Cuire

　キッチンに立つ二人の女性。
　女性がキッチンに立ってやる事と言えばただ一つ、料理である。
　が、この二人がやっているのは本当に料理なのだろうかと、傍で見ている男性二人は大いに疑問を持ち、首を傾げていた。
「C₁₂H₂₂O₁₁ + H₂Oで C₆H₁₂O₆ + C₆H₁₂O₆の方がコーティングを行うには適していると思うのだけど」
「でもどうせなら龍のひげや人魚の涙、それに河童の目玉も加えて……」
　聞こえてくるその内容に、二人はますます不安に襲われる。
　予定では、女性二人が今作っているものは、この後この二人の男性の口に入る予定のものだからである。
「一体、二人は何を作ってるんですか？」
　二人の男性のうちの一人、白馬が傍らの快斗に尋ねた。
「志保さんの言ってるのはただの化学式だよ。砂糖系の。ただ紅子のはわけわかんねぇ」
「なんで料理作るのに化学式が出てくるんですか。それともそれが普通なんですか？」
　実家の料理は常に専門の料理長によって作られる白馬は、目の前でというかすぐ傍で料理が作られる場面を目にするのは正直初めてのことである。
「いやいや、化学式なんて関係ないから。せいぜい、どの種類の砂糖を何グラムとか、塩は小さじ一杯とか、それが普通。
　彼女たちに普通を求めるのがそもそも間違ってるから」
　首を横に振りつつ快斗は白馬に応えた。
「じゃあ、小泉さんの言っているものは何です？　本当にそんなものが存在するんですか？」
「分からん」
　快斗は一言で白馬の問いを切って捨てた。
「黒羽君、君は不安にならないんですか？　龍だの人魚だの河童だの、第一そんな物がこの世に存在しているんでしょうか……」
　白馬は不安そうに快斗に尋ねるだけしかできない。
「何せ相手は赤の魔女さまのやることだ。ただの人間の俺たちには理解できないものや有り得ないと思ってるものが出てきても不思議はない」
「そんな。彼女たちが作っているものは、この後、僕たちが食べることになってるんですよ。本当に食べられるものが出てくるんでしょうか？」
「……一応、志保さんは料理は上手い。が、紅子は分からねぇ。一度呪いの籠ったチョコを食わせられそうになったことはあるけどな……」
「呪い？　一体何でそんなものを……」
「いや、確か俺を自分の僕にするとかって。何でも俺が紅子に靡かなかったのを根に持たれて」
「それでそのチョコはどうしたんです、食べたんですか!?」
　快斗の話に、白馬は別の意味で心配になったようだ。
「食べてねぇよ。第一食べてたら今頃お前の隣になんて座ってねぇだろうが」
　快斗のその言葉に、白馬は安心したように息を吐き出した。
　が、それで今の状況が改善されるわけではない。むしろ不安感が増した感じだ。
「本当に大丈夫なんですか、あの二人に任せておいて。おかしなものが出てくるなんてことは……」
「いや、紅子が口にしてるものが本当に入ってるとしたらそれだけで十分に怪しいから」
「怪しいって、それで何そんなふうに呑気にしてられるんです、君は」
　白馬が情けなさそうな不安感たっぷりの声で快斗に問い掛ける。
　怪しいと言いながら、快斗自身は開き直ったのか、先刻から平静になってそれを崩していない。白馬と同じく、これからでき上がった料理を食べる立場にあるにもかかわらず。
「君、もしかして僕にだけ食べさせようとか思ってるんじゃないでしょうね」
「あー、できればそうしたいけど、あの二人を前にそれは無理だから」
　それは無いというように、快斗は右手をひらひらさせながら白馬に答えた。
「それに、紅子に関してももう大丈夫だろう。俺のことはすっかり諦めてくれたみたいだし。だからあの時だって紅子は全力で俺を助けてくれたんだからさ。もう少し信用していいと思うぜ」
　要は快斗は紅子が口に出したものが本当に入れられるなどとはからっきし思っていないのだ。
「本当に大丈夫なんでしょうね？」
　それでも白馬にすれば不安感は免れない。紅子が魔女だという話すら、いまだにどこまで信じていいものやらと疑っているのが実情だ。
　件の犯罪組織壊滅戦において、現地のフランスで重傷を負った快斗のことを日本にいながらにして知り、そして大丈夫だとの言質を白馬に与えた紅子に、白馬は彼女を只者ではないとは思っても、魔女などという荒唐無稽な存在とはどうしても今一つ信用しきれないでいる。



　そうしてやがて二人の前に出されたのは、少なくとも見た目はただのチョコレートケーキだった。
「どうせなら快斗君の好きなものがいいと思って作ったのよ」
　ケーキにナイフを入れながらそう告げる志保に、白馬は恐る恐る聞いた。
「あの、小泉さんの言っていた、得体の知れないものも、その、入って、いたりするんですか？」
「あら、本気にしてましたの？　そんなことするわけないじゃありませんの」
　ほほほ、と紅子は何を馬鹿なことを言っているかと笑って告げた。そんなことはもう意味はないのだと言うように。
「んじゃ、いっただきまーす」
　快斗は待ってましたとばかりに自分の前に置かれたケーキにフォークを突き刺した。
　それを見ながら、白馬もゆっくりとフォークを手にしたのだった。

── Fine