分かってはいたことだ。息子の心が隣に越してきた姉弟に惹かれた時に。いや、捉われたと知れた時から。
ことに姉が皇帝の後宮におさめられ、後に父を憎み家を出て幼年学校に入った弟が息子を迎えに来た時、自分と同じ幼年学校に来ないかと手を差し伸べ、息子がその手を取った時に、それは確定したのだ。その時から、彼らの息子は、血の繋がりを持つ、確かに自分たちの息子であることに変わりはないが、それでも、もはやその心は自分たちから離れ、息子ではなくなったのだと。
長じて、幼年学校を卒業した息子は正式に軍人となった。そして、平民出身とは思えぬ程の速さで出世した。しかし、彼を庇って、息子はその命を落とした。庇われた彼は、傍で見ていられぬ程に落ち込んでいたという。そう、聞いた話では彼は己の半分を失ったのだと。それほどに息子は彼にとって大切な存在だったのだろう。
息子の葬儀は帝国軍葬で行われたが、彼らは出席しなかった。息子が決して望まないだろうことを、つまり、彼を責めてしまいそうだったし、周囲を軍人たちに囲まれるのは耐えられそうになかったからだ。
息子に対しては、生前に遡って数々の地位が与えられた。今までにも、そしてこれから先も、誰にも与えられぬだろう程のものが。そしてそれに伴っての遺族年金が両親たる彼らに贈られることとなった。しかし、そのようなものは欲しくはなかった。息子を生きて返してほしかった。あの姉弟と出会う前の、その成長した息子を。けれど── 。
暫くして、少し気持ちが落ち着いてから、彼らは息子の墓地を訪れた。場所は知らされていたが、実際に訪れるのは初めてのことだ。どのような形の墓地になっているのか、事前には知らなかった。
そしてその墓石を目の前にした時、母親は涙を流して崩れ落ちた。
その墓碑に刻まれた一言。
『Mein Freund』
それ以外には、息子の名前と生没年が刻まれているだけだ。
息子が幼年学校に入ってからは、ほんの数回、面会に訪れただけ、あとは電話や手紙を数度遣り取りしただけで、息子が正式に軍人になってからは、本当に数える程の手紙と、たった一度だけの帰宅があっただけに過ぎない。
幼年学校に入っていなければ、青年に達した時に徴兵されて末端の兵士として戦争に参戦しただろう。その中で戦死した可能性は高い。ことによっては、爆風に吹き飛ばされて、遺体すら残らなかったかもしれない。けれど、それでも息子は自分たちの息子であり続けただろう。
だが現実はどうだろう。
その墓石は周囲のどれよりも立派だったし、平民には考えられないほどの階級、地位を得て、息子の遺体はこの墓石の下で永遠の眠りについている。けれど、この下に眠っているのは彼らの息子ではないのだ。
“Mein Freund”── そのたった一言にどれ程の想いが込められているのかは知らない。知ろうとも思わない。
ただ分かっているのは、この墓石の下で永遠の眠りについている彼の血肉を構成していたDNAは間違いなく彼らの血を引く息子のものではあるが、それでも、それはあくまで躰だけのことであって、その心はとうに彼らの息子ではなくなっているということだ。息子が彼ら両親のことを忘れたことはなかったのは分かっているが、それでも、ここに眠っているのは息子ではなく、あくまで彼の友人でしかない。息子はやはり奪われたのだ、あの姉弟に。
夫は泣き崩れている妻を立たせると、墓石に背を向け、その躰を支えて、自らも涙を堪えながらゆっくりと歩き出した。もう二度とここに来ることはないだろうと思いながら。なぜなら、自分たちの息子は、彼の手をとり、家を出て幼年学校に入った時に既に失われていたのだろうから。
── das Ende
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