10月も半ばに入り、急速に秋が深まってきた頃、快斗は久しぶりに阿笠邸を訪れた。
インターフォンを鳴らすと出てきたのは阿笠だった。
「こんにちは、志保さん、いますか?」
「おお、快斗君か、志保君なら今支度をしているところだ、そろそろ降りてくるじゃろう」
そう阿笠が言い終えぬうちに、2階から宮野志保改め阿笠志保が下りてきた。
「早かったのね、快斗君」
「遅刻はしたくなかったから」
「じゃあ出かけましょうか。行ってきます、博士」
「ああ、ゆっくりしてくるといい」
そうして二人は阿笠邸を後にした。
志保は組織が完全に壊滅した後、APTX4869の解毒剤を飲んで、小学2年生の灰原哀から宮野志保に戻った。その後、阿笠の養女となったのである。
組織のこと、両親のこと、姉のこと、何よりも自分が造ったAPTX4869で殺された者たちのことを思うと、今、こんなふうに幸せにしていていいのかしらと思うこともあるが、阿笠志保として、新しい人生を歩みはじめていた。
悩みながらも前に進めているのは、他ならぬ今自分の隣にいる快斗のお陰といってよかった。
彼もまた、父親の仇を取るため、怪盗KIDという犯罪者となり、ICPOの手を貸りて仇である国際犯罪組織を年明けに壊滅させたのだ。
快斗自身も、目的はどうあれ、自分が犯罪者であることを忘れることはできないという。
確かに人を、少なくとも直接的には傷つけてはいない── 精神的にはともかく── し、盗んだ宝石は、目的のパンドラ以外は全て元の持ち主に返してきた。中には盗まれたものを盗み、真の持ち主に返したりしたこともある。
それでも、盗むという犯罪行為を繰り返していたことに違いはないのだと、快斗は自分が犯罪者であることを忘れることはないという。
志保は、快斗に比べたら、人殺しの薬を作っていた自分の方が遥かに罪深いと思う。
それでも快斗は言う。
それは志保さんが望んだことではないでしょう。たまたま研究していた薬が毒薬になってしまっただけで、毒薬の研究をしていたわけでもない。それが毒薬として利用できると、組織が利用していただけなのだから、志保さんが気にすることはない。まして志保さんは、両親が組織の一員だったから、そして優秀な頭脳を持っていたから組織に利用されていただけで、自分から犯罪者になる道を選んだ自分とは違うのだからと。
けれど志保の見解は違う。
確かに両親が組織の一員だったために自分も組織の一員とならざるを得なかったのは間違いない。しかし毒薬を作ったのは紛れもなく自分自身なのだ、たとえ毒薬を作るつもりでなかったとしても。そしてその薬によって何人もの人間が殺された事実は変わらない。快斗については、他に道は、選択肢は無かったのだと理解している。
それに何といっても、解毒剤の開発は快斗の協力なくしてはあり得なかったといっていい。仮にできたとしても、もっと時間がかかっていただろう。快斗と再会し、その協力が得られたからこそ解毒剤を完成させ、あまつさえ組織を壊滅できたのだ。
工藤新一は当初は自分とFBIの力で組織を壊滅させられたと簡単に思っていたようだが実態は違う。新一は自分で始末をつけることに拘るあまり、組織殲滅の計画を立ててから実行に移すまでに時間を掛けすぎた。そう、コナンという小学1年の子供の姿から工藤新一の姿に戻る為の時間を。そのために組織のNo.2に逃げられていたのにも気付かず。そしてそれに気付いたのは快斗とICPOで、結局後始末をし、組織を本当の壊滅に追い込んだのは快斗とICPOだ。
探偵として自分の事件だと拘った新一と、自分とは何の関係もないのに、志保のためにと動いてくれた快斗。志保の中では、同じ小学生の身体になっていた時は必然的にコナンとなっていた新一との同行が多かったが、今どちらを選ぶかと問われれば、間違いなく快斗の手を取るだろう。 素人で、しかも学生であるにもかかわらず、探偵としての意地に拘り、事件を解決するためなら手段── たとえそれが犯罪行為に類するものであったとしても── を選ばない新一と、同じ素人でも、そして怪盗という犯罪者の道を選んでも、より犠牲の少ない、正当な手段で組織を壊滅に追い込んだ快斗。どちらが上かと言われれば、警視庁の面々はどうか知らないが、自分は間違いなく快斗を選ぶと志保は思う。
加えて司法取引の一環なのかもしれないが、快斗は今もICPOに協力している。
そんな快斗を志保は誇らしいと思う。自分の目的をはっきりと持ち、それを成し遂げた快斗を。
その日は、街に出て上映されている映画を観、買い物をして、今はカフェでお茶をした。どこにでもいるカップルのように。今日のように快斗が迎えに来たり、外で待ち合わせたりして。
そう、どこにでもいるカップルのように。だが、実態は違う。
二人は犯罪者同士であり、秘密を共有する間柄。けれどそれでも、普段はどこにでもいるカップルのように、時々ではあるがこうして一緒に外出して、所謂デートと呼べる行為をしている。
初めて出会ったのはお互いに10歳になるかならないかの頃のアメリカで、当時は、こんな関係になるとは考えてもいなかった。それでも今こうしていられるのは、ひとえに快斗が自分のことを忘れないでいてくれたからだ。そして小さな躰になった自分を見つけ、元の身体に戻るために、組織を壊滅させるために尽力してくれたからだ。どんなに感謝してもし足りない。
そして思う。そんな快斗に自分は何をしてやれるのだろうと。
志保がそんなふうに思っていることを快斗は察しているのだろうか。彼は時々、呟くように志保に告げてくる。
「Je vous aime」と。
日本語で告げるのが恥ずかしいかのように、異国の言葉で。
自分に快斗のそんな想いを受け止める資格があるのだろうかと思いつつも、志保は嬉しかった。だから告げられる度に応えるのだ。
「私もよ」と。
そう一言答えただけで、快斗は嬉しそうに微笑みを浮かべてくれる。そしてそれがまた志保を幸福にしてくれるのだ。本当にこんなにも幸福でいいのかと思ってしまう程に。
── Fine
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