ある日の夕食の席で、白馬は父親である現警視総監から思わぬ言葉を聞かされた。
「今日、鈴木財閥の顧問である鈴木次郎吉氏から私のところに連絡が入った。なんでも、怪盗KIDからの予告状が届いたとかで、できれば探偵としてKID専属を公言していたおまえに来てほしいとのことだ」
「KIDからの予告状!? そんなはずはありません、KIDは既に引……死亡したとICPOから公表されているはずです」
怪盗KIDであった快斗は既に怪盗の衣装を脱ぎ、もう二度とKIDとして表に出ることはない。敵対していた組織の壊滅によりその必要がなくなったからだ。
「もちろn私は“彼”が再びKIDの衣装を着ることがないことは承知しているよ」
KIDが敵対していた組織の壊滅には、日本支部の摘発のために、もちろん日本の警察も関与しており、殊に警視総監でもある白馬の父は全てを承知している。その上で息子の探とKIDであった快斗の付き合いにも理解を示している。そして快斗が再びKIDとして夜空を翔ることがないということも承知している。それを信じている。しか、次郎吉からの言葉を無下にすることもできず、探に話を持ちかけたのだ。
「多分に、KIDを騙る愉快犯か何かの仕業だろうとは思うが、鈴木氏がおまえを指名してきていることからも、ここはひとつ、顔を出してやってくれ」
「……分かりました」
白馬にはそう答えるしかなかった。
「で、その予告日とやらはいつなんですか?」
「3日後とか言っておったな」
「では明日にでも鈴木氏宅にお伺いします」
「頼むよ、探」
父のその言葉に頷きながらも、それにしても珍しいこともあるものだと白馬は思う。
次郎吉は常に新聞広告などを使って自分からKIDに挑戦状を送りつけていた。それがKIDからの予告状が届いたと言うのだ。そして個人的に警視総監である白馬の父に、白馬に来てほしいと伝えてきているというのは、それほど次郎吉について詳しいわけではないが、珍しいとしか言いようがない。次郎吉のことだ、本当にKIDからの予告状であれ、マスコミを通して喧伝していてもおかしくはない。もしかしたら次郎吉はその予告状が本物のKIDからのものではないという確信があってのことなのかとしれないとも思う。何せKIDの死亡はICPOによって正式に公表されているものでもあるのだから。
そうして翌日、白馬は夕食の席での父との会話、すなわち次郎吉のところにKIDからの予告状が届いたなどということを快斗に告げることもなく、大学の帰りに次郎吉の屋敷を訪ねるのだった。
「おお、君が怪盗KID専任の探偵、白馬君か。いや、キッドキラーと呼ばれていた小僧がいなくなって、相談するとしたら君しか思い浮かばなくてのう」
次郎吉の屋敷を訪れ、顔を合わせた彼の第一声がそれだった。
「初めまして、白馬探です。ところで早速ですか、肝心のKIDからの予告状、拝見させて頂けませんか?」
白馬は次郎吉の出方に、のんびりと不必要なとりつくろった挨拶をする必要は無いと感じて、名前だけ名乗ると早々に話題を切り出した。
「いや……」
次郎吉は白馬の言葉に目を泳がせた。その態度に白馬は不信感を持った。もしやと。
「もしかして、KIDからの予告状というのは、デマ、ですか?」
「……結果的に、あやつには勝ち逃げされてばかりおったからの。で、あやつは本当に死んだのか、それともICPOとなんぞ取引して引退しただけなのか、それを知りたかったんじゃ。それにはKID専任と言われておった君に確認するのが一番かと思っての」
白馬は呆れたような溜息を吐いた。
「つまり、貴方が僕の父に告げたKIDの予告状というのは、嘘なんですね」
「あー、まあ、そういうことじゃ。ただどうしてもあやつが死んだなどとはどうしても信じられなくての」
「……どうしてそう思われるんですか?」
「確保不能と謳われ、悉くわしからの挑戦を勝ち逃げしてきたあやつがそう簡単に死ぬなどとは到底思えん!」
次郎吉の言葉は、ある意味、それだけ彼がKIDの能力を高く買っていたことの証明でもある。
確かにKIDはKIDキラーと呼ばれていた江戸川コナンによって、奪った宝石を奪い返されていたが、冷静に考えればそれは奪い返されたのではなく、KIDが自ら返したものだということが分かるというものだ。もっとも肝心のKIDキラーと呼ばれていた本人には、その自覚は今一つなかったように白馬は思うのだが。
「そんなことなら、内密に僕を呼んだりせずに、また新聞広告でも出したらよかったんじゃないですか? そうしたらもしかしたら貴方の言うようにKIDは実は引退しただけで実は生きていて、貴方からの挑戦状を受け取ったかもしれませんよ?」
「それも一度は考えた。が、それをすれば警察やマスコミで騒がしくなる。そうなれば理由があって引退したであろうあやつに迷惑がかかる。せっかく死んだと公表されておるのに、またKIDからの予告状などということにでもなれば大騒ぎになるのは必然じゃろうが」
「つまり、今回の件はあくまで極秘に僕から真実を引き出したいための方便だったと受け取って宜しいということですね?」
白馬は念を押すように次郎吉に確認の問い掛けをした。
「そうとってもらって構わん」
白馬はどうしたものかと頭を巡らした。
次郎吉はKIDの死を受け入れてはいない。あるいは受け入れたくないのかもしれない。そしてICPOがKID死亡と公表したことをそれなりに考えている。ならば全てではなくても真実を話してもいいのではないかとそう思った。
白馬は一つ溜息を吐くと、静かに話し始めた。
「貴方のご想像通り、KIDだった人物は死んではいません」
「やはりそうか!」
白馬の言葉に、次郎吉は嬉しそうに笑った。
「KIDはとある国際犯罪組織と対立していました。その組織壊滅のためにICPOと司法取引をして手を組んだんです」
「そんな事が……。ならばあやつがビッグジュエルばかりを盗んでいたのも、その組織との関係があってのことか?」
「ええ、ある宝石を巡って対立していたんです。そしてその組織はICPOも長年追っていながら、決定的な証拠が掴めずに手を出しあぐねていた組織だったんです」
「それであやつとICPOは手を組んだ、と?」
「ええ」
白馬は大きく頷いた。
「そして最後の敵の首魁との対決で、KIDは重症を負いました。それこそ死んでもおかしくない程の。彼自身、死ぬ覚悟をしての対決だったようです」
「それほどの相手だったのか」
「KIDはICPOと連携を取り、組織を壊滅に追い込みました。KIDがICPOに提示した司法取引の内容は、自分の正体を明かさぬこと、それだけだったようです。つまり彼は自分が死ぬことはなくても、ICPOに確保されることを覚悟していた。けれどKIDの能力を惜しんだICPOは、彼を捕まえるよりもmじゅあいろ利用、何かあった場合の協力をとる道を選び、KIDは死亡したと公表したんです」
「そんな経緯があったのか」
次郎吉はKIDの事は単純に愉快犯と思っていた。派手なパフォーマンス、盗んでもすぐに返される宝石、そんな怪盗など、愉快犯以外には考えられなかった。しかしその裏には自分の知らぬ重大なことが隠されていたのだとの白馬からの言葉に、深い息を吐き出した。
「君は、KIDの正体を知っているのかね?」
次郎吉は白馬の目を真っ直ぐに見つめて問い掛けてきた。
「……」
白馬は一瞬どう答えたものか悩んだが、思い切って打ち明けた。
「知っています。ですが、今の彼はもうKIDではありません。KIDとしての彼ICPOが公表したように死亡した、今ではただの一般人です。とはいえ、今までに彼がしてきたことが帳消しになるわけではありませんけれど。ですがこれは警察の上部も知っていることです。なぜならKIDが対立していた組織の支部は日本にもあって、僕がその支部を壊滅させるための陣頭指揮を執りましたから。とはいえ、KIDの正体についてまで知っている者はほんの一部に限られていますが」
「つまり、その組織とやらの対決においては、君はKIDと共闘関係にあったということじゃな?」
「そうです。実際、KIDとICPOとの間を取り持ったのは僕ですし」
「あやつは、もう二度と現れんのか?」
そう問いかける次郎吉の言葉には、どこか寂しげな雰囲気があった。
「ええ。彼がKIDとなることはもう二度とありません。KIDは死亡しました。後に残ったのはKIDであった人物です」
「あやつは、それで本望なんじゃろうか?」
「復活したKIDの目的は最初から組織との決着を付けることでした。その決着が付いたんです。僕は彼は本望だったと思います。彼にとっての想定外だったことといえば、無事に生き延びてしまったこと、ICPOが彼を死亡したと公表したことだと思いますよ」
「そうか……。やはりもう二度とあやつと対決するのは無理、最後まであやつの勝ち逃げで終わりか」
次郎吉のその言葉は、どこか寂しげでもあり、嬉しそうでもあった。
「これから先、儂がいくらビッグジュエルを求めて挑戦状を出したとしても、あやつは現れんのじゃな」
「ええ」
次郎吉の言葉に、白馬は自信を持って頷いた。
「ちなみに、あのKIDキラーと呼ばれた小僧はその辺は知っておったのかの?」
ふと疑問に思ったように次郎吉は白馬に尋ねた。
「いいえ、知りませんでしたよ。知ろうともしていなかった」
「そうか。やはりあやつのことを聞きたいと思った時、君を選んだのは正解だったわけじゃな」
そう言って、次郎吉は大きな声で笑った。
「勝ち逃げされたままなのは悔しいが、あやつにはあやつの目的があり、それが無事に達成されたというのは喜ばしいことじゃな。それも国際犯罪組織相手となればなおさら」
「貴方がそう言っていたと知れば、彼も喜ぶでしょう。彼も彼なりに、貴方からの挑戦は楽しんでいたようですから」
「ふん、それは勝ち逃げしたからのことじゃろう。できればあやつをわしの手で捕まえてみたかったが、もう存在しない者は捕まえることもできんの。残念で仕方ないわい。もし、あやつに会う機会があったら、儂がそう言っていたと伝えてくれ。そしてもし万一、再びKIDとして現れるような事があれば、その時こ儂がこの手で捕まえてやると言っておったとな」
「そうですね、機会があったら、伝えておきましょう」
白馬との話し合いで、次郎吉はKIDはもう何処にも存在しないのだと、改めて思い知らされたこと、いや、確認出できたこと、非情に残念そうではあったが、それでもこれで新聞の一面をKIDにもっていかれることはなくなったと前向きに考えることにした。
白馬は、別れ際に次郎吉に念押しした。
「先ほどお話ししたことは、警察でも上層部のほんの一握りしか知らないことです。どうか内密に願いますよ」
「分かっておるよ。話してくれたこと、礼を言っておく」
その言葉を最後に次郎吉に見送られて彼の屋敷を後にした白馬は、無性に快斗の顔が見たくなった。
── Fine
|