快斗は必死に駆けていた。
「病院内では静かに! 走ってはいけません」
との看護師たちの言葉も耳に入らぬかのように、駆けていた。目指す先はただ一ヵ所。そこには白馬がいるはずだった。
息を切らし、ノックをすることもなく、プレートに「白馬探」の名のある病室のドアを思い切り開けた。
「黒羽君」
最初に驚いたように口を開いたのは、その病室の住人である白馬だった。白馬は上半身を起こして本を読んでいるところだった。
「白馬! 何してんだよ、お前! 怪我して入院してるんだろう、なのに何呑気に起き上がって本なんか読んでんだよ!!」
快斗のあまりの剣幕に白馬は呆気にとられたような顔をしていた。
「怪我といってもそうたいしたことではないんですよ。足をちょっと骨折した程度で」
病室の中にずかずかと入り込んだ快斗は、ベッドの脇にあるパイプ椅子に腰を降ろした。
「で、誰に聞いたんです? 君には言わないようにと言っておいたはずなのですが」
「おまえのばあやさんだよ!」
「ばあやですか」
白馬は本を脇に置きながら深い溜息を吐いた。
「何で俺に黙ってろなんて言ったんだよ! おまえは俺のパートナーだろ! それなのに……!」
「君に余計な心配を掛けたくなかったんですよ。それにそれ程大袈裟な怪我でもなかったですし」
「骨折なら十分大怪我だ! 事故にあいそうになった子供を助けて代わりに自分が怪我するなんて、馬鹿だ。おまえ、もう少し自分の運動神経考えろ!」
「それなら君は、事故にあいそうな子供を放っておけたんですか?」
「そ、それは……」
白馬の問い掛けに快斗は言葉を濁した。なぜならそんな場面に遭遇すれば間違いなく自分も白馬と同じ行動に出たのが分かっていたからだ。ただ違うのは白馬と快斗の運動神経の差で、何よりも怪盗KIDとして夜を駆けていた快斗ならば、子供を助け、なおかつ自分も無傷、せいぜいかすり傷程度で済んだだろうことだけだ。
「君に心配を掛けたのは謝ります。だから君には連絡しないように言っておいたのですが」
「ばあやさんの様子がおかしかったから俺が無理矢理聞き出したんだ。あまり責めないでやってくれ」
「分かりました。ですが黒羽君、これで君も分かったでしょう?」
「何が?」
普段は察しのよい快斗だが、白馬の言わんとしていることが何なのか珍しく分からずに尋ね返した。
「自分の大切に想っている相手が怪我をしたら、たとえそれが些細なことであっても、どんなに心配なことか」
「あ……」
白馬のその言葉に、快斗は顔色を変えた。
そうだ、かつての自分は今回の白馬の比ではなかった。それこそ死んでもおかしくない状態に陥ったのだ。快斗自身、死んでもいいと、それ以前に死ぬ覚悟で臨んだ組織の壊滅戦、組織の首領との対決。
白馬は快斗の覚悟を知らぬまま、快斗の重傷の知らせに大急ぎでフランスまで文字どおり飛んでやってきた。そして快斗の意識が戻るまでずっとついていてくれたのだ。その時の白馬の心境はいかばかりのものであったか。
それを漸く快斗は実感した。大切な者を失うかもしれない恐怖を。
「ごめん、白馬。俺は……」
俯いて小さな声で答える快斗に、白馬は優しげに声を掛けた。
「もう終わったことです。あの時のことで君を責める気はありません。むしろ僕は君の覚悟の程を理解し得なかった自分に後悔している程です。ただ、君も理解して下さい。大切な人が自分の知らないところで傷つくということが、どれほど心を痛めることなのか。もう二度とあのような気持ちを味わうのは御免です」
「それ、今の俺の心境でもあるから、おまえも無茶するな」
快斗は精一杯の虚勢を張って白馬に返した。
「肝に命じておきます、君に心配を掛けるような真似は今後はしないと約束します。とはいえ、今回のような事態に遭遇すればまた同じようなことをしてしまうだろうと思いますが。それでも、助けようとして自分が危険な目に合うようなことの無いように注意します。ですから君も約束してください。全てが終わった今、もうあの時のような事は起きないと確信してはいますが、君も無理や無茶はしないと」
「分かった。白馬、早く治せよな。お前が退院するまで毎日見舞いに来てやる。と言っても、見舞いの品なんて用意できないけど」
快斗のその言葉に、白馬は綺麗な笑みを見せた。
「君が毎日顔を見せてくれるのが何よりの見舞いの品です、それに勝るものはありません」
白馬の答えに快斗は思わず顔を赤らめた。
「何言ってんだよ、こっ恥ずかしいというか気障というか」
「僕は事実を述べているだけですよ、黒羽君」
その後、快斗は白馬と談笑し、やって来た時の慌ただしさ、切迫さが嘘のように静かに帰っていった。
そしてそれ以来、快斗は約束したとおりに、日によって時間はまちまちだったが、白馬が退院するまで毎日、彼の病室を見舞いに訪れるのだった。
── Fine
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