Je me le rappelle




 気を失うように眠りに落ちた快斗の黒髪を、頬を、傍らの白馬は愛しそうに撫でた。
 肌を合わせたのはほぼ半年ぶりだ。快斗の怪我が回復し、なんとか普通の生活を送れるようになってから、何度か一緒に眠ったことはあったが、それは快斗の身体をただ優しく抱き締めて共に眠りについただけで、肌を重ねたわけではなかった。
 半年ぶりに重ねた肌は、記憶の中のまま、肌理細かく滑らかだった。けれどその身に残る幾つもの銃創が痛々しかった。その痕を改めて目の当たりにして、よくぞ無事に戻ってくれたと神に感謝すらした。
 白馬は快斗の顔を愛しげに見つめながら、出会った当初のことを思い返していた。
 研究所で探り出したデータから、快斗を怪盗KIDであると、出会った学校でいつも問い詰め、追い回していた。
 そんな白馬を、快斗は俺はKIDじゃねぇよと言いながら笑ってかわし続けていた。
 そんな日々が変わっていったのはいつだっただろう。自分の快斗に対する感情が変わっていったのはいつだっただろう。今となっては白馬自身にもはっきりとは思い出せない。
 ただ、KIDは他の犯罪者とは違うと、ただの窃盗犯、愉快犯などとは違うと気付いた頃からだっただろうか、自分のKIDを追う目的が変わったのは。
 元々白馬の捜査における基本姿勢にあったことではあったが、なぜKIDが窃盗という犯罪を犯し続けるのか、そして盗み出した宝石をすぐに返却してくるのか、一体なぜ、という疑問が大きく膨れ上がり、捕まえることよりもその疑問を解決したいという思いの方が強くなっていった。
 そしてそうするうちに、KIDが狙い、KIDを狙う組織の存在に気付いた。
 それによって、聡い白馬は悟ってしまった。
 KIDが予告状を出すのは組織を誘き寄せるためだと。窃盗犯でありながら夜目に目立つことこの上ない白に身を包み、世間にその姿を曝すのは組織の人間に対して自らを囮にしているのだと。
 確保不能と謳われる怪盗KIDがそれほどまでにして狙う相手、そんなKIDを狙う組織。KIDが狙うのが主にビッグジュエルと呼ばれる宝石であることから、何がしかの宝石に絡んでのことであろうことまでは理解したが、その先は一切分からないことばかりだった。
 KIDが相手にしている組織とはどんな組織なのか、KIDが目的とするビッグジュエルには何があるのか。
 疑問を抱えながら日本と欧州を、主に英仏を往復しながら快斗を追い続けた。そして快斗に対して向ける視線が次第に遣る瀬無さを含むようになったのはいつだっただろう。
 未だ未成年の快斗が怪盗などという立場に身を置いた理由を知りたいと思った。なぜ故そんなことを続けているのかを。
 そんな中、いつしか自分の中に快斗の身を案じる心が芽生えているのに気付いた。
 怪盗KIDを追う探偵という立場でありながら、その身を案じる。何という矛盾。
 それがどこに由来しているのか、それを── 多少遠回しではあったが── 指摘してきたのはクラスメイトの小泉紅子だった。
「油断していると、一生彼を捕まえることはできなくてよ。永遠に彼を奪われてしまうわ、神の手に」
 神の手! それは白馬にとっては“死”しか連想させるものはなかった。
「小泉さん……」
「自分の感情にもっと素直になるべきね。でないと得られるものも得られなくなってよ」
 紅子は紅子で快斗に対して特別な感情を抱いているようにも思われて、時々快斗に忠告めいたことを告げている時があった。そんな紅子が、今になって思えば敵に塩を送るようなことを告げたのはなぜだったのか。今ならば分かる。紅子もまたKIDである快斗を狙う相手があって、その命が失われることを恐れていたのだと。だから白馬を焚き付けたのだと。
 事実、紅子の言葉を受けて白馬は己の心を素直に見つめ直し、快斗をKIDとして捕えたいのではなく、快斗を手に入れたいのだと、いつしかそう思うようになっていた自分に気付かされた。
 そうして己の真実の心に気付いた白馬は、同性同士であること、自分が快斗をKIDとして追いかけていたことから嫌われているであろうこと、故に断られるであろうことを理解し承知した上で快斗に告白した。
「君のことが恋愛感情で好きです」と。
 それに一瞬驚いたように目を見開いた快斗は、いつも見せているやんちゃな笑顔とは違うとても綺麗な微笑みを見せて頷いた。
 受け入れられたことは正直嬉しかったが、自分をKIDとして追い続けていた探偵の白馬が、好きだと告げたことをどうしてそんなに簡単に快斗が受け入れたのか、実を言えば今もって分からない。自分を追う探偵を追い払えたとでも思ったのだろうかと考えもしたものだ。
 もちろん今では相思相愛であると充分すぎる程に分かってはいるが。
 そうして時折身体を重ねるようになって、その中で快斗から語られた真実。
 快斗は2代目であり、初代のKIDであった父親は、実は事故死ではなく、とある宝石を求める国際犯罪組織によって殺されたのだということ。KIDとしての快斗の目的はその曰くのある宝石を組織より先に見つけ出すこととその組織を潰すこと。そしてICPOに渡りをつけて欲しいと頼まれた。
 その時は、そのために自分の告白を受け入れたのかと白馬は思った。組織を潰すためにはKIDとしての自分一人の手には余るから、ICPOの手を借りるために、その繋ぎを付けるためにその身を白馬に投げ出し、男でありながらあえて同じ男に抱かれると言う女の立場をも受け入れたのかと。
「……んっ、……は、くば……?」
 ずっと撫でられ続けている感触に意識を取り戻したのか、寝起きのどこか甘ったるい快斗の声がして、その黒曜石の瞳がゆっくりと開けられた。
 どうしたんだ? との声にならない疑問の声を聞き取って、白馬は答えた。
「思い出していたんですよ、出会ってから今までの君と僕の関係を」
「?」
「どうして君はあんなに簡単に僕を受け入れてくれたのか、実を言うと今もって分からないので」
 白馬の言葉に、快斗はクスッと小さく笑った。
「そんなの、おまえの俺を見る瞳の変化を見てれば分かるさ。そして俺はそれに絆されたってところかな」
 快斗の答えに、白馬は思わず目を見開いた。
「そんなに違っていましたか?」
「ああ。出会った頃の、探偵の、犯人を追いつめる目じゃなくなってた」
「それは気付きませんでした」
「どこにも行くなよ、おまえは俺のものなんだから」
「それは僕の台詞ですよ。もう二度とあんな思いはしたくない」
 白馬のいう『あんな思い』が何を指すのかを察した快斗は、再び眠気に襲われながらも真面目に返した。
「どこにも行かない、ここにいる。KIDはもういない、俺はおまえの黒羽快斗だよ」
 快斗はそう告げると白馬の胸に顔を埋めてすうすうと小さな寝息を立てはじめた。
「黒羽君」
 白馬は改めて快斗の身体を優しく抱き締め、その黒髪に唇を落とした。
「好きですよ、誰よりも君だけが」

── Fine




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