シャワーを浴び終え、バスタオルを腰に巻いて濡れた躰を拭きながら、快斗はふと鏡に映った己の躰を改めて直視した。そこに映るのは、傷、それも幾つもの銃創の痕の残った無残な躰。
快斗は鏡に映る己の躰の傷跡に手を伸ばしてそれをなぞった。
そして思う。確かに以前から多少の傷はあった。けれど、これほど気にするまでのものではなかった。
こんな躰で、本当に白馬はいいと思っているのだろうか。こんな傷だらけの躰を抱いて、楽しいのだろうか。喜べているのだろうか。同情の気持ちがあって、だから以前と変わらないような態度をとってくれているのではないだろうか。そんな風に考えてしまう。
白馬が自分が無事に生還したことをとても喜んでくれていることは疑ってはいない。
白馬が以前、快斗に対して抱いていた感情も疑ってはいない。でなければ対組織戦で協力などしてくれなかっただろう。
その二点については本当に今更のことで、少しも疑ってはいない。
重傷を負いながらも日本に帰ってきて、それから快斗が完全によくなるまでは、白馬は決して快斗に無理をさせなかった。夜を共にした時も、ただ優しく抱きしめて眠るだけだった。大切にされていると思った。それが嬉しくて、そしてまた申し訳なかった。
そして傷跡の残った躰を白馬に見せたのは、傷が癒えてから初めて夜を共にして躰を重ねた時だ。それまでは、見せなかった。見せたくなかった。白馬がどう思うか、それが恐かったという思いがあったのは否めない。これほどの傷痕の残った躰に、いくら白馬でも引いてしまうのではないか、たとえ想いは変わらずとも、こんな躰を抱くことを拒絶されてしまうのではないかと。そう、以前のように愛し合うことなど、もうできないのではないかと思えた。いや、今もどこかでそう思っている自分がいることを、快斗は否定しない。
白馬は快斗の躰に残された傷痕を初めて見た時、とても辛そうな瞳をした。そして傷痕に優しく口付けてくれた。それ以後、既に幾度も躰を重ねている。
けれど、快斗は最初の時の白馬の瞳が忘れられないのだ。自分を想ってくれている気持ちはあるとは思う。そこまで疑ってはいない。けれど、そう、自分の躰を抱く白馬の中に、同情が含まれているのではないかと考えてしまうのだ。そしてその同情ゆえに、本当はこんな躰を抱きたくなどないのに、快斗のことを思って以前と態度を変えないようにしているのではないかと。
そんな風に考えてしまうのは、白馬に対してとても失礼なことかもしれない、とも思う。だがそう思っても、考えてしまう時があるのだ。そしてそのことを、白馬に問うこともできないでいる。聞くのが恐いのだ。自分が考えていることを肯定されてしまったら、そう思うと恐くてならない。
快斗自身にとっては、この傷痕は、確かに醜くはあるが、いわば勲章のようなものだ。無事に望みを果たした証拠なのだから。だから自分では負傷を負ったことを悔いてはいない。むしろ遣り遂げたという誇りすらある。
だが、白馬とのことを考えた時き、白馬の気持ちを考えた時に、どうしても不安が過ぎるのだ。それは、最初の時に見せた瞳以外、白馬が何も言ってくれないからかもしれない。傷痕のことに対して、何か一言でも言ってくれれば、白馬がどう思っているか分かるのに、白馬は何も言わない。そしてそれすらも、同情からなのではないかと、快斗はそう思ってしまう。
ぐじぐじと悩んでいないで、思い切って聞いてしまったほうがいいのかと思う時もある。そして自分の考えを否定してほしいと思うが、その半面で、それを肯定されたときが恐くて聞けないでいる。
白馬は快斗がそんな風に考えていることに気がついているのかいないのか、それも分からない。
それもあって、快斗の思考は堂々巡りになってしまう。どこかで一度はっきり口に出して聞いてしまったほうがいいのだろうと思いつつ、今はまだその勇気がない。
自分がこんなに臆病だったなんて、快斗は思ってもみなかった。
そうして深い溜息を一つつくと、そんなことを考えていたなどと思わせる様子も見せず、快斗はパジャマを着て白馬の待つ寝室へと向かった。
そして寝室で快斗を待っている白馬は、快斗とはまた別の意味で、快斗の躰に残された傷痕のことを考えていた。
快斗がどれほどに危険な立場に身をおいていたのか、知っていたつもりで、だがそれを改めて思い知らされた気がした。本当の意味では理解していなかったのだと。
それでも快斗は無事に自分の元へ戻ってきてくれた。重傷を負い、生命の危険もあったが、赤の魔女である紅子の力もあって、彼は帰ってきてくれた。それが嬉しかった。その前から、快斗が自分を信頼し、頼ってくれたこと、日本でのことを任せてくれたのも、嬉しかった。
快斗の躰に残された傷痕を初めて見た時、病院にかけつけた自分は分かっていたことだったのに、如何に自分の考えが甘かったか改めて思い知らされた。快斗の覚悟の程をあまりにも軽く、甘く考えていたと。そして怪盗KIDとしての彼の能力を如何に高く考えていたのかと。確保不能の大怪盗などと言われていても、彼もまた、たとえどれほどの高い能力をもっていようと、一人の人間であることに変わりはなかったというのに。
だから快斗の躰に残された傷痕に対し、白馬は最初は悲しかった。それほどの重傷を負わせてしまったことが。快斗が敵の首魁との決着を望んでいたのは分かっていたのに、それを防ぐことが出来なかったことを悔いた。けれどそれでも、そこまでの傷を負いながらも自分の元に帰ってきてくれたことを思えば、愛しさが増すばかりだった。そう、残された傷痕すらも愛しかった。それは何よりも快斗の生きた、生き残った証だったから。
快斗が自分の躰に残った傷痕について何かしら考えている部分があることには気がついていたが、どう切り出していいものか分からず、白馬からは何も言い出せずにいる。思い切って自分の考えを告げてしまった方がいいのだろうかと思うときもあるが、それをどう告げたらいいのか、それが分からないのだ。こんな風に悩んでしまうのは、白馬にとっても初めてかもしれない。推理ならどんなに悩んでもいつかはっきりした答えが出るのに、これについてはなかなか答えが出ない。
そんな風にして、快斗も白馬も互いに互いのことを思って、考えを口に出すことができぬまま、時が流れていく。いつか解決する時がくるのだろうか。そしてそれは、どちらから言い出すことになるのか。今はまだ、二人ともそれにしかと答えることが出来ずにいる。
── Fine
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