日本の最高学府といわれる大学正門の前、正確には柱に背を預けて一人の男性が立っていた。顔はキャップで良く見えないが、格好から察するに、まだ若そうで、誰かが出てくるのを待っているような感じだ。
正門を出入りする学生たちの視線を浴びながらも、一向にそれは気にならないようにただ立っている。
その男性がそこに立ちはじめてからどのくらい経ったろうか。中から一人の青年が出てきた。薄茶色の髪と、普通の日本人よりも白い肌。学内でも割と有名で知らない人間の方が少ないだろうと思われる青年だ。彼が腕時計に目をやりながら、門から足を踏み出す。
と同時に、立っていた青年の足が動いた。
「よっ、白馬。久しぶり!」
キャップを取って顔を見せ、彼は白馬と呼んだ青年の前に立ちふさがった。
「……」
白馬と呼ばれた青年は、目を丸くし、口をあんぐりと開けて目の前に立つ青年を上から下まで見つめた。
「何、暫く会わなかった間に俺のこと忘れちゃった?」
「く、黒羽君、き、君、生きてたんですか?」
驚きに掠れたような声で、白馬は漸くそう声を発した。
「生きてるよ。ちゃんと足あるだろ?」
言いながら、黒羽と呼ばれた彼── 黒羽快斗── は片足を上げて見せた。
「生きていたなら生きていると、どうして連絡してくれなかったんですか! 僕はてっきり……」
「ストップ!」
快斗は人差し指を白馬の唇にあててそれ以上の言葉を綴るのをやめさせた。
「言いたいこととか聞きたいこととかあるのは分かるけど、ここだと目立つし、どっかゆっくり落ち着いて話のできるとこに行かない?」
そういえば先ほどから周囲の視線が痛い。確かに快斗の言うとおりにした方が良さそうだ。そう考えた白馬は、コホン、と一度軽く息を吐き出してから告げた。
「確かに君の言うとおりですね。近くの、できるだけ落ち着いて話のできる喫茶店にでも入りましょう」
コーヒースタンドが増えて喫茶店の数は少なくなっているが、それでも無くなったわけではない。しっかり顧客を掴んで営業を続けている店はある。
快斗は白馬を前にして、白馬の導くままに歩いた。
やがて10分近く歩いただろうか、路地を1本入ったところにある落ち着いた感じの風情の喫茶店の前に立ち、白馬は扉を開いた。カラン、と音がして、来客に気付いたのだろう、「いらっしゃいませ」といった声が二人に掛けられる。
二人は店内を見回して、奥の方にあるテーブル席に着いた。店内に客は少ない。大きな声でなければ、小さな声であれば、話の内容も多分そう漏れはしないだろう。
まずは注文を済ませ、その品が届くまで二人は口を開かなかった。互いに無言のうちに、人には聞かれない方がいいだろうと判断したことによるものだ。
白馬が注文したのはダージリン、快斗はカフェ・オ・レだ。ウェイターによってそれが運ばれて二人の前に置かれ、そのウェイターが立ち去って少ししてから、まずは白馬が口を開いた。
「この2年近く、一体どこでどうしていたんです? 生きていたなら連絡の一つくらいいつでもできたでしょう? 最後の電話を貰った時、僕はてっきり君は死んでしまったのだとばかり思って……」
「うーん、連絡ねー。それはちょーっとばかり難しかったんだよなー」
「どういうことです?」
「おまえ、俺のあの時の立場は分かってるよな? でもって、電話をした時の状況も」
「大凡の推測はつきました。だからダメだとばかり……」
二人は顔を近づけてこそこそと話を進めていた。
「うん、俺自身もダメだと思った。だから最後と思っておまえに電話したんだけど。いやー、何が起こるか分からないね。瀕死のところをICPOの人間に見つけられて、ともかく病院に運び込まれて治療を受けて、一時はかなりヤバかったんだけど、助かっちまったんだな、これが」
「では、ICPOに捕まって……」
「状況的には殆ど病院のベッドの上だったけどな。で、いまさら隠し事ってのもないよなーと思って色々話したわけよ、初代だった親父のことも含めて。そしたら変に一部から同情なんてものも集まっちまったんだけど。それと事の前にICPOとフランス警察の両方に組織に関する情報流しといたからさ、手を拱いていた組織壊滅、解明に役立つと褒められたりとかして。泥棒が警察に褒められる状況ってどうよ、って思ったけど。で、あちらさんが何のかんの相談して、とりあえず俺のことは病院を出たら暫くフランス警察の監視下に置くってことになって、で、そのままあっちにいたわけ。こちろが望んだことじゃないけど、結果的には司法取引、だな。けど何もせずにいるのもつまらないしさ、許可貰って、ネットで株の取引きやって金稼いで、その金で向こうの大学に通ってた。流石に監視つきだったけど。大学をスキップでさっさと卒業したら、ちょっとばかり唖然とされた」
そう言って、快斗は笑った。
「大学をスキップで卒業、ですか?」
「そ。通ったのは1年半くらいだったかな」
思い出すように天井を見上げながら快斗は答えた。
「で、今は?」
「うーん、これが笑うしかないって状況なのかな。今じゃ俺、ICPOの職員だよ。常勤じゃないけど。でも今は、事実上、常勤に近くなってるな。で、休暇を利用して帰国してみました、ってのが今回の状況」
「では連絡をいただけなかったのは、フランス警察の監視下にあった間、ということでいいんですか?」
「そういうことになるかな。その後は忙しさにまぎれて連絡しそびれてた」
「僕や、いえ、それ以上に君の母上がどんなに君の身を案じていたか考えなかったんですか!?」
「へ? 母さんにだったら、許可もらって病院に入院中に連絡したけど。あと、大学卒業してICPOに勤務することが決まった時も」
「え?」
つまり、少なくとも白馬が黒羽邸を訪れた時、快斗の母親は彼の無事を知っていたのだ。つまり担がれたのか。そう思い至って、白馬は肩を落とした。
「今回、帰国するにあたっておまえに連絡しなかったのは驚かそうかと思って」
にかっと笑ってそう告げる快斗に、白馬は何も言えなかった。余りにも彼らしいことだからだ。
「言いたいことは色々ありますが、とりあえずは君が悲願達成したことと、そして何よりも無事の帰国を神に感謝します」
「んな大袈裟な」
快斗は苦笑した。だが白馬にしてみれば偽らざる本音だ。
「ところで今回の帰国、母上には?」
「ん? 真っ先にしたさ。昨日の夜に日本について、家に帰ってお小言貰って。そんで今日出てきたから」
「そうですか。それでもう一つ伺いたいのですが、最後と思った時に僕に電話をしてきたのは、一体どういう理由ですか?」
その問いに、黒羽は顔を俯けた。よくみると少しばかり赤くなっているような気がする。
「そのくらい、察しろよ。探偵だろ」
「探偵じゃありませんよ。君に指摘されて、探偵ごっこは止めましたから」
「そっか。じゃあ俺が同じことを指摘した東西の二人は?」
「あちらは変わりませんね。相変わらずの事件体質のようですし」
「ふーん。やっぱりおまえだけか、俺の言葉が通じたのは」
「そういうことになりますね。で、今回の帰国はいつまでいられるんですか?」
「1週間、かな、とりあえず。緊急の呼び出しがあればわからないけど」
「それにしても、元怪盗の就職先がICPOというのは、やはり笑えますね。普通だったら誰も考えませんよ」
「そりゃ考えないだろ。話持ってこられた時、俺も、いいのかそれで、って疑問に思ったもん」
「で、帰国している間の予定は?」
「明日は、青子とか紅子とか、何人かのところに顔出しする予定だけど、その後はなし。入れてない」
「じゃあ、明後日からは僕に付き合って下さい、いなかった間の分も含めて」
「わ、わかった」
そう言って頷いた黒羽の頬は些か赤みがさしていた。
失ったとばかり思っていた者が、自分の元に戻ってきた。今回は僅かの間しかいられないようだが、今後のことはまたこちらで考えればいい。彼は無事に生きて白馬の元に帰ってきたのだから。
そして白馬はまずは明後日からの計画と、その後の計画とを考えなければ、と思った。
話をしている間にすっかり冷めてしまったものを飲み終えて、二人は店を後にした。ちなみに料金は白馬持ちだ。白馬の気分的には、初めてのデートのようなものなので、彼にとっては当然のこと。とはいえ、既に仕事をして── 今では副収入ともいえる株の取引きも含めて── 稼いでいる快斗にしてみれば、些か不満のようではあったが。
店を出て、今日のところはこれで、と別れてから白馬は思った。
快斗の夢は亡くなった父親のようなマジシャンになることだったはず。その夢はいいのだろうかと。だが、快斗の言葉を思い返してみれば、常勤じゃないとのことだった。それはもしかしてマジシャンとしても生きていきたいからなのだろうかと、ふとそう思い、次に会った時に聞いてみようと考えた。
今はただ、再び生きて出会えたことに、そして快斗が自分の気持ちを受け入れてくれていることを感謝するのみだ。
── Fine
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