ある日の朝、大学に行ってみると大騒ぎになっていた。
何があったのかと一緒に登校した快斗と白馬は顔を見合わせた。そして白馬が近くを通りかかった学生の一人に声を掛けた。
「何があったんですか、この騒ぎは?」
その学生が応えて曰く。
「つい先程と言っていいかな、理工学部の篠崎教授の死体が発見されたんだ!」
「死体が!?」
「ああ。で、登校してきた工藤と服部が現場に向かった。もちろん大学側から警察に連絡も入れたみたいだけど」
大学構内で死体が発見されたとなれば、それは大騒ぎになって当然だ。
「……あの二人、相変わらず事件に首突っ込んでんだ」
溜息混じりに快斗が呟いた。そして傍らの白馬に尋ねる。
「で、おまえは? 行かなくていいの?」
快斗のその問いに、白馬は目を細めて答えを返した。
「僕は探偵ではありませんから。それを教えてくれたのは他ならぬ君でしょう、黒羽君」
「あー、まあ。でも同じこと工藤にも言ったことあるんだけどなー」
「それに死体が発見されたといっても、それが即事件とは限らないでしょう。理工学部の教授なら、僕の専攻とは違いますから、直接の関係もありませんしね」
「そんなの関係ないってスタンスが、工藤と服部だな」
「そのようですね」
T大は東都にあるこの国の最高学府である。管轄は警視庁になる。やがて程なく警視庁捜査一課の面々が鑑識共々大学にやって来た。
「やあ、工藤君、服部君。発見者は君たちかね?」
目暮警部が現場にいた新一と平次に声を掛けた。
「いいえ、違います。ただ死体が発見されたと聞いてやって来ただけです。それで直ぐに他の人間の立ち入りを禁止して、篠崎教授の関係者から話を聞きはじめたところです」
「そうか。相変わらず手際がいいな」
そう言って、目暮は工藤の肩を叩いた。
鑑識の人間がさっそく仕事に取り掛かる。
床に倒れ伏した苦悶の表情を浮かべて死んでいる篠崎教授の死体は、司法解剖に回されるべく、運び出された。
篠崎教授が倒れていた付近ではこれといって誰かと争った跡などなかった。ただ、テーブルの上にマグカップが倒れ、その中身が床にまで零れているくらいだ。
「毒殺でしょうか」
「しかし他に人がいた様子は、今見る限りではないな」
高木の問い掛けに目暮が答えた。
「殺害事件だったとして、犯人が自分の使ったカップは片付けたということも十分に考えられます。
いずれにせよ、死因の確定が先かと思われますが」
新一の言葉に、いかにも、というように目暮は頷いた。
「君、そのカップから零れた液体の検査を急いでくれ。可能性としてはそれによる毒殺が高い。それと佐藤君、高木君、千葉君、君たちは工藤君たちと一緒に、死んだ篠崎教授に恨みを持つ者がいないか、聞き込みを」
目暮は新一や平次が捜査に加わるのは当然のことのように佐藤たちに指示を下した。
そんな様を野次馬をしていた学生の一人から学内のカフェで聞いた快斗と白馬は溜息を吐いた。
「何考えてるんだ、警察は。っていうか、この場合は捜査一課、と限定すべきか?」
テーブルになつくように伏していた快斗が、馬鹿か、といった風情で零した。
「そうですね。本来捜査権のない、しかもただの学生を捜査に当たらせるなど、問題大ありです」
「なんで連中は不思議に思わないかね?」
顔を上げた快斗が首を傾げる。
「今までもそうでしたからね。彼等にとっては当たり前のことになっているんでしょう」
「その当たり前が間違ってるってのによ。一度、お前の父親の警視総監に言った方がいいんじゃね?」
快斗と白馬の間でそんな会話が為されているとも知らず、新一と平次は捜査一課の聴取に参加していた。
翌日までに、死んだ篠崎教授が理工学部の学部長選挙に出馬予定であったことが分かった。つまり自殺をする要因は考えられないということだ。そのことから篠崎教授を邪魔に思っているとしたらその対立候補者と思われた。
篠崎教授の私生活ではこれといった問題はなく、学生たちの受けもよくて、他に篠崎教授を邪魔に思ったりするような者が該当しないのだ。
そして何より、件の液体からは毒物が検出された。それにより死因が毒殺であることは間違いないとされた。しかし肝心の篠崎教授がその液体を口にしたと思われる時間、件の候補者たちには、その周囲の者も含めて皆アリバイがあった。
では一体誰が毒物の入ったコーヒーと思われる液体を、どのようにして教授に飲ませたのか。それが一番の謎だった。
「死因は毒?」
カフェで快斗と白馬は会話を交わしていた。殺人事件として扱われることが決まった篠崎教授の死についてである。
「ええ。でも誰がどんなふうにして飲ませたのか、一向に分からないと」
「なんだ、そんなことかよ」
「何か知っているんですか?」
呆れたような口調の快斗に、白馬は彼が何かを知っているのかと興味をもって尋ねた。
「篠崎教授さ、コーヒーとか砂糖とか、薬品の名前を書いた瓶に入れてるんだよな。だからそれを知っている人間が中身を入れかえておけば、教授は何をしなくても自分からそうと知らずに毒薬を呑んだ可能性大なわけだ。実際そのことを知ってるのは、俺の他には多分そんなにいないはずだし」
「君は篠崎教授とも交流があったんですか?」
「まあちょっとね」 ならば快斗が篠崎教授がしていたことを知っていても当然だ。おそらく教授の研究室でコーヒーを飲んだことも一度や二度ではあるまい。でなければ、篠崎教授がそんなふうにコーヒーや砂糖をしまっているなど知りようがない。
白馬は懐から携帯を取り出した。掛ける先は父親である白馬警視総監である。
そして警視総監から目暮に連絡が入り、目暮は篠崎教授の研究室内にある薬品の瓶を押収して調べることとした。
やがて聞き込みの結果、篠崎教授の助手の一人が、学部長選挙の対立候補の一人に買収され、助教授の椅子を与えるとの約束と引き換えに、問題の瓶の中身をすり替えたことが判明した。
まさか瓶の中身がラベルにある通りの薬品ではなく、コーヒーなどの嗜好品の類であるなどということに考えが及ばなかった、知りようがなかった新一や平次は、今回の捜査にはさして役に立ってはいなかった。快斗の一言がなければ、知りえざる内容だったのである。
捜査の結果を白馬から知らされた快斗は、そうか、と頷いただけだった。
「君からの情報がなければ、捜査は行き詰っていたところだったそうです。父から君に対して感謝していると伝えてくれとのことでしたよ」
「別に、俺は知ってることをおまえに話しただけだよ。で、おまえが親父さんに伝えた、それだけだろ。別に大したことをした訳じゃない」
「それでも君が薬品のことを知っていなければ誰も思いつきもしませんでした。そのことを持ち出さなければ、犯人も言い逃れていたのが関の山です。探偵でもないのに捜査に首を突っ込んだ誰かさんたちより、遥かに君の方が役に立っていたということですよ」
白馬は満足そうに言って、快斗に「パフェなどどうですか、奢りますよ」と微笑いながら告げるのだった。
その頃、新一と平次の二人は思いもかけぬ捜査の展開に、自分たちは何をしていたのかと、がっくりと肩を落としていたらしい。
── Fine
|