Je suis par le côté




 深い闇にも意味がある。
 そう、僕はそれを忘れていた。この世に意味のないものなど無いのだ。それは人によって、ものによって、とてもくだらないものだったり、とても大切なものだったり、様々ではあるが、全く意味を持たないものなど無いのだ。
 だから、当初は愉快犯だと侮っていた彼── 怪盗KID── にもまた、その行動には彼なりの意味があるのだと、そう気付いたのはいつだったか。
 多分にそれは、犯行後にたまたま目にした幾つかの光景から。
 一つは、まるで儀式か何かのように、奪った宝石を月に翳す彼の姿を見た時。何の意味もなく為すような行為とは思えなかった。それはとても厳かで、神聖な儀式のように見えたから。つまり彼がビッグジュエルと呼ばれる宝石ばかりを狙い、そしてせっかく奪った宝石を返すという行為を繰り返しているのは、探している宝石があるということ。そしてそれを確かめるために、彼は盗んだ宝石を月に翳し、そして目的のものでないと分かるとそれを返しているのだとの思いに至った。
 そしてもう一つ。やはり犯行後、警察を撒いた彼を運よく見失わずに追い続けることができた時に、彼が狙撃されたのを見てしまったこと。結局その時は、撃たれた彼も、彼を狙撃した犯人も見失ってしまったが、彼の命を狙う者がいることが明らかになった。ただその時は、彼が狙われた理由ははっきりとは分からなかった。彼自身の命が目的なのか、それとも彼が盗んだ宝石が目的だったのか。けれどそれを一度ならず見てしまった僕は、なんとなくではあったが思ってしまったのだ。彼は自分自身を囮にしているのではないかと。だからわざわざ予告状を出し、暗い夜の闇の中で目立つことこの上ない白を身に纏っているのではないかと。
 そんな思いの中、僕は密かに彼こそが怪盗KIDなのではないかとずっと疑いを持って見ている彼の身辺調査を行った。
 そこで浮かんで来たのが、世界的にも有名だったマジシャンである彼の父親の死だった。その時期は、はからずも以前にKIDが活動を停止した時期とほぼ重なっている。その死亡にしても事故死となっているが、父の名や権力すらも使って調べた中、疑問が湧いてくる。そう、本当に事故死だったのかと。気になって調べてみると、彼の父親の死に前後して、ほぼ同じ頃に同じく高名なマジシャンたちの何名かが、事故死、病死、あるいは再起不能の重傷を負ったりしている。そこに何かあると、どうしても疑わざるをえない。偶然にしては度が過ぎているのだ。加えて彼の父の死後、マスコミや世間からの非難などが重なったこともあっただろうが、彼は母親共々日本を去っている。そして帰国したのは中学に入る頃。なぜそこまでせねばならなかったのか、といことが僕の抱いた疑問にさらに輪をかける。
 そして僕はついに直接彼にその疑問をぶつけることにした。
「君がKIDになったのは、君の父親が殺されたことに関係しているのではないですか?」と。
 半ば推測に基づいたもので、確とした証拠があるわけではない。そう、言ってみれば状況証拠とそこから導き出した僕の推理に他ならない問い掛けだ。
 しかしその問いかけに、彼からは得意なポーカーフェイスも、普段の学生としてのおちゃらけた雰囲気も消え失せ、目を見開き、僅かにではあったが明らかに動揺しているのが見てとれた。
 そして僕は確信した。20年前にパリに初めて出現した怪盗KIDは彼の父親であり、そのKIDは何者かによって殺され、そして現在、どういった経緯でかその事実を知った彼はKIDとして死んだ父親に成り代わって復活し、その復讐をしようとしているのだと。他の犯罪者とは一線を画す怪盗KIDの不可解な行動は、全てそこに原因の一端があるのだと。
 その場では彼からは何も答えを得ることはできなかった。ただその様子から、僕の推測がそう外れたものではなかったのだろうという感触を得ることができただけだ。もっともそれもまた、僕の意識の中でだけの話だが。
 それから数日、彼は学校を欠席し、そして下校時、彼は僕が学校から出てくるのを待っていたように、校門の影に帽子を深くかぶって顔を隠し、さらには気配まで消して立っていた。僕がそれに気付けたのは、ふいに感じたKIDの気配からだ。それは学校にいる時の普段の彼のものでは決して有り得ない。
「話がある」
 一言だけ告げた彼に、僕は頷くと携帯電話を取り出し、ばあやに、今日は用事ができたので迎えは不要だとだけ伝え、それを聞いて歩き出した彼の後ろをついて、僕も歩き出した。
 彼が僕を導いたのは、学校から少し離れたところにある公園近くの小さな喫茶店だった。あまり流行っているとはとても見えない比較的小さなその店の一番奥の席に、僕たち二人は座った。
 オーダーを取りに来たマスターに、僕は紅茶をストレートで、彼はミルクティーを注文した。
 注文した品が来るまでは、彼は何も言わないだろうと見当をつけ、僕は早く注文したものがくるのを待った。
 そして程なく注文した二品が僕たちそれぞれの前に置かれ、テーブルの端に伝票が置かれた。
 僕はとりあえず、自分が注文した紅茶に一口、口をつけた。彼の方から口を開くのを、話をはじめるのを待って。僕から聞き出すように問い掛けるのは少し違うだろうと判断したからだ。
 そうしているうちに、カランと鈴の音がし、続いて扉が開いて数名の客と思しき人物たちが入ってきた。僕はどうしたものかと思ったが、その客たちはカウンター席に並んで座ったことから、小声で話す分には僕たちの声が彼等の、現在この店内にいる他の人間には届かないだろうと一安心した。
 待つこと暫し、漸く彼がゆっくりとその重い口を開いた。
「この前、おまえが言ったとおりだ。俺の親父は、ある宝石を求める組織の手によって殺された。それを知って俺は親父の後を継いでKIDになった。俺の望みは、言ってみれば親父を殺した奴等に対する復讐だ。奴等が探している宝石を俺が先に探し出して、奴等の目の前で砕いて、そいつ等がその宝石を探している目的を壊して絶望を味わわせてやるためだ」
 彼は他人に聞かれないように小声でゆっくりと、けれどしっかりとそう話してくれた。
「それを、君は一人でやろうとしているのですか?」
「盗みの方は協力してくれてる人が一人いる。親父の、つまりは先代の付き人だった人だ。けど、組織に関してはその人の協力を得るのは無理だ。その人自身、組織に存在を知られている。できるなら今だって、その人の協力を得るのは、その人のことを考えれば危険なことだ。可能なら避けたい。けど、どうしても俺一人では無理なところがあるから、やむを得ないところだけ、そして宝石に関する情報収集だけ、力を借りてる」
「その組織というのは?」
「まだ完全じゃないが、それでも大凡の概要は掴んだ。ヨーロッパを中心に活動している国際的犯罪組織だ」
「少し前にFBIが中心となって滅ぼしたというアメリカに本拠を置いていた“黒の組織”と呼ばれていた組織とは別物、なのですね?」
「ああ、全く別の組織だ。といっても、組織間で何らかの関係、関わりがあったかもしれないことまでは否定できないが」
 そう告げると、彼は深い溜息を吐いた。
 彼の才能は並みではない。天才、いや、鬼才、と言ってもいいのではないかと思う。でなければ警察や彼を狙う組織を相手に、彼等を手玉にとって、月下の奇術師、平成のアルセーヌ・ルパン、確保不能の大怪盗等々、様々な通り名をもって呼ばれることはないだろう。だが犯行については協力している人物が一人だけでもいるとはいえ、犯罪組織を暴き、彼の望みを果たすには、多分に力が足りない、そう僕は思う。なぜなら一人ではどんなに優れた存在でも限界というものがある。できることに限りがあると、僕はそう思うから。
 だから以前彼に問い掛けた時には既に考えはじめていた。そして今、彼から話を聞いて僕は決めた。
「組織については、君一人では限りがある。それを君は実感している。違いますか?」
 僕の言葉に、些か俯き加減だった彼が顔を上げて僕を見つめた。冷静な表情をしているが、内心では僕が何を考えているのか分からずに不思議でならないのではないだろうか。
「……確かに、そのとおりだ……」
 悔しそうに顔を歪めながら、彼は絞り出すようにしてそう答えた。
「ならば、僕は立場上、君の犯行については協力はできませんが、組織を潰すということについては協力しましょう」
「白馬!?」
「犯罪組織を潰すためなら、互いに協力できる部分があるはずですし、僕は君の役に立つと思いますよ。僕の持っているコネも含めて」
 僕は自信を持って彼にそう告げた。そう、僕ならば彼をもってしてもできないことでも可能なことがあると、そう思うから。
「……フッ、紅子の言ったとおりだな」
 小さな苦笑を漏らしたあと、彼は告げた。そこに出てきた名はクラスメイトの一人である女生徒の名だ。
「紅子? 小泉さんですか? 彼女が何を?」
 なぜここで彼女の名前が出てくるのか、疑問に思いながら彼に問い掛けた。
「おまえに会うことにする前に、紅子に言われたんだ。おまえに正直に話せ。そうしたら、おまえはきっと俺の協力者、良いパートナーとなってくれるだろうって」
 苦笑を浮かべながら、彼はそう答えた。
「現実主義のおまえは信じないだろうし、実際俺も最初は信じなかったけど、あいつは魔女だからな。だから俺のことを知ってたし、それで、この前おまえに言われた後、どうしようか悩んで、あいつに相談したんだ」
「小泉さんが、魔女?」
 どうしたって信じられないような言葉が彼の唇から発せられて、僕は呆気にとられた。
 しかし本当に彼女が彼の言うように魔女だろうと、何が切欠だろうと構わないと僕は思った。もし仮に彼女が彼が言うように本当に魔女だったとしても、その彼女の言葉で彼が僕からの協力を得る気になってくれたのだとしたら、僕は彼女に感謝する。
 そうして僕たちは対組織ということについては協力体制をとることになった。
 そうやって過ごしていく日々の中で、僕の中の彼に対する思いは段々と変わっていった。いや、その前から少なからず自覚はあったのだ。ただ自分で認めたくなかっただけで。
 己の立てた目的を果たすために、たった一人、孤高に立って行動する彼に、僕はいつしか惹かれていた自分を知っている。その目的を果たすためには、己の命さえかえりみないだろう彼の強さ、思いに、そしてその一方で遣る瀬無さや、大切な幼馴染を、周囲の存在を巻き込まないために苦労している彼の気持ちを知った時に、僕はもう彼を想う自分の気持ちを否定することはできなくなっていた。
 だから思うのだ。
 自分の命を棄てるようなことをしないでくれ、簡単に諦めないでくれ、粗末にしないでくれと。自分一人ではないことを、僕がいることを忘れないでくれと。
 確かに僕は彼のKIDとしての犯罪行為に対してはどうしたって協力はできない。できるのは、探偵として彼を追うのをやめることだけだ。あとは組織に命を狙われている彼の無事を、そして叶うなら彼── 組織も、だが── が探している宝石を彼が先に見つけることを祈ることだけ。
 どうか忘れないでくれ、僕がいつも君の傍にいることを。たとえ常に傍らにいることは叶わなくとも、それでも僕の心は君と共にあることを。決して口に出して言いはしないが、いや、できないが、僕は本心からそう思ってやまない。



 彼女の他には誰もいない薄暗い部屋の中、水晶球の中に映しだされている二人の様子を見つめながら、赤の魔女は誰に言うともなく口にした。
「だから言ったでしょう、彼に話しなさいと。
 悔しいけど、彼はきっとあなたにとってとても大切な、生涯をかけたパートナーになるわ」
 赤の魔女は、彼に対して最後まで告げなかった言葉をそっと呟く。

── Fine




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