敵組織壊滅作戦の前夜、快斗はフランスに来る度に利用している、パリ市内の中心部から少し裏に入ったところにある小さなホテルにいた。このホテルのことは、快斗の他には誰も知らない。一番の協力者であるアネットも、そしてまた、パートナーといってもいいだろう、現在、日本にいる白馬も、協力者である寺井も。
寺井は、当初、快斗がフランスに渡る時、共にと望み、快斗にそう伝えてきた。しかし快斗はそれをよしとしなかった。
作戦にはそれなりに自信がある。決して自惚れではない。ICPOの力を借りてとはいえ、それだけの周到な計画と準備を進めてきた、時間をかけて。本部のあるフランスをはじめ、各国にある支部に対しても、ICPOを通して現地の警察に問題は見受けられない。もちろん全てを白馬に任せた日本も含めて。しかしそれでも一抹の不安は残る。だから寺井に頼んだのだ、母のことを。例え何があっても、何が起ころうとも、一人日本に残る母を守ってくれと。そして寺井は快斗のその意思を受け入れ、日本に、母の傍に残ってくれた。だから自分は安心してフランスにやってこれたのだと思っている。
今、白ワインの注がれたグラスを揺らせながら快斗が思うのは、その心を占めるのは白馬のことだ。
最初はいけ好かない奴だと思っていた。KID専任を称し、快斗を、KIDだろうと── 実際、それは事実だったわけだが── 常に追い掛け回していた白馬は、いつしか快斗に対して向ける視線が異なるようになり、やがてKIDの真実に至った彼と快斗とは、いつしか全てを認め許し合うパートナーとなっていた。
渡仏する前夜、快斗は白馬と二人だけの夜を過ごした。それは翌日の快斗のフライトを考えて、白馬にただ優しく抱き締められて、その温もりに浸りながら、互いの体温を確かめるようにして、ただ共に眠っただけのものだった。
しかし快斗にとってはそれだけで十分だった。あの夜からどれだけの夜をたった一人で過ごしただろう。けれど白馬の残した温もりは今もまだ快斗の中に残っている、確実に。それがある限り、自分は決して一人ではないと思うのだ。
作戦決行を明日に迎えた今、正直、快斗は自分が無事に生き残ることができるかどうか、はっきりとした確実性を持つには至っていない。もちろん死ぬつもりはない。だが死ぬ気でかからなければ駄目だとも思うのだ。
快斗は敵の首魁であるシャベールとは、自分自身で決着をつけるつもりだ。それだけはどうしても譲れない。KIDとしての己自身と、紅子に用意してもらった偽りの宝石とを囮として、シャベールと二人だけで対する。そのために自分が掴んだシャベールの部屋にある隠し通路の情報は、アネットはもちろん誰にも一切告げていない。自分がシャベールと対峙する、その時のために。
そのことを、快斗自身がシャベールと対峙するつもりであることを白馬には知らせていない。もちろんアネットたちにすらも。だから白馬は、快斗はあくまでも指示をする立場にいるだけだと思っているだろう。そう匂わせる発言もした。とはいえ、いつしか自分と白馬との理解者となってくれていたあの赤の魔女は、もしかしたら気付いているかもしれない、とは思うが。しかし己を理解してくれているからこそ、彼女が白馬に快斗の意思を告げることもないだろうと思う。その代わり、もし自分に何かあれば彼女はなんとしても己を助けようと力をふるうだろうとも思う。だが日本とフランスと、これほど遠く離れたところにあって、どこまで彼女の力が通じるか分からない。その際の己の状態によっても変わってくる可能性もある。決して彼女の、赤の魔女としての力を疑っているわけではないが、それでも必ずしも万能であるとは言いきれないだろうと思うから。
故に、思いの中だけとはいえ、白馬の温もりに浸っていられるのは今夜が最後かもしれない、という思いが快斗の脳裏をかすめた。
死ぬ気はない。死のうとは思わない。なんとしても生き延びて、再び白馬と会いたいと心底思う。けれどそこまでの覚悟をもって当たらなければならないだろうとも思うから。だから作戦前に白馬を思うのは今が最後、そう考える。そしてまた会えることを願いつつ、今は心の中で白馬に対して別れを告げる。作戦中、白馬のことに気をとられたりすることのないように。そのために彼のことを考えるのは今を最後とする覚悟を決める。
そうして快斗はグラスの中のワインを飲み干してテーブルの上に置くと、以前、白馬が好きだと言っていたシャンソンを軽く口ずさみながら、部屋の明かりを消してベッドの中に潜り込んだ。
おやすみ、そして、さよなら、とそう心の中で白馬に告げて、快斗は己の、少なくとも表層意識の中から白馬を消した。最後まで点いていたナイトテーブルの上の明かりと共に。
── Fine
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