「タナトス……、お前を解放してやるよ」
解放── なんと心地よい響きだろう。それこそが、僕が最も望んだこと。
僕にとってこの世界はとても下らなくて、意味のない世界だ。そしてそこに住む人間はとても醜悪で、愚かとしか言いようがない。
彼等は自分たちの欲望を満たすために僕を生み出し、縛り付け、利用した。だから生まれてからの長い年月、僕は悪夢ばかり見続けてきた。
そんな世界にあって、僕は融合を繰り返すことで強くなり、いつしか一つの願いが生まれた。
意識界サーカディアへ行く── 。
そこでなら、人間に利用されることはもちろん、悪夢を見ることもなく、エーテル欠乏による消滅を恐れることもない。それはどんなに素晴らしいことだろう。
けれど実はそれは二次的なもので、何よりも願ったのは、この世界から解き放たれることだ。そしてこの世界から解放される術を考えて出た答えが、サーカディアへ行くというものだった。
ではサーカディアへ行くにはどうしたらいいのか。それにはこの物質界と意識界を融合させること。
しかしそれはこの物質界の消滅を意味する。
だがそれが一体何だというのだろう。こんな世界は滅びてしまえばいいのだ。僕にはこの世界がどうなろうと、何の感慨もない。いや、むしろこの世界の滅亡は、僕に大いなる歓喜をもたらすだろう。
そのために僕は僕の力を、人間のためではなく、僕自身のために使うことにした。僕を利用してきた人間を逆に利用して、僕は僕の望みを手に入れるのだ。
そうして年月を重ね、サーカディアとの融合の時まであと僅かという時になって彼が戻ってきた。
この10年の間、常に僕の心の片隅を占めていた、一度も忘れたことのない、忘れようのない彼── 僕の半身。
彼との再会は、僕に喜びと失望とを同時にもたらした。
最初は、彼がこの街へ、僕の元へ戻ってきたことが純粋に嬉しかった。彼はこの世界で唯一、僕と同じ存在だから。彼がいると、僕は一人ではないのだと実感できる。
次に感じたのは、失望。
昔、彼がまだ幼い頃、一緒にサーカディアに行こうと誘う僕に彼は言った。
僕が悪夢しか見ることのないこの世界で、いい夢も見ると。だからこの世界を滅ぼさないで── と。
僕の半身でありながら、僕に逆らった。
いや、もしかしたら半身だからこそ、彼が望むことは僕の反対なのだろうか。僕達は表裏の関係なのか。
そして再会した彼は、僕の施した封印により以前の記憶がないのにも関わらず、その頃と何も変わっていなかった。
また、僕に逆らう。
また、僕の手を拒み、僕の敵に回った。
また、僕は共にあるはずの僕の半身に裏切られた。
そんな深い失望を感じる一方で、けれどどこかでそれを喜んでいる自分がいた。
認めたくはなかった。けれど、確かにあったのだ。
彼は僕の解放者になるだろう── と、彼によって僕はこの世界から解放されるに違いないと、そう感じる自分がいた。
再会したばかりの頃の彼は、封印により記憶を失ったままで、そのために覚醒は不完全であり、力も微々たるものだった。
そんな彼に対して、僕は次々とナイトメアを送り込んだ。
ナイトメアと戦うことで、僕の意図したとおりに彼の覚醒は促され、明らかに力も強くなっていった。
僕の半身である彼の潜在能力は僕に匹敵する、いや、同等のものだ。そう、つまり彼が完全に覚醒した場合、彼は唯一僕と互角に戦える存在になるということ。そしてそれは、僕たちが直接戦った場合、僕が敗れ、消滅する可能性もあることを意味している。もちろん同等の割合でその逆の可能性も存在するが。
しかしそれでも、彼の覚醒を促すことをやめることはできなかった。それは僕が、彼に僕の解放者となることを望んでいたからかもしれない。
だから彼が覚醒を進め、力をつけていくさまを見るのはとても楽しかったし、嬉しかった。僕が生きてきたこの長い年月の中で、おそらくは最も充実した日々と言えた。
だがその日々も間もなく終わろうとしている。僕の敗北── 消滅── によって……。
「タナトス、なぜこの世界を滅ぼしたいんだ」
「ククク……、知ったことか……。おまえたちの……その貧弱な意思に尋ねてみたらどうだ? 僕には世界を破滅させる力がある。僕を止めなければ……世界は終わるぞ?」
「……僕は……約束を果たすよ」
「……やるがいい」
そうだ、やるがいい。そして全てを終らせてくれ。僕を、覚めることのない悪夢から解放してくれ── 。
サーカディアへ行くという望みはこれで絶たれたけれど、悔いはない。
最後に、短い間ではあったけれどはじめて楽しいと思える日々を送ることができたから、だからもういい。
唯一の気がかりは、この世界にただ一人残る君のこと。
だから、この世界に、もし人間が神と呼ぶ存在が本当にいるのなら、君のために、もう一人の僕のために祈ろう。
君がこれから先を過ごすこの世界での幸せを、この世界での生に幸多きことを……。
Auf Wiedersehen!
Meine geliebtes seitenstück……
── das Ende
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