終  章(エピローグ)




「波嵐万丈が姿を消したそうだよ」
 ギリアム・イェーガーの声に、クワトロ・バジーナは書類から目を上げてギリアムの顔を見た。
「……そうか……」
 一瞬だけ眉を潜め、それから短く答えた。
「あまり驚かないんだな。知っていた、というわけでもなさそうだが。それとも……、知っていたのか?」
「……そんな予感があった、という程のものでもないが……。だがそうだな、やはりどこかで予期していた部分はあったのかもしれない。彼ならそうしても不思議はない、とね」
 言いながら、クワトロはギリアムを執務机の脇のソファセットに促した。
「すまないが、コーヒーを2つ、持ってきてくれ」
『畏まりました』
 インターホンで隣室にいる秘書役を務めてくれている女性にコーヒーを頼んでから、クワトロはギリアムの向かい側のソファに腰を降ろした。
「 万丈君が戦っていた目的は、メガノイドの野望を打ち砕き、コロスとドン・ザウサーを倒すことだった。彼は誰よりもメガノイドの恐ろしさ、そして愚かさを知っていたから。犠牲になった母親と兄、そして何よりも、メガノイドを作り出したのが自分の父親であったことからね。だからこそ彼はメガノイドを滅ぼさなければならなかった。これは、いわば私怨だよ。もちろん戦いそのものにおいてはそれだけではなかったがね。ましてやコロスとドン・ザウサーがDCを復興させてからは。・・・・・・彼自身の戦いは火星でドン・ザウサーを倒した時に終わったんだろう」
 クワトロがそこまで言った時、ドアをノックする音がして、
「失礼いたします」
 コーヒーを持った女性秘書が入ってきた。
 二人の前にコーヒーを置き、それからクワトロに尋ねた。
「他に御用はございますか?」
「いや、今日はもう帰っていい」
「では、お先に失礼させていただきます」
 そう告げて秘書が退室していった後、二人はカップを手に取り、コーヒーを口にした。
「……メガノイドを滅ぼすことが彼の戦いの目的であり、ひいては生きる目的だったようなものだ。それを終えて、これから彼は何を目的に生きていくのだろうな……」
 最後のほうはギリアムに対してというよりも、自問自答のように呟くと、クワトロはソファに背を預けて深い溜息をついた。
「……クワトロ大尉、もしかして君も、彼のように姿を消したいなどと思ってるわけじゃないだろうね」
「そうだと言ったら、どうする?」
「我々は君を逃がす気はない。分かっているだろう?」
「この上まだ私に道化を演じろというのか」
「君以外の誰がいる?」
 クワトロは足を組み直し、真っ直ぐにギリアムを見つめた。
「私は軍人だ。政治家ではない」
「そんなことは分かっている」
「軍人が権力を握るとロクなことがない」
「そうとばかりは限らないさ。過去には正当な選挙で選ばれて国家元首となり、善政を施いた者もいる」
「……知っているか? 昔、デギン・ザビは息子のギレンに向かってこう言ったことがあるそうだ。“ヒトラーの尻尾”、とね」
「ヒトラー? アドルフ・ヒトラーか?」
 突然話題を変えたクワトロをいぶかしみながらも、ギリアムは一つの民族の滅亡を願って虐殺を行い、千年帝国を夢見て世界を征服しようとし、終には自滅した悪名高き歴史上の人物の名を聞き返した。
「そう。もし権力を握った私がそうなったらどうする? そうならないという保証はどこにもないだろう?」
「何を言い出すのかと思ったら……」
 ギリアムは微笑みを浮かべながらクワトロに返した。
「君はそうはならないさ」
「随分と自信を持って言うな」
「君のことはよく理解しているつもりだよ。君は決してヒトラーにはなり得ないし、我々がそうはさせないさ」
「まったく、ああ言えばこう言う……。私を逃がしてくれる気はさらさら無いというわけだな」
「そうだ。我々には君が必要だ。ジオン・ズム・ダイクンの息子である君がね、キャスバル・レム・ダイクン」
「…………」
「連邦政府に、宇宙移民者の正当な権利を認めさせる── それが宇宙に住む者達の一番の悲願だ。そしてそれができるのは君だけだと、皆思っている。かつては敵にも味方にも『赤い彗星』として勇名を馳せたニュータイプ、しかもあのジオン・ダイクンの遺児── 宇宙移民者の代表、象徴として、君以上に相応しい者はいない。諦めるんだな」
 クワトロは冷めてきたコーヒーを一口含んでから、静かな声で答えた。
「……私は、ニュータイプなどではないよ」
「え?」
「そもそも人の革新を、ニュータイプを唱えたのは私の父、ジオン・ダイクンだ。だからニュータイプのことはよく知っている。ニュータイプとはどういったものか、ヘタな研究者よりは知っていると思うし、よりニュータイプに近い存在とは思うが……、決してニュータイプではない。少なくとも、私自身はそう思っている」
「では言わせてもらうが、はっきり言って、君がニュータイプか否か、そんなことは市民には関係ない。皆は君をニュータイプだと思っている── それが事実であり真実だよ。そして我々が必要としているのは、君という存在そのものだ。君ほどのカリスマ性を持つ者は今現在、他に存在しないからね」
 クワトロは何も言わず、ただ今日何度目かの深い溜息をついた。
「君が無能であれば、いくらジオン・ダイクンの息子でもこうはならなかったろうにな。君は有能だよ。政治家としても立派にやっていけるさ、私が保証するよ」
「君の人を見る目は信用するが、そんな保証は嬉しくもなんともないな」
「後悔しているのかい、あのダカールでの演説を? あの演説がなかったら、君はまだ戦場に身を置いていられただろうに、あれでジオン・ダイクンの意思を継ぐと宣言したようなものだしな」
「そんなつもりで言ったつもりはなかったんだがな。だが……後悔はしていない。ブレックス准将が亡くなられて、あの時はあれしか方法がなかった」
 全てをクワトロに託して息を引き取ったブレックスの最期が、クワトロの脳裏を過る。
 守りきることができなかった。その後の行動を後悔してはいないが、あの時ブレックスが死んでいなければ、自分の立場は今とは随分違ったものになっていただろうに、とは思う。
「クワトロ大尉、君にはすまないと思っている。それに君が疲れているのも分かっている。政治の場よりも、戦場に身を置いていたいと思っていることも」
 言いながら、ギリアムは静かにソファから立ち上がった。
「君にとっては道化芝居かもしれないが、だが、軍人ではなく、政治家としての君を必要としている大勢の人間がいることを忘れないでくれ」
 そう言うと、ギリアムはクワトロを一人部屋に残して退室していった。





 ジオン・ズム・ダイクンの息子でなかったら、自分の人生は随分と違ったものになっていただろうにと思う。
 たとえそうであっても父親が暗殺されていなければ、あるいは、軍に身を投じずにずっと妹と共に地球にあったならば……。
「……アルティシア……」
 クワトロは瞳を閉ざし、妹の名を小さく呟いた。
 金色の髪を揺らしながら、いつも自分の後を付いて回っていた幼い妹。あの別れの日も、いつまでもどこまでも、泣きながら自分を追ってきた。誰よりも愛しくて大切にしていたたった一人の妹。その妹を捨てたあの日が、自分の人生の岐路だったのだろう。
 成長して再会した妹は、兄の生き方を否定して去り、ララァを失い── ……。
「アルティシア、今の私は、お前の目にはどのように映るのだろうな……。そしてララァ、お前は……」
 ── 大佐……。
 かつて自分が拾って育て、そして愛した懐かしい少女の、自分を呼ぶ声が木霊する。
「ララァ、こんな私を、おまえは嘲笑(わら)うか……?」
 ララァを失った時に、自分の中の何かも同時に失われたような気がする。あの時から自分の中の何かが変わったように思える。
「……私は、おまえの中で生まれ変わりたかったのかもしれない」
 立ち上がり、窓の外を望む。
 人工の夜の帳が降りる中、人工の灯りが次々に灯っていく。
「ギリアム、私にも野心はあったんだ……」





 クワトロ・バジーナ大尉が誰にも何も言わずに消息を絶ったのは、それから間もなくのことだった。

── Fine




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