花 葬




 紅葉にその連絡が入ったのは、全ての戦いも終わり、3学期も始まって最初の土曜の夕方、久し振りに男子だけで如月の家に集まった時だった。
 どこかで鳴った携帯の呼び出し音に、紅葉が自分の携帯を取り出した。
「はい、壬生ですが」
 真剣な顔で電話を受けている紅葉に、一同は暫し騒ぐのを止めて大人しくしていた。
「分かりました。至急伺います」
 そう言って携帯を切った紅葉に、龍麻は、また鳴滝からの仕事の電話かと思った。それは龍麻だけではなく、その場にいる者の殆どが思ったことだった。
「すみませんが、急用ができたので僕はこれで失礼します」
「いや、構わないよ。もうだいぶ暗くなりはじめている、気を付けて」
 家主である如月が代表するようにして紅葉に告げる。
「お気遣い、ありがとうございます。それでは」
 如月に礼を言い、紅葉はまだ皆の残るその家を後にした。
 龍麻は、いや、龍麻に限らず他の誰も、それが紅葉と会う最後になるとは思ってもいなかった。



 紅葉が駆け付けたのは、母親の入院している病院だった。
 電話の内容は、母親の容体が急変したとの知らせだったのだが、紅葉が病院に着いて、その病室に入った時には既に母の意識は無かった。
 医師たちの姿は病室にはなかった。既にできる限りの対応をした後で、後は母の意識が戻るかどうか、それ次第なのだろう。躰につけられたチューブを通して、機器だけが小さな音を立て、本当に微かで、そしてとても弱くはあったが、まだ生あることを示している。
 病室に着いた紅葉に、看護師がこれまでの状態についての説明だけをして病室を出ていった。何か変化があったら呼んで下さい、と最後に付け加えるように告げて。
「母さん……」
 呼べども既に意識の無い母からの返事はあろうはずもない。
 下がり過ぎた血圧を上げるための点滴だけが、今の母親の命を繋いでいる。
 紅葉には予感があった。これが最期だろうと。思い返せば今までよく()った方だと思う。
 時折り見舞いに訪れる紅葉を儚げな微笑みで迎えてくれた母はもうすぐいなくなる。その予感に、紅葉の頬を一筋の涙が伝った。
 意識の無い母に呼びかけても返事が返ってくることはもう無いのだと知りながらも、紅葉は母を呼び続けた。
「母さん」
 元々病弱だった母の容体が悪化したのは、父の死がきっかけだった。
 父の死を受け止めきれなかった母は、時折窓辺に身を寄せて外を見ては、
「お父さん、帰りが遅いわねぇ。いつになるのかしら」
 などと一人呟いていた。
 そんな状態ながらも穏やかな日々を過ごしていたある日、母が倒れた。
 119番で救急車を呼び、病院に搬送はしてもらったものの、その後どうすればいいのか途方に暮れていた紅葉に手を差し伸べてきたのが、拳武館館長の鳴滝だった。
 鳴滝がどのようにして紅葉を見つけ出したのかは分からない。ただ、将来龍麻の対となるべき存在を捜していた鳴滝が、紅葉を見つけたのだ。
 そして母に対して最高の治療を施してもらう代わりに、紅葉は拳武館の暗殺組に入った。
 しかしその契約ももうじき終わる。
 鳴滝が紅葉を一番必要とした龍麻の対としての役目は果たし終え、母は今にも逝こうとしている。
 紅葉の母が意識の戻らぬまま息を引き取ったのは、翌日、日曜日の未明のことだった。紅葉はあえて延命治療は望まなかった。
 看護師が母の衣装を取り換え、うっすらと死に化粧をしてくれた。
 その様は、ただ眠っているだけにしか見えなかった。
 看護師にこの後のことを聞かれ、葬儀の手配をせねばならないのだと思ったが、とりあえず、紅葉は生前の母が帰りたがっていた自宅へ、一旦戻してやりたい旨を伝えると、看護師は出入りの葬儀社にそう連絡してみると言ってくれた。
 葬儀社の人間は、紅葉の告げた住所へと母の遺体と紅葉自身を運び、さらに母の遺体を母の自室にまで運んでくれた後、連絡先とパンフレットを紅葉に渡して、悔やみの言葉と「よろしく」との営業も忘れずに告げて静かに去っていった。
 母が入院し、紅葉自体は拳武館に入り、拳武館の用意したアパートに入ってからは、自宅は月に1度程度、掃除と空気の入れ替えに訪れるくらいだった。
 振り返ってみれば、まるで今日のことが分かっていたかのように、最後に自宅を訪れたのはつい先週のことだったと思い出す。
 死に化粧を施され、ベッドに永眠している母は年齢よりもずっと若く見えて、まるで眠り姫のようだった。眠り姫と言うのは大げさだが、父の帰りを待って眠りについているだけのように、紅葉には見えた。
 太陽が昇って、街中の店々がその戸を開ける頃、紅葉は外出した。
 出かけた先は花屋だ。そこで抱えきれない程の大量の色とりどりの薔薇の花を買った。
 お届けしましょうか、との店員の言葉に、紅葉は礼を言いながらも断り、購入した花だけを両腕一杯に抱えて母の待つ自宅へと戻る。
 紅葉は買って帰った薔薇の花を、母の眠るベッドの上に舞うように散らした。
 その後、枕辺に椅子を持ってきて座る。
「母さん、家に帰ってきたよ。もうすぐ父さんに会える。それとももう会ってるかな。僕は一緒に行けないけれど、父さんがいるから寂しくはないよね」
 本当ならこの家ごと火葬にしたいところだったが、いくら庭があるとはいっても野中の一軒家ではない。近所の家に迷惑をかけてしまうだろうから、それは諦めた。
 紅葉はコートを脱いでポケットからナイフを取り出すと、首筋に当てた。
「お休み、母さん。それとも、さよなら、かな……」
 紅葉は躊躇いもなく、首筋に当てたナイフを勢いよく滑らせた。
 そのまま母の枕辺に倒れ込む。
 意識の薄れ行く中、ふと龍麻のことが頭を(よぎ)ったが、それも一瞬のことで、母の眠るベッドの上の薔薇の香りに包まれながら意識を失った。



 鳴滝が病院からの連絡を受けて紅葉の自宅を訪れた時、そこに見たのは、むせ返るような薔薇の香りの中、その薔薇に埋もれるようにして永眠している紅葉の母親と、すでに出血多量で息絶えた紅葉の姿だった。

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