その日、白馬は恋愛関係といってもいい快斗と、とある公園で待ち合わせの約束をしていた。所謂、デート、というやつだ。とはいっても、同性同士、手を繋いだり、ごくごく普通の男女の恋人同士のように大っぴらに過ごすことはできない。それでも世間からはあくまで親しい友人関係と見られようとも、快斗と共に過ごす時間を持つことができるのは、白馬にとってはなによりも嬉しいことであるのには違いない。
待ち合わせをしているその公園には2ヵ所の出入り口がある。白馬は、所用から待ち合わせをしているのとは反対側の入り口からその公園に足を踏み入れた。
ちなみにその公園にはわりと大きな池があり、そこには快斗の嫌いなものがたくさんいる。そしてその池は、白馬が入った入口の近くにあった。つまりは待ち合わせを反対の場所にしたのはそれが理由だったりするわけだが。
そしてその池の脇を通り過ぎようとしたところで、白馬は見つけてしまった。
快斗の何よりも嫌いな、というか、嫌悪している一匹── 鯉── が、池の脇でピチピチと蠢いているのを。おそらく何かのはずみで池から飛び出してしまい、戻れずにあがいているのだろう。周囲の地面は池の水で濡れたあとが見られる。
一瞬悩んで、白馬はその鯉に近付き、両手ですくいあげた。それはとても大きくて、片手ではとてもではないが持ち上げられそうになかったし、仮に持てたとしても、安定も得られないと判断したためだ。そしてそのまま池の中に戻してやると、鯉はさっと池の中を泳いで去ってしまった。
白馬は近くのトイレに入って手を洗い、鯉を抱えたために、ほんの僅かの間のことであったのでそれ程ではないが、それでも濡れてしまった衣服を、ポケットから取り出したハンカチで拭った。
幸い、時間が早めだったこともあり、快斗との待ち合わせの時間には余裕があったので、拭っただけでは完全には取れない渇き切れないそれが渇く時間を稼ぐために、時間に間に合うようにしながら、少しゆっくりと歩を進めた。
白馬が目的地、すなわち待ち合わせ場所に付くと、快斗は既に来ていて、入口の門柱に背を預けて立っていた。
「黒羽君」
白馬は片手を上げながら快斗を呼んだ。
その声に、快斗は声のした方に顔を向け、微笑った。
「よっ、今日は珍しく俺の方が早かったな」
しかし白馬が快斗に近付くと、快斗は顔色を変え後ずさった。
「黒羽君?」
その様に、白馬は一体どうしたんだろうと不思議に思い、首を傾けながら快斗を呼んだ。
「お、おまえ……」
快斗は白馬を指さしながら蒼褪めた顔で口を開いた。
「?」
いつもなら人を指さすなど礼儀がなっていません、とでも言う白馬だったが、快斗の様子に疑問の方が先に立った。実際のところ、快斗が人を指さすなど、白馬の記憶の中では覚えている限りなかったし、一体何があったというのかと。
「あ、あれ、に触っただろう……」
快斗が顔色を変えて、“あれ”などというものは限られていたし、白馬にも直ぐにピンときた。ここに辿り着く前に白馬が取った行動だ。しかしなぜそれが分かったのだろう。
「あー、どうして分かりました?」
一瞬天を仰いでから、白馬は疑問を口にした。
「臭う!」
快斗はきっぱりと断言した。
白馬は手を洗い、濡れた衣服が渇いたことで大丈夫と思ったのだが、僅かの間のことであっても臭いが服に染みつき、それに快斗は気がついたらしい。
どうしてこんなものにまで気がつくのか。流石は天才児、いや、規格外、と言うべきか。それともそれだけ嫌悪しているから敏感になっているのか。
「ここで待ってるから、その服をどうにかしてこい!」
快斗は白馬に向かって指さしながら、命令口調でそう宣言した。いや、実際命令なのだろう。そうしなければ今日のデートはお流れだ。折角の久しぶりの二人きりの逢瀬だというのに。
「分かりました。でも、本当に待っていてくれますね?」
白馬は了承の意を伝えながら、また、確認も怠らなかった。
「待ってる。だから早くしてこい!」
それが快斗にとっての妥協点なのだろう。白馬は快斗の言葉を受けて、足早に快斗の前を通り過ぎた。その時、快斗がまた白馬から距離をとったのは、これは彼の気持ちを考えれば致し方ないかと思いつつ、白馬は内心でうなだれながら、快斗のいる公園を後にして、とにかく近くに店はないかと走り出した。
待つこと1時間弱、長かったのか短かったのか。白馬にとっては長かった方だろう。衣服を改めて快斗の前に立った。
「お待たせしました」
「前の服は?」
手ぶらな白馬に、快斗は疑問に思って問うた。
「店から自宅に送ってもらうように手配しました」
「そ、そうか。なら、いい」
快斗は、このお坊ちゃまのことだから、もしかして処分したりとかしたのか? と思ってしまったのだ。そして快斗の苦手とするもののためだけに、衣服を新調させるなどという無駄な出費をさせてしまったのだ。しかも白馬のことだ、決して安物で済ませてはいないだろうし、それは快斗の見た目にもわかる。それではいかに白馬が金持ちの坊ちゃんといえど、やはり快斗の良心は咎める。
それを察した白馬は、
「君が気にすることはありませんよ」
と何気ない口調で言葉にする。快斗に責任はないのだと。むしろ快斗と会う前にとった自分の行動の迂闊さに少しばかり反省している。鯉を池に戻す方法は、考えれば他にもあったはずだろうから。
「とりあえず、どこかでお茶でもしませんか? 途中でよさそうな喫茶店を見つけたので」
会う約束だけをして、その後の予定など特に決めていなかったので、白馬は微笑みを浮かべながら快斗にそう提案し、流石の快斗もそれには異論はなく、二人並んで歩き出した。
── Fine
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