Requiem




 フランスで一つの国際犯罪組織が壊滅した。それを行ったのは、もちろんフランス警察だが、その陰にはICPOの力もあった。そしてまた、これは警察内部ですらも極一部の上層部の人間しか知らされていないことではあるが、とある人物が関与していた。その人物とは、ICPOが国際指名手配している、シークレットNo.412こと怪盗KIDである。彼からフランス警察に対して秘密裏にその犯罪組織の情報が齎されたのだ。当初、その情報に対して警察では半信半疑ではあったが、もともと追っていた組織であったこと、僅かではあったが彼等が調べることができた情報もその中に含まれていたことから、信憑性は高いと判断され、その情報と、そして共に寄越された対組織のための計画書と思しきものも、あまり時間をかけることはできなかったが、それでも可能な範囲で専門家が細かくチェックし、GOサインを出したのだ。
 結果、組織は無事に壊滅させることができた。
 そしてその後、今後のために再確認している時に、地下室の奥の一角で一つの死体が見つかった。その死体は血に塗れ、衣装はボロボロだった。しかしどれ程汚れていても、それが怪盗KIDのものであることは一見して知れた。加えて傍に落ちていた割れた片眼鏡(モノクル)、右手に握られたままのKID愛用のトランプ銃。それらからその死体は怪盗KID本人であろうと推測された。しかしその顔は硝酸で焼かれ、指紋は綺麗に無くなっており、その正体が誰なのか判断はつきかねた。それでも解剖に回し、それで分かったのは、20歳前後の東洋系の男性、それだけだった。怪盗KIDは一度消えていた。その間8年。死亡説も流れたほどだ。そこから、もしかしたらやはり最初にこのフランスに現れた怪盗KIDは既に死亡しており、この死体のKIDは2代目なのではないかという憶測が交わされた。しかしそれを証明するものは何一つとしてなく、あくまで推測の域を出ないものだったが。
 日本にいて、知り合いからその情報を知らされた白馬探は慌ててフランスへと飛び立った。
 白馬は怪盗KIDの正体を知っている。その目的も。
 正体は白馬のクラスメイトである黒羽快斗という少年であり、目的はパンドラと呼ばれる宝石(いし)。とあるビッグジュエルのなかに、インクルージョンとしてあるのだという。月に翳すとその中に赤く浮かび上がるのだと。そのパンドラの流す涙を飲むと不老不死になれるのだという。その言い伝えが真実か否かはともかく、先代の怪盗KIDである快斗の父親は、そのために敵対する、今回フランス警察が壊滅させた組織の手の者によって殺されていた。その事実を知り、快斗は父親の仇を討つため、そして組織よりも先にそのパンドラと呼ばれる宝石を探し出し、彼等の前で砕いて嘲笑(わら)ってやりたいのだと言っていた。
 危険を承知で快斗は己自身を囮として、パンドラであるビッグジュエルを探しながら、敵組織に関する情報を集めてもいた。
 当初は快斗を怪盗KIDだろうと必死になって追っていた探だったが、やがて快斗の中にある何かに、彼の意識はいつしか変化していた。そしてその探の心の変化が、快斗との関係も変えていった。やがて少しずつではあったが快斗から知らされたた事実。危険性を考えると、探としては快斗にやめさせたかった。しかし快斗の意思は固く、止めることなどできない。となれば、宝石と、そして組織に関する情報を集めることに対して少しでも協力することだった。だからそれをした。
 そうして探の協力もあって、快斗はパンドラを見つけ出し、あらゆる手を使って調べ上げた組織に関する情報を持って、先代である快斗の父、黒羽盗一の時から仕えてくれていた寺井すらも日本に置いて、一人でフランスへと旅立ったのだ。探はただ彼の無事を祈って見送るしかなかった。快斗が探が同行することを認めなかったからだ。決着はあくまで自分でつけたいのだと。
 到着したパリで、探はフランス警察の中にいる彼の知り合いに連絡を入れていたことから、途中でその人物と落ち合い、パリ警察に向かった。
 そして話を通してあったことから、探の願いどおりに死体安置所にそのまま真っ直ぐに向かうことができた。
 その部屋は寒かった。場所柄を考えれば当然のことであるが。そして探の眼に入ったのは、部屋の中央に置かれた一つのベッド。白い布で覆われたもの。
 同行してくれている者が、ゆっくりとそれに近付き、丁寧に布をめくった。
 現れたのは、聞かされていたとおり、硝酸によって焼け爛れ、誰なのか一切判別のつけられぬ顔。分かるのは飛び跳ねるような黒髪だけだ。探はゆっくりとその死体に近寄り、顔に手を当てる。
「……黒羽、君。本当に、君なんですか……?」
 小さく日本語で呟かれたその言葉を、同行の者は聞き取ることはできなかった。
 やはり一人で来させるべきではなかった。どれ程に反対されようと、何としても同行すべきだった。同行が無理なら、後から密かに追いかけるのでもよかった。自分はここに来るべきだったのだ。そうしたら快斗を失う可能性は少なかったのかもしれない。そう探は思う。後悔だけが探の心を占める。
 明日、フランス警察が彼の死体を埋葬するとのことで、そこへの参列を探は求めて許可を得た。
 身元不明ということから、どういう扱いになるのかと探は懸念していたが、フランス警察は国際犯罪組織を壊滅させることができたのはKIDからの情報が大きかったことから、その死体を無碍に扱うことはできず、「1412」というICPOから与えられた数字と、彼が初めて登場した日付と死体を発見した日とを刻み込んだ墓石を用意していた。
 KIDの遺体が入れられた棺が葬られるのを見ながら、探は俯き、声を出すことなくただ静かに涙を流した。
 ── 黒羽君、どうか静かに眠って下さい。君の闘いは終わりました。フランス警察は無事に組織を壊滅させました、君の齎した情報のお蔭で。
 もう君が傷付くことも、苦しむことも、悩むことも、辛い思いをすることもなくなりました。
 けれど君は僕を一人にして置いて逝った。それを恨みます。どうして連れていってくれなかったのかと。
 僕はこれからずっと、君のことを忘れることなく、君だけを思って生きていきます。君は僕にとって唯一の存在だった。君以上の人に出会えるとは思えない。だからこれから先、君のことだけを思って一人で生きていきます。そしていつか、どんなに時間がかかっても君の処へいきます。その時を待っていてください。
 黒羽君、君を愛しています。この命が尽きるまで、その想いは変わることはないでしょう。
 自分の命を粗末にしようなどとは思っていません。君の分まで生きて、生き抜きます。君の想い出だけを胸に秘めて。それくらいは、許してくれるでしょう?





 その頃、日本の東都のはずれにあるとある屋敷の中、二人の男女が向かい合っていた。二人の間にあるテーブルには一つの大きな水晶球があり、そこにはフランスにいる白馬探の姿が映し出されていた。
「それで、あなたはこれからどうするつもりなの?」
「どうするって言われてもなあ、こんな躰じゃどこにも出られないだろ?」
 問い掛けた女性は、赤みがかったストレートの黒髪を持ち、黒いロングドレスを身に纏った赤の魔女たる小泉紅子。
 そして彼女の問いに答えたのは、フランス警察によって死亡したと確認されたはずの怪盗KIDこと黒羽快斗本人だった。
 紅子は快斗が一人でフランスに旅立ってからずっと水晶球を通して快斗を見ていた。そして彼が敵組織の人間に撃たれた時、魔術を使ってその場へと跳んだのだ。
 突然現れた謎の少女にそこにいた者たちは驚き、その少女から向けられる瞳に恐れを抱いた。紅子は彼女の魔術でKIDを撃った男たちを消し去った。それからKIDに慌てて近付く。彼の胸は撃たれたことによる出血で真っ赤に染まっていた。
「黒羽君っ!!」
「……よぉ、紅、子……。ドジっち、まった、よ……」
 それが、KIDこと快斗の最期の言葉だった。
 と、ふと、彼の左手に握られたままの宝石から、赤いものが染み出しているのが見えた。
「これは……!?」
 それは吸い込まれるようにして快斗の身体の中に消えていった。
 快斗が手にしていたのは、パンドラと呼ばれる不老不死を齎すという宝石。月に翳して流す涙を呑めば不老不死が得られるのだという。だがここには月はない。ましてや快斗は飲んでなどいない。なのに宝石からは赤い液体、おそらくはパンドラが流れ出し、快斗の中に吸収された。
 やがてそれが全て快斗の中に消えた後、止まったと思われた快斗の胸の鼓動が再び動きだした。
 それを見て取った紅子は、快斗、いや、KIDの傀儡を用意し、その顔の部分を硝酸で焼き、快斗が持っていたトランプ銃を握らせ、また、片眼鏡を外して割ると、その傍らに置いた。それから快斗と共に、自分の屋敷へ戻るべく、再び跳んだのだ。
 屋敷に戻り、執事に銘じて快斗を空いている部屋のベッドに寝かせると様子を見た。胸元の赤は消えないが、撃たれた痕はいつ時の間にか綺麗に消えていた。その他にも大小の傷があったが、どれも綺麗に消えている。
 パンドラを探し出すためには、言い伝えどおり月に翳す必要があったのだろうが、それは必ずしも飲む必要はなかったのかもしれない。そうとしか紅子には思えなかった。
 やがて快斗は目を覚まし、目の前にいる紅子を見ながら、呆然としていた。
「俺、死んだんじゃなかったのか……?」
「ええ。私も一度は確かにあなたの心臓が止まったのを確かめたわ。でもあなたが手にしていた宝石から流れた赤、パンドラ、なのでしょうね、それがあなたの中に吸収されていったの。だから私はあなたの身代わりを置いて、あなたを連れ帰ってきたのよ」
「俺、飲んでないけど……」
「言い伝えの全てが真実ではなかったということなのでしょうね」
 それらの遣り取りの後、今、二人して水晶球に映し出されているフランスにいる探を見ているのだが。
「どうするの? 彼に対して、このままでいいの? 生きていることを告げないで」
 二人の関係を、その間にある感情を知っている紅子は快斗に尋ねた。
「このままでは彼のことだから、本当にずっと一人であなたのことだけを思って生涯を終えるわよ」
「そうは言ってもなぁ、こんな状態の俺があいつの前に立つことはできないだろう?」
「……それは確かにそうね。いいわ、どこまでできるか分からないけど、あなたを元に戻す方法を考えてみましょう」
「そんなことができるのか?」
「保証はないけれど、赤の魔女として可能な限りのことはするわ。簡単に諦めるつもりはない。あなたには幸せになってほしいから。でも、あまり期待しすぎないでね」
 最後の一言は、プライドの高い赤の魔女らしくない言葉だが、彼女にとっての事実なのだろう。
「じゃあ、それまで俺は適当に過ごさせてもらうよ。置いてくれるだろう? 家に帰るわけにはいかないし。家賃代わりに家事くらいはするからさ」
 そう苦笑を浮かべながら快斗は紅子に告げる。
 本音を言えば探の側にいきたいと思う。だが、今の自分の状態を曝すわけにはいかない。探にまた別の苦悩を与えるだけだ。だから紅子の可能性に賭けてはみるが、駄目でも構わない。ただその場合、探には自分以外の誰かを見つけて幸せになってほしいと思う。実際にそうなったら、きっと相手のことを妬むだろうなと思いつつ、快斗は水晶球に映る探の姿を見ながら、そのこれから先の人生が幸多いものとなってくれることを願うのみだ。叶うことなら、その傍らに己が立っていたいとも思うが、多くを望みはすまい。望みを果たした今は、とりあえず休息をと思い、一つ大きく欠伸をすると、そのまま座っているソファに横になった。

── Fine




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