程なく自由登校も終わり、卒業式を数日後に迎えるある日、白馬は黒羽邸を訪れた。
一瞬躊躇い、しかしそれでも思い切ったようにインターフォンを鳴らした。
『はい』
ほどなく女性の声が応じた。
「突然の訪問、申し訳ありません。白馬探と申します。黒羽君とは……」
『まあ、あなたが白馬君? あなたのことは快斗から色々聞かされているのよ。今鍵を開けるから中に入って、入って』
程なく鍵が開けられる音がして、内側から玄関扉が開けられた。ノブに手をあてて扉を開けた状態は、18歳になる子供の母親とは思えない位に若く見えた。
「さ、遠慮なく入って、白馬君」
にっこり笑ってそう言われ、白馬は促されるままに「おじゃまします」と一言告げて足を踏み入れた。
白馬が通されたのはリビングルームだった。自宅と比べればそれほどではないが、さすがに世界的に有名だったマジシャン黒羽盗一の自宅だっただけのことはある、と思われる広さを持った造りの家だった。
「白馬君、ロンドン帰りだったわよね。っていうことは、珈琲より紅茶の方が好みかしら?」
「あ、はい、まあ。でもそんなにお気になさらずに」
「ちょっと待っててね」
女性── 快斗── の母親は、白馬一人をリビングルームに遺してキッチンに姿を消した。
快斗の母親がその場から立ち去った後、さて、何をどう話そうか、といまさらながらに白馬は思った。何も考えてこなかったわけではない。それなりに悩み、話す内容を考えてきたはずなのに、今、頭の中からきれいさっぱり消えている。それはもしかしたら、彼女の明るすぎる態度のせいかも知れなかった。
やがて紅茶のカップ二つを乗せたトレイを持って、快斗の母親が入ってきた。
「さ、味はあまり保障できないけど」
そう告げながら、一つを白馬の前に置き、それからその向かい側に腰を降ろし、自分用のカップに手を出した。
「最初はね、快斗、自分のことをKIDだって言って追い回してくる嫌な奴がいるって話してたのよ。警視総監の息子で、探偵を自称している嫌な奴だって」
そう告げて、彼女は笑った。
「は、はあ」
快斗が白馬に対して“探偵を自称している”と言っていた理由は分かっている。最初は腹が立ったが、彼がそう告げた理由が分かったから。だからそれから白馬は探偵と名乗ることはなくなったし、頼まれでもしない限り、警察に手を貸すこともしなくなった。
「それが憮然とした顔をして、いつの間にかあなたの自分を見る目が変わってきて、ついには告白されちゃった、って」
そう言ってまた彼女は大きな声を出して笑う。もしかしたらそれを告げた時の快斗の様子を思い出してるのかもしれない。
白馬は思う。この人は知っているのだろうか。快斗が怪盗KIDであると。そしてそのKIDの死亡、つまりは快斗の死亡が公表されたことを。それとも快斗は母親にまで全て隠していて、だからこの人は何も知らないのだろうか、とも思った。
「白馬君、聞いてもいい?」
「は、何をでしょう?」
「あなた、快斗のどこが気にいったの? 好きになったの?」
「それは……」
その理由は快斗が怪盗KIDであったことも一因の一つであることは間違いない。KIDである彼の信念に惹かれた部分も確かにあるのだ。だからどう応えていいのか分からない。なぜなら、今、白馬の前にいる人は、快斗がKIDだったことを知らなかった可能性だってなきにしもあらずなのだから。
白馬は少し顔を赤らめながら俯いた。
それから少しして顔をあげ、質問への答えではなく、問い掛けをした。
「あなたは、息子さんが同性の僕からそういった感情をもっていると言われた時、どう思われましたか? 嫌だと思われませんでした?」
「うーん、そうねぇ」
彼女は右の人差し指を唇にあてて、考えるようにした。少しして答えが出たのか、その指が外され、笑顔で答えが返ってきた。
「人が人を好きになることはとめられないじゃない? それがたまたま同性だった、ってだけで。快斗があなたに告白されたって告げた時、はっきりと顔をみせてくれてた状態じゃなかったけど、なんとなく思ったのよね。嫌がってなさそうだ、むしろ嬉しそうだって。だったら、世間ではどう見られるかは分からないけど、本人同士が納得してるならいいかな、って思ったのよ。ただ、そうか、孫の顔は見えないのか、と少し残念には思ったけど」
そう告げて、彼女はカップを手にして紅茶を口に含んだ。
「あの放蕩息子、出かけてから全く連絡よこさないし、今頃どこでどうしてるのか分からないけど、帰ってきたら私が怒ってたって言ってやってちょうだい。もちろん私からも言うけど」
彼女のその言葉に、ああ、やはりこの人は何も知らないのだ、と白馬は思った。そうであるなら、これ以上、白馬の口から告げることはできない。あなたの息子は怪盗KID、犯罪者だったのです、などということは。
それから学校にいた頃の白馬と快斗の話を少しして、そして白馬は黒羽邸を後にした。気分的には、お付き合いしている相手、もしくはしようとしている相手の親に挨拶に行った気分だ。
結果、やりきれなさだけが白馬の心に残った。
── 黒羽君、どうして君は何も告げずに一人で逝ってしまったのですか? と。
── Fine
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