかなかったのだ。だから大学部から先には入らない、という条件の下で受け入れたのだが、噂では、たぶんそのKMFが出ることはないのではないかということだった。
 同じ頃、本国の新聞紙面の片隅に、親善留学に出ていた第6皇女のナナリーが、ブリタニアがその国と開戦するに至ったために、暴徒に襲われ、死亡したという記事が掲載された。それは本当に小さなもので、とても皇族に関する記事とは思えない扱いだったが、それはそのまま、皇室でのナナリー皇女の立場、地位、つまり扱いの程度を表していた。本国ですら、新聞を隅から隅まで読むような者でなければ気付かないだろうほどのものだったそうだ。本国の知人からそのことを知らされたルーベンは悲しみ、ミレイに話もしたが、ルーベンはともかく、ミレイはルルーシュさえ無事に幸せな日々を送れているならそれでいいと、関係ないと思った。だいたい、そうなった原因はナナリーが帰国を望んだ結果なのだから。
 そして今のルルーシュは、確かに血の繋がりはなく、記憶も戻らないままだが、ランペルージ夫妻という優しい両親と、ロロという大切な弟がいて、そして友人たちと共にこの学園で楽しいだろう日々を送れているのだから。何よりも、ルルーシュの笑顔がそれを証明している。だからこのままの日々が続けば、それでいい、そうミレイは思う。

── The End




【INDEX】