Un baiser




 阿笠邸での半ば恒例となりつつあるお茶会。出席者は、快斗がかつてKIDであったことを知る者のみ、その協力者であった者のみによって行われているお茶会。
 その日、どんな流れからそんな話になったのか。
 ことの切欠は、ふとした話題に志保がグリルパルツァーの格言を持ち出したことだろうか。


  手の上なら尊敬のキス。
  額の上なら友情のキス。
  頬の上なら厚情のキス。
  唇の上なら愛情のキス。
  閉じた目の上なら憧憬のキス。
  掌の上なら懇願のキス。
  腕と首なら欲望のキス。
  さてそのほかは、みな狂気の沙汰。


 貴方なら、誰にどこにキスをしてもらいたい?
「そういえば、KIDは女性とみれば誰にでも手の甲にしていた記憶がありますわね」
「たとえどんな年齢の女性であっても、女性である限り尊敬の念を抱くのは当然でしょう?」
 快斗がかつてのKIDのように紅子に答えた。
「では貴方としては、黒羽快斗としては、誰にどんなキスをしてくれるのかしら? 例えば、私や紅子さんなら」
「え?」
 志保のその問いに、快斗は一瞬ぽかんとして、それから考え込むようなふりをした。
「そうだなー、志保さんなら、額か頬、紅子は、うーん、無難な処で手の上?」
「あら、私は唇でも構わなくてよ」
 疑問形で答えた快斗に紅子は艶やかな微笑みを浮かべながら応じた。
「なら白馬君は? やっぱり唇?」
「えっ? そ、それは、その……」
 別にからかうつもりなど毛頭なかったのだが、志保は快斗がどんな態度をとるか、答えをするか興味をもって尋ねてみた。するとやはり二人の関係を知られている相手に対してとはいえ、流石に恥ずかしいのか、快斗は口ごもり頬を赤く染めて、はっきりと答えを出そうとしない。
 そこへ助け船を出すかのように白馬が口を出した。
「僕からなら、志保さんと紅子さんへは手の上、ですね。それ以外には考えられません」
「じゃあ、快斗君には?」
「彼に対してなら、そうですね、腕と首はもちろん、それ以外にも」
「まあ、それでは狂気の沙汰ということですわね」
「否定はしません」
「白馬! 何言ってんだよ、おまえ」
 快斗は顔を真っ赤にして白馬に抗議した。
「僕は正直に答えたまでですよ、黒羽君」
 非難される覚えはないと、白馬は何でもなさそうに応じる。
 そんな様子を見て、ふいに紅子は、なら彼女に対してはどうなのだろうと思って快斗に疑問をぶつけてみた。
「黒羽君、青子さんに対してはどうですの?」
「青子? 青子なら……閉じた目の上、かも」
 考えた後に出た答えは、憧憬のキス。
 それはある意味、当然の答えだったのかもしれない。
 青子は快斗のことはだいたいのことは知っている。けれどKIDのことは殆ど知らない。もちろん快斗がKIDであったことも。そんな中森青子は、快斗にとって、黒羽快斗としての自分しか知らない、知って欲しくない存在なのかもしれない。いわば快斗にとって青子は、快斗が父親がKIDであったことを知り、その後を継いで2代目となったことを知らず、ただの黒羽快斗としてのみの自分を知っている貴重な存在なのだ。何も知らずにいたら、青子の知っているだけの快斗でいられたはず、そんな憧憬があるのかもしれないと、その場の三人は思った。
「それで、紅子さんは実際のところどうなのかしら?」
 ある意味助け船を出すように志保が紅子に尋ねた。
「私? 私が許すのは手の上だけですわ。唯一の例外はKIDだけ。彼に対してなら唇も」
 艶めかしい微笑みを浮かべて、紅子は快斗を見やる。
「駄目ですよ、小泉さん。KIDはもう存在しないんですから」
「分かってますわ。だから私が許すのは誰に対しても手の上だけと言うのが私の答えということで。志保さん、そういう貴方は?」
「そうね、快斗君に対してなら、やっぱり額か頬ね。白馬君には、分からないわね、正直」
「お隣の、東の彼とかに対してはどうですの?」
「子供の躰に戻っていた頃は、いわば共犯者、相棒みたいな存在だったけど、今は違うわ。論外ね」
 志保は新一のことをそう言って切って捨てた。
「小さい頃はあんなに仲良しさんだったのに、一体またどうして?」
 半ばからかい交じりに快斗が志保に尋ねてみる。
「あの頃はある意味同じ立場にある同士みたいなものだったからよ。でも今は違うわ。彼とキスしたいなんて思わないわね。たとえそれがどんなものであれ。それに彼には蘭さんがいるでしょう?」
 本来の年齢に戻った志保は新一に対して随分と辛辣になっている。そして志保が漏らした蘭との関係に関していえば、傍からみると微妙なところだ。やはりコナンとして傍にいた時間が長く、それが新一と蘭との関係に何らかの影響を与えているのかもしれない。
 いずれにしろ、白馬は他の女性を敬愛することはあっても、唇を許すような真似をするのは、そして欲望を覚えるのは快斗しかいないと明言している。快斗も明言こそしないが実態は似たようなものだろう。そして志保は、特に誰かにしたいともされたいとも思わない。そういった意味では、男性は全て自分の下僕だと言い切り、手の甲へのキスしか許さないという紅子は、この面子の中にあってはある意味最強なのかもしれない。流石は赤魔術の継承者と言ったところだろうか。

── Fine




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