Une mémoire




 ふとカレンダーを見た志保は、今日がアメリカにいた子供の頃、快斗と初めて出会った日だったことに気が付いた。
 あの時の快斗との出会いがなければ、自分は、そして隣家の彼は、未だ元の姿を取り戻してはいなかっただろうと思うと、今日という日に感謝したくなった。
 そしてまた、今日の午後、阿笠邸にやってくることになっている快斗を思い、甘い物好きの彼のために何か作っておこうか、という気になった。
 キッチンに立ってパイ生地をつくりながら、志保はアメリカにいた頃のことを思い出していた。



 僅か10歳にしてその頭脳を買われた志保は、当時は知らなかったが組織の英才教育の一環でハーバード大学にスキップして入学していた。
 そして出会った自分と同じ年頃の、それも日本人の男の子。
 周りは自分たちから見れば大人ばかりの中で、その子だけが同じ年頃の相手だった。
 知り合ってしまえば仲良くなるのは早かった。
 そうして親しくするうちに知ったのは、その男の子── 黒羽快斗── の父親が事故死して、それから母親と二人、日本を離れてアメリカに来たのだということだった。
「俺の父さん、有名なマジシャンだったんだ。いつかきっと父さんみたいな、ううん、父さんを超えるようなマジシャンになるのが俺の夢なんだ」
 快斗は志保によく己の夢を語った。
「志保ちゃんの夢は?」
「私?」問われて、志保は首を傾げた。「分からないわ」
「分からない?」
「ええ、快斗君みたいに何になりたいって、そういうものはまだ無いの」
「じゃあ、なんで今ここにいるの?」
「そうね、私もお父さんみたいに優秀な学者になりたいから、かしら」
「ならあるじゃん。なりたいもの」
 快斗はにこっと笑った。
「でも、どんな研究をしたいかとか、そこまではまだよく分からないの」
「なら、それを決めるために今ここにいるってことだよね」
「そういうことなのかしら?」
 広大なキャンパスの中、芝生の上に子供が二人並んで座って話をしている様を、周囲の年長者たちが微笑ましそうに見ながら通り過ぎていく。
「快斗君はMITに通ってるのよね?」
「そうだよ」
 それがどうかした? と言うように、快斗は首を傾げた。
「マジシャンになるのに、どうしてMITに通ってるの?」
「マジックってさ、種も仕掛けもあるんだよ。それをお客さんに見せないだけで。だからその種や仕掛けを作るための勉強、かな?」
 疑問形で答える快斗に志保は笑った。
「マジシャンになるのって、大変なのね」
「そうだよ。毎日の練習は欠かせないし。だから父さんが死んだばかりの頃は、俺、何もできなくて、でも母さんとアメリカに来て、少し余裕ができたのかな、また練習はじめたんだ。まだまだ初歩的な、真似事みたいなマジックしかできないけど、いつかきっと、世界中をあっと言わせるようなマジシャンになるんだ」
 瞳を輝かせて、快斗は夢を語る。
「それに、コンピューターって面白いよね。色々なプログラム組んで遊んでるけど全然飽きない」
「コンピューター弄るのも好きなの?」
「うん。俺が母さんとお世話になっている家の人はコンピューターを扱う会社を経営してる人で、家にも何台もパソコンがあるんだ。それを自由にしていいよって言ってくれて、それで遊んでる」
「なら、家にいる時はマジックの練習をしているか、パソコンで遊んでるのね?」
「そう。そしたらね、この前、俺が遊びで組んだプログラムを、会社で使うからっていって、お金、小切手だったけどくれたんだ。でも母さんが、それは子供の俺には大金すぎるから、って直ぐに取り上げてられて、銀行に預けられちゃった」
 てへ、と笑いながら屈託なく言ってのける快斗に、志保は唖然とした。
 子供の快斗が遊びで組んだというプログラムを、どれほどの大金かは分からないが、会社が採用したということはそれだけの内容のものだったということで、流石はMITに通っているだけのことはあるというべきなのか。そしてそれをあくまで遊びだと言ってのける快斗の優秀さを、理解したつもりではいたが、それは自分が想像していたレベルをずっと超えたものなのではないかと改めて思い知らされた感じがした。周囲の大人たちから、志保は天才だと言われているが、上には上がいる、きっと自分よりも快斗の方がずっと、いいや、快斗こそが本当の天才と言うのではないかと志保は思った。
「快斗君は他には何が好き?」
「チョコレートアイス!」
 これまた瞳を輝かせて叫んだ快斗に、思わず志保はたじろいだ。
「いえ、その、食べ物じゃなくて、色々とやってるんでしょう? それらの中で好きなことって、何?」
「うーん」
 志保の問い掛けに、快斗は腕を組んで考え込んだ。
「好きっていうのとはちょっと違うかもしれないけど、宇宙(そら)を飛んでみたいな」
「それは、随分と大きく出たわね」
「この前、NASAのパイロットだっていう人が家に来て、スペースシャトルから撮ったっていう地球の写真を見せてもらったんだ。それを、実物を自分の目で見てみたいな、って」
「快斗君の所には色々なところの人が来るのね」
「そう。皆、お父さんのファンだったんだって。だから皆よく俺に父さんのマジックの話をしてくれるんだ。それ聞く度に、早く父さんみたいなマジシャンになって、皆を喜ばせたいなって思う」
 回り回って結局はマジックにたどり着くところはやはり快斗らしいと志保は思った。
 それにしても、快斗から話に聞く限り、彼の周囲にいる大人たちはみなそれぞれの道で成功している者たちが多いらしい。そういった大人たちから色々な物を吸収して、快斗はどこまでいくのだろうかと志保は思う。本当に快斗は彼の望む通りにマジシャンになるのだろうか。いや、なれるのだろうか。他の大人たちが快斗の天才さ加減を知れば放っておかないのではないだろうかと思う。けれどその一方で、その大人たちが快斗の父親のファンだったというのなら、自分たちの持っている知識を分け与えながら、快斗がその父親のような、いや、それ以上のマジシャンになるのを喜んで応援しているのかもしれない。それなら、快斗自身がその夢を諦めない限り、快斗はきっと将来素晴らしいマジシャンになるのだろうと志保は思う。
「快斗君がマジシャンになったら、私、そのステージを見に行きたいわ」
「うん、絶対来て。自分のステージを開けるようになったらきっと招待するから」
「ええ、楽しみにしているわ」



 子供の頃のそんな遣り取りを思い出し、つくづく縁は異なものだと志保は思う。
 志保は国際犯罪組織の一員となり、薬学の研究者となり、快斗は、既に終わったこととはいえ、“月下の奇術師”と呼ばれる稀代の犯罪者となった。
 志保が所属していた組織も、快斗が追っていた快斗の父親を殺した組織も既にない。共に快斗がICPOと協力して壊滅させたからだ。
 今の志保は、阿笠の養女となり、漸く本当に好きなことに打ち込めるような環境になった。とはいえ、自分が何をしたいのか、何になりたいのか、今一つ決めかねている状態なのだが。
 そして快斗は、一貫して父親を超えるようなマジシャンになるという夢を抱き続けている。月下の奇術師、怪盗KIDとしてあった時の彼を考えるなら、それはそう遠くない夢、必ずや実現されることになるだろう。そうしたら約束どおり、彼のステージに招待してもらおうと、志保は、快斗がその約束を覚えてくれていることを願いながら、でき上がったアップルパイを冷蔵庫にしまい、居間に戻って雑誌をめくりながら快斗の訪れを待つことにした。
 時間に正確な快斗のことであれば、阿笠邸のインターホンが鳴るのもあと僅かの後のことだと思いながら。

── Fine




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