Doute




「おい白馬、ちょっと時間いいか?」
 白馬が学生課の前でとっている講義が休講になったのを確認していた時、そう声を掛けてきた人物がいた。白馬が振り向いた先に立っていたのは、彼の想い人たる黒羽快斗にどこかしらよく似た面差しの、工藤新一だった。
「工藤君でしたか。改まって僕に何か用でも?」
「お前に聞きたいことがあるんだ。出来れば二人だけで話したい」
「……分かりました。丁度講義も休講になっていることですし、構いませんよ。それで二人だけで、となるとどちらで?」
「どっか空いてる教室があるだろう、そこでいい」
「いいでしょう」
 そうして二人は空いている教室を探して暫し歩いた。その間、二人とも黙ったままだ。
 白馬は新一の話というのは、快斗のことではないかと検討をつけていた。他に新一が白馬と二人だけで話をしたいと思うようなことは考えられないからだ。
 互いにシャーロック・ホームズのファンではあるが、その話なら別に二人だけでなくてもいいのだから、必然的に快斗のことだろうと白馬はあたりを付けたのだ。
 なぜなら、新一が快斗のことを怪盗KIDではないかと疑っているのは承知していたからでもある。本人はそれほどあからさまに表情に出してはいないつもりのようだが、快斗のポーカーフェイスに慣れている身としては、新一のそれはあまりにもあからさまだったのだ。
 暫くして、ようやく一番小さなタイプの教室が開いているのを見つけた二人は、
「ここでいいか」
 との新一の声にその教室に入っていった。



「で、話というのはなんですか?」
 なかなか話を切り出さない新一に、白馬の方から切り出した。
 一瞬の躊躇いを見せた後、新一は口を開いた。
「……黒羽のことだ」
「黒羽君? 彼がどうかしましたか?」
「おまえ、気が付いているんじゃないのか? あいつが怪盗KIDなんだろう?」
 やはり、と白馬は思った。しかし、怪盗KIDはもういない。ICPOが公表している、KIDの死亡を確認したと。
「怪盗KIDは死にましたよ、ICPOの発表、知らないわけではないでしょう?」
「司法取引という手がある」
「司法取引? 何のために?」
「ICPOがKIDの死亡を公表する少し前に、欧州を中心に活動していた国際的犯罪組織が壊滅している。それに黒羽が関わっていると聞いた。そしてあいつはICPOの人間と顔見知りだ。それもかなり親しい。
 そしてKIDだが、あいつは何者か、それもかなり大きな組織と思われるものに狙われていた。ビッグジュエルと呼ばれる宝石ばかりを狙っていたのも何か目的があってのことだろう。
 それらのことを総合的に判断するに、黒羽がKIDで犯罪組織壊滅のためにICPOと司法取引をしてその壊滅に力を貸したとしか俺には思えない。
 それに、あいつのマジックもある。あれ程の使い手を、俺はKIDの他には知らない」
「……」
 黙って新一の言葉を聞いていた白馬は、クスリと笑った。
「何がおかしい!?」
「君の言っていることは状況証拠ばかりですね。それも無理矢理押し付けた君の推測に基づいたものでしかない」
「何をっ!」
「黒羽君をICPOに紹介したのは僕です。それとは別に、彼のアメリカの知り合いもICPOに彼のことを紹介した人がいたようですが。
 黒羽君の父親は、事故死とされていますが、それは偽装で、実際には殺人でした」
「殺人!?」
「ええ。貴方が今言っていた犯罪組織の者の手によるものです。そのことを知って、黒羽君はその組織を壊滅させるためにICPOにコネのある僕に協力を求めてきました」
「怪盗が探偵のおまえに?」
 白馬の言葉に新一は眉を寄せた。
「黒羽君はKIDではありませんよ。確かに僕も一時は彼をKIDではないかと追い掛け回したこともありましたが、違うということが証明されています」
「証明って、一体誰がどんな証明をしたっていうんだ?」
 納得出来ないというように新一は白馬に食って掛かった。
「彼が僕や中森警部と一緒にいる時にKIDが現れたことがあるんですよ。それに、一度は彼が中森さんと一緒に遊園地に出かけている時に中森警部の前にKIDが姿を現したこともあるようです。黒羽君にはきちんとしたアリバイがあるんですよ」
 ちなみに前者は紅子がKIDになりすました時のことで、後者は映画館に入っている間のことだ。
「KIDには仲間というか協力者がいることは知ってる。そいつかKID自身がどちらかに化けていたんじゃないのか?」
「君はどうしても黒羽君をKIDにしたいようですね?」
「そうじゃない! 俺は探偵として真実を知りたいだけだ!」
「探偵? 違うでしょう。単なる君の知的好奇心だ。以前、僕はKIDに言われたことがあります。僕は探偵ではないと。その時のKIDの言葉を借りれば、君も探偵ではない。勝手に探偵を名乗っているに過ぎません」
 ダン! と新一は右の拳で机を叩いた。
「誤魔化すのはよせ、白馬! 黒羽がKIDなんだろう?」
「……あくまでそう言うのなら、彼がKIDだという動かぬ証拠を持ってきてもらいましょうか、工藤君。僕としては誰よりも親しい黒羽君のことをそんなふうに疑われるのは心外です。
 ああ、それから彼のマジックのことですが、彼に言わせれば自分はまだまだで、もっと上の人間がいるそうです。でもKIDだと思われるほどにマジックが上手いと言われたと聞けば、彼は喜ぶでしょうね。彼はKIDのファンでしたから」
「物的証拠なんてあるものか。怪盗KIDは死んだことになってるんだから! けど俺の勘は間違っちゃいない、黒羽がKIDだ、そしておまえもそれを知ってる。そうなんだろう!?」
 新一は常になく感情的になっている自分を自覚していたが、もう止まらなかった。
「証拠もないのに仮にも友人を犯罪者扱いですか。かつては東の名探偵と言われた工藤君の言葉とも思えませんね」
「白馬!」
「黒羽君はKIDじゃありません、それは僕が証人になりますよ。なんならICPOに直接確認しますか?」
「KIDは死亡したと公表してるICPOが何を話してくれるっていうんだ! おまえたちは揃って司法取引で怪盗KIDは死んだことにしてるだけなんだろう!?」
「そう思いたいなら思えばいい。事実は変わりませんから。
 それとも君のその思い込みは、君が追っていた“黒の組織”を本当の意味で最終的に潰したのが、君ではなく僕や黒羽君とICPOだったことへの腹いせですか? だとしたら随分と狭量なことですね」
 皮肉を込めて白馬は新一に告げた。
 怪盗KIDはもういない。もう現れることはない。KIDは死んだのだ、あの時、パリで。今の快斗はただの黒羽快斗という、けれど他に類を見ないくらいな天才的な頭脳を誇るマジシャンの卵で、怪盗KIDではないのだから。
 そして自分は、自分たちはその秘密を墓場まで持っていくと約束した。彼の命を救い上げた赤の魔女と共に。ICPOもKIDが死亡したと公表した以上、それを覆すことはしないだろう。ましてや現在の快斗はICPOにとってはかけがえのない協力者でもある。そんな彼を実はKIDでした、などと言うことは有り得ない。ICPOも、そして組織の日本支部を壊滅させた警視庁、ひいてはその長である警視総監たる白馬の父、快斗の協力者だった寺井を含めて、皆秘密の共有者だ。いまさら新一一人が快斗をKIDだといったところで誰も信用しない。ましてや快斗はKIDの衣装を父親の墓に埋めたことで、全ての証拠を消してしまっている。流石の新一も死者の墓を暴くようなことはしないだろうし、許されることでもない。
 そうである以上、いくら新一が快斗をKIDだと言い張っても、何も、そして誰もそれを証明することはできないのだ。
 新一のことだ、そう簡単に引き下がることはないだろう。最初に新一が言ったように、彼は真実を知りたいだけなのかもしれない。何せ泥棒は現行犯でしか逮捕できないのだし。
 だが世の中には知らない方がいいこともある。無理に秘密を暴こうとすれば、手痛いしっぺ返しを食らうこともあるのだということを、新一は学んだ方がいいのでないかと白馬は思う。
 いや、彼はそれを既に知っている。知っていてなお、それを省みることなく真実を突き止めようとしている。それが悪いとは言わないが、真実を明らかにすることは必ずしも良いとは限らないのだ。
 何よりも彼が江戸川コナンという子供であったことを隠しているように。
「工藤君。この際ですから申し上げておきますが、僕は君が思っている以上に君のことを知っています。それを君の幼馴染のお嬢さん、毛利さんに告げたらどうなるんでしょうね?」
「な、何のことだ」
「世の中には知らないままの方がいいこともあるということですよ。それは君自身が身をもって知っていることと思っていましたが、そうでないのだとしたら僕は随分と君を買い被っていたということになりますね」
 新一は白馬のその言葉は、快斗がKIDであるということを認めるということなのかと思った。と同時に、彼は自分が行方不明になっていた間どうしていたのかを知っているのかと、そんな疑問が脳裏を(よぎ)る。
「白馬、おまえ、もしかして知ってるのか、俺が……」
「何のことか分かりかねますね。ただ繰り返し言っておきますが、黒羽君は怪盗KIDではありません。過去はもちろん現在も。それでも彼をKIDだと君が言い張るなら、君を黒羽君に対する名誉棄損で訴えてもいいのですよ。僕は彼を守るためなら何でもします。それを受けてたつ覚悟があるというのなら、いくらでもどうぞ。
 話がそれだけなら僕はもう失礼させていただきます」
 白馬は教室を出て行こうとし、新一はそれを止めようと声を掛けた。
「待て、白馬! まだ話は……!」
「僕にはもうありません。失礼します」
 白馬は新一を冷たく突き放して教室を出ていった。
 後に残された新一は、やはり快斗はKIDなのかとの思いを寸分も変えることなく、けれど白馬の言葉の前に、それを証明するのは無理なのだと、自分自身は確信していても、疑問は疑問のまま、決して世間に公表できぬままに持っていくしかないのかと思い込まされただけで、逆に、白馬が自分が蘭に隠している事実を知っているらしいことに怖れを抱いた。
 だが考えてみれば、快斗は志保の知り合いであり、白馬はその快斗の友人なのだ。いつぞや快斗と共に阿笠邸に入っていく白馬の姿を見たこともあったのを思い出した新一は、快斗がKIDであるという証拠を見つけ出す前に、むしろ自分が江戸川コナンであったことを蘭に知られる可能性があることに思い至って顔色を変えた。
 そうだ、白馬の言うとおり、そしてかつてKIDが言ったとおり、謎は謎のままに、世の中には知らない方がいいこともあるのだと、新一は無理矢理自分を納得させるしかないのかとの思いを強くしたにとどまった。

── Fine




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