愛しい弟へ




 神聖ブリタニア帝国第7皇子クレメント・デ・ブリタニアには、少しばかり歳の離れた一人の弟がいる。名前はルルーシュ。体力的には些かならずとも難があるが、年齢的にはずっと利発で、その点では先が楽しみな弟だ。クレメント自身は武人の道を進むことを既に決めている分、ルルーシュには文人として、国の発展のために尽くしてほしいと考えている。
 ところで、クレメントにはそのルルーシュのことについて、誰にも告げず、自分ただ一人の胸の内に納めていることがある。
 ルルーシュが生まれる前の夜、クレメントは不思議な夢を見た。
 父である皇帝シャルルの現在最も寵愛厚いのは、第5皇妃マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアであるが、彼女は元は庶民の出であり、軍人となり、そこで功績をあげ、認められて皇帝の騎士たるラウンズに取り立てられ、結果、一代限りとはいえ、貴族の端につらなる騎士侯となり、遂にはシャルルに見初められ、望まれて皇妃となった女性だ。
 ラウンズ時代には、皇位を巡っての血の紋章事件という、他のラウンズたちの裏切りもある中、現在はワンとなってラウンズを束ねているビスマルク・ヴァルトシュタインと二人だけで最後までシャルルを守りぬいた女傑だ。彼女が皇妃にと望まれたのは、もともとの力量もそうだが、それ以上に、その際に見せた皇帝に対する軍人、いや、ブリタニア最高の騎士たるラウンズとしての忠誠心と、もう一つは、その比類ない美貌にあると言われている。
 夢の中では、そのマリアンヌ皇妃には二人の子供がいた。一人は第11皇子のルルーシュ、もう一人は第6皇女のナナリー。そして自分はデ家の一人息子だった。
 そのマリアンヌ皇妃に懐妊の兆候がない中、自分の母が第11皇子となる男子を出産し、しかも父帝の名の一部を借りたと言って、その日の夜のうちにルルーシュと名づけ、それを宮内省に申告している。
 夢の中ではマリアンヌ皇妃の長子だったルルーシュが、現実には自分の実弟として生まれてきたのだ。そしてそのルルーシュに関して言えば、髪の色から、何がしかの疑問を持つ者もいた。黒髪だったのだ。両親共に黒髪ではない。もちろん自分もだ。そもそもブリタニア人で黒髪というのは、決してないわけではないが珍しい部類に入る。そしてマリアンヌ皇妃は黒髪だ。しかしその件については、母の実家にかつて黒髪の者がいたことを、母について宮中に上がった乳母が思い出し、先祖返りだろうということで落ち着いた。何より、母がルルーシュを出産する場に立ち会ったものは一人や二人ではなく、母が出産したルルーシュをその場で確認している医師がいる。ましてや、皇妃である母が皇帝以外と不貞を働くことなどないことは、そのような浅はかな人間ではないことは誰もが承知していることだ。
 数年後、マリアンヌ皇妃が一人の娘を出産した。第6皇女になる。付けられた名前はナナリー。クレメントが見た夢と同じだ。違うのは、夢の中ではマリアンヌの息子であり、今回生まれたナナリーの兄であったルルーシュが、現実にはクレメントの実弟としてあることだ。しかもそのルルーシュの顔は、まだ幼い故にさほど分からないが、どこかしらマリアンヌ皇妃の面差しに似ているような気がする。そして何よりも、夢の中に出てきたルルーシュ自身にも。まだ幾分舌足らずな声で「兄さま」と呼んで自分を慕い、何かあれば付いてまわってくるルルーシュが、クレメントは愛しかった。夢で見た内容を覚えていることからそれは更に煽られていたかもしれない。
 ふと、クレメントの中に“平行世界”という言葉が浮かんできた。それは過去に読んだSF小説の中に出てきたことだ。科学系か何かの雑誌であったかもしれない。
 世界は一つではなく、似たような、同じような世界が、少しずつ変わった形で、次元を超えていくつも存在している、というようなものだったと思う。そこから、庭の木陰で、時折テラスに置かれた椅子に座って、ミネラルウォーターを飲んでいるクレメントに目を向けてその存在を確認しつつ本を読んでいるルルーシュを、同じように見ながら、クレメントは、もしかしたら自分が見た夢は、そういった別の世界の一つでの出来事だったのではないか、という思いが浮かび上がってくる。
 だとしたら、夢で見たこれからのことを思った時、クレメントは現実のこの世界の今後はどうなっていくのだろうと、不安でならなかった。夢の中では、世界は、特にルルーシュに対しては、とても非常でしかなかったから。
 マリアンヌ皇妃の娘であるナナリーが7歳になるかならぬかの頃にそれは起きた。クレメントが夢で見たと同じように。
“アリエスの悲劇”と同じように呼ばれることとなるだろう、マリアンヌ皇妃の暗殺と、その場に居合わせたナナリーが、脚を撃たれ、また目撃したショックから瞳を閉ざして盲目となり、夢の中のナナリーと全く同じ身体障害を負ったのだ。この事件により、マリアンヌ皇妃の後見をつとめていたアッシュフォード大公爵家は、皇妃を守れなかったことを責められ、その責任として爵位を剥奪され、ナナリーは一通りの治療を終えて容態が安定した頃、アジアの一国であり、現在、サクラダイトという資源を巡ってあまりよい関係状態にあるとは言い切れない日本に人質として送られたのだ。名目上はあくまで“親善のための留学”であったが。夢と違うのは、当然のことだが、この世界では自分の弟であるルルーシュが一緒ではないこと。つまりナナリーは一人だけで送り出されたということだ。
 ナナリーが日本に送り出されてから、一年と経たぬうちに、ブリタニアは日本に宣戦布告し、両国間に戦端が開かれた。クレメントはまだ士官学校に在籍している状態で、その日本との戦争には参戦しなかったが、その戦争の最中、ナナリーは暴徒と化した日本人によって殺されたとの情報が入ってきた。そして戦争は、ブリタニアが開発した人型二足歩行兵器であるKMFを初めて実践投入したことにより、機動力の関係から、僅か1ヶ月あまりで日本の敗戦で終了した。
 戦後、アッシュフォード家の当主であるルーベンは、エリア11となった日本には行かなかった。夢の中では早々に日本に移り住み、学園経営をしていたのだが、この世界ではかわらずに、確かに爵位は剥奪されたが、裕福な一般の一族として本国に屋敷を構えたままだ。つまり、夢の中であったように、実はナナリーは生きていて、アッシュフォードが創設した学園で匿われたりしないということだ。
 夢で見た世界と、この世界とでは、同じ部分もあれば、異なる部分もある。だからこそクレメントは思ってしまう。もしルルーシュが夢の中と同じようにマリアンヌ皇妃の長子として生まれていたら、と。だからこそ、夢の中のように、短い一生を、それも非業な死を遂げたルルーシュを思う時、その代わりとまでは言わないが、この世界では自分の実弟であるルルーシュには幸福な人生を全うしてほしいと、クレメントは切にそう願う。そしてその願いゆえに、クレメントのルルーシュに対する接し方、向ける愛情は深くなるのだ。

── The End




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