Une date




 はじまりは、朝食の席での快斗の母親である千影の何気ない一言だった。
「たまには娘と一緒にお買い物デートがしたいわー」
「へ?」
 じーっと快斗の顔を見つめながら呟かれたその言葉に、快斗は目を見開き、きょとんとした顔を向けることしかできなかった。



 これもまた、母は強し、なのだろうか。
 快斗は母親の言葉に逆らえなかった。
 つまりどういうことかというと、仕事でもないのに女装して、娘として、母親と買い物に出てきている状態だ。
 仕事でもないのに何でわざわざ女装……そう思いながらも、逆らうこともできず、半ば俯き加減で母親と一緒に買い物に出掛け、大きな紙袋を二人して幾つも持って、お茶をするためにカフェに入ったところだ。
 四人掛けのテーブルに案内され、千影と女装して可愛い年頃の娘となっている快斗は向かい合わせに座り、空いている椅子に買い物袋を置いている。
 そうして二人して運ばれてきたケーキセットを食しているわけだが、母親の機嫌はすこぶるいい。
「ずーっと娘が欲しいなーって思ってたのよねー」
「母さん……」
「娘と一緒にお買い物って、一度やってみたかったのよ」
 フォークでシフォンケーキを口に運びながら、千影は漸く夢が叶ったとでもいうように、それは嬉しそうに今は娘である快斗に告げた。
「でもできたのは息子一人だけで残念至極だったんだけど、こんな形で夢が叶うなんて考えてなかったわあ」



 そうしてティータイムを堪能した後、千影は再び、今は“娘”である快斗を連れて街中に出た。
 そうして暫く歩いていると、少し前に見覚えのある顔をした人物が歩いてくるのが見えた。それに気付いた快斗が思わず下を向く。
 それに気付いているのかいないのか、千影は、その人物に声を掛けた。
「白馬君じゃないの、久し振りねぇ」
「黒羽さん」
 掛けられた声に気付いたその人物── 白馬探── は、自分に声を掛けた相手の名を呼び、急ぎ足で駆け寄った。
「今日は一人? ばあやさんは?」
「僕だって一人で行動することくらいありますよ」
 千影の問い掛けに苦笑気味に白馬が答える。
「それより、貴方は? お買い物、ですか?」
 手に下げられた幾つもの店名、ブランド名入りの袋を見て問い返した。
「ええ。今日は娘と一緒にお買い物なの」
 嬉しそうにそう答える千影に、“娘?”と首を捻りながら、先程から俯き加減で彼女の隣に立っている少女を見下ろした。黒羽千影の子供は、現在白馬が、そういった意味合いでお付き合いしている息子の快斗が一人いるだけで、娘などいなかったはず。そう思いながら、俯いているのでよくは見えないが、それでも少女の顔をよく見やる。
「えっ、き、君、も、もしかして……!?」
 白馬が気付いたらしいと理解した快斗の顔が、真っ赤に染まった。
 快斗は白馬の前で変装していたことはこれまでも何度かある。しかし今の快斗は、とりたてて変装しているわけではない。セミロングのウィッグを被り、薄化粧を施しているだけで地は殆ど変えていないのだ。
「……」
 快斗は益々顔を赤らめていくだけで何も答えない、否、答えられないでいる。
 そんな二人の様子に、ピンと閃いたように千影は提案を出した。
「とりあえず、娘と買い物デートは堪能したから、これからは貴方たちが普通の恋人らしいデートをすればいいわ」
「か、母さん!?」
「黒羽さん!」
 二人は千影の言葉に思わずその顔を見た。
「たまにはこんなこともいいでしょ? だって普段はそれらしいデートできてなさそうだし」
 どこかからかい気味に、楽しそうに千影が続ける。
「ってこと、私は先に帰るわねー、ごゆっくりどうぞー」
 言葉尻にハートマークがついていたような気がするのは二人の気のせいだろうか。
 快斗が持っていた袋を無理矢理奪い取るようにして、千影はさっさと歩きだし、快斗と白馬はその後ろ姿を呆然と見送るしかなかった。
 やがて人混みの中にその後ろ姿がはっきりとは確認できなくなった頃、漸く我を取り戻した白馬が、改めて傍らの快斗を見た。
 その視線に気付いたのだろう、快斗が遠慮かちに白馬を見上げた。
「そ、その、よろしければ、ちょっとお茶でもしませんか?」
 コホンと軽く咳払いした後、白馬は快斗にそう告げた。
「う、うん」
 つい先程、お茶をしたばかりなんだけどな、などと思いつつも、返事に窮した快斗は、相変わらず顔を赤らめながら言葉少なに頷いた。
 そうして先刻まで入っていたのとはまた別の店に、二人して入る。
 入った店では先に入っていた客や店員たちの視線が一斉に二人に注がれる。それ程に似合いのカップルに思われたらしい。
 とはいえ、当の本人たちには一向にそんな自覚はないが。
 空いている席に案内された二人は、向かい合って座った。
 快斗は相川らず俯き気味で、白馬とまともに視線を合わせようとしない。おそらくそれは恥ずかしさからきているのだろうと朧ろに察した白馬は、それについては何も言わなかった。
 ウエイトレスに、白馬は自分用にストレートの紅茶を、そして快斗用に、ケーキセットをミルクティでオーダーした。
「で、今日はどうしてそのような格好で?」
 ウエイトレスが去った後、白馬は快斗にそっと問い掛けた。
「……そ、その、今朝、母さんから“娘と買い物デートがしたいわ”って、そう言われて……」
 快斗が真っ赤な顔をしながら小さな声で答える。
 おそらく仕事絡み、KIDとしてなら全く意に介すること無くするであろう女装。それをKIDとしてではなく、あくまでプライベートで、母親の要望により行ったこと、そしてあまつさえその姿を今白馬の前に曝していることに、余計に羞恥を煽られているのだろうことが白馬には容易に想像できた。
「似合ってますよ、何の違和感もない」
 白馬にすれば、それは褒め言葉の一つだったのかもしれない。が、言われた快斗は赤い顔を一層赤くしただけだった。
 そして実は、下を向いたままの快斗は気付かなかったが、そう告げた白馬の頬も常よりは幾分うっすらと赤かった。
 考えてみれば、外でこんなふうに普通の恋人同士としてのデートのようなものはしたことはなかった。もちろん二人で店に入ったことなど無かったわけではないが、それでも、知らぬ人間が見たらただの親しい友人同士くらいにしか見えなかっただろう。けれど今は誰がみても初々しい恋人同士に見える。
 暫くして届けられた注文品に口を付けながら、しかしこれといって何を話していいものやら、二人とも、そう、快斗だけではなく白馬も、些か途方に暮れていた。
 快斗にしても白馬にしても、今日のこの出会いはあまりにも唐突だったし、今までとはあまりに勝手が違い過ぎた。
「……その、今日の事後の、予定、は?」
 少しして、白馬がゆっくりと快斗に予定を尋ねた。
「と、特にこれといって……」
 そう、快斗に予定はない。白馬と出会ったりしなければ、今日は一日、“娘”として母親の買い物に付き合うだけのはずだったのだから。
「そ、そういう白馬は?」
 快斗は上目づかいにそっと聞き返した。
「用事は終わったところで、この後は空いてます。よければ、この後、映画でも?」
 一緒にどうですか、との問い掛けに、快斗は頷くことで答えとした。
 やがて店を出て雑踏に紛れた二人だったが、白馬が手を差し伸べ、快斗がその手を取って、二人して手を繋ぐという、これまでにないシチュエーションが繰り広げられた。それもこれ、快斗が女装しているという一点、その理由があげられるわけだが。
 男同士で手を繋いで歩くなんて、今までできなかった。けれど現在の白馬と、少女になった快斗ならばできること。誰も不思議には思わない。流石に腕を組む、絡み合わせる、まではいきなりいけないけれど、手を繋ぐ、くらいなら、実態はどうあれ、傍目には立派に男と女、何の不思議もないだろう。
 白馬は普段できないことをすることができた、叶った事実に、快斗にとってはいい迷惑だっただろう我儘を通した彼の母である千影に、二人だけにして先に帰ってくれたことも含めて感謝した。

── Fine




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