バットマン・シティ




 殺した女から奪った宝石を左手に、そして右手には女を殺した拳銃を握ったまま、彼は夜の街を駆けていた。時折、後ろを振り返る。自分をつけてくる者は何も、誰もない。ただ、彼の足音だけが、夜の闇の中に響き渡る。
 もう大丈夫だろう。それに第一、誰にも見られてはいない。あそこにいたのは自分が殺したあの女だけで、他には誰もいはしなかった。
 そう思い、彼は走るのをやめた。歩を止め、もう一度後ろを振り返る。それから息を整えて、彼は再び前を向き、息を飲み込んだ。
「…………!?」
 自分の目の前に立つ、黒い影。彼は思わず後ずさった。
 雲の陰から姿を現した月の光が、影の姿を浮かび上がらせた。
「お、おまえは…………」
 影が動き、彼に近づいた。彼は拳銃を持ったままの右手を上げた。影に拳銃を向ける。
 影の心臓に向け、引金に指を掛けた。
「よ、寄るなよ、う、撃つぞ……!」
 拳銃を握る彼の手は、小刻みに震えていた。狙いを定められはしないだろうほどに。
「やめろ、来るなっ!」
 彼の指が、拳銃の引金を引いた。目の前の、蝙蝠の影に向かって─────





 ブルース・ウェインは、コーヒーを飲みながら新聞に目を通していた。
 紙面には、昨日起きた殺人事件の記事が大きく取り上げられていた。
 それはある一人暮らしの女性の家に強盗が押し入り、その女性を殺して宝石を奪っていったというものだった。そしてその犯人とおぼしき男が、近くから死体で発見されたとも書かれていた。
「またか。毎日毎日、よくもまあ飽きないものだな。一体いつになったら無くなることやら」
「それでも、以前に比べれば少なくなりましたよ」
 執事のアルフレッドは、ブルースが何について言っているのかを察して答えた。
「そうかね?」
「はい。以前はそれこそ毎日でございましたが、最近は、無い日もござますから」
 ブルースはそのアルフレッドの言葉に小さく微笑(わら)って新聞を畳んで脇に置いた。
 アルフレッドが言葉を続ける。
「バットマンが現れるようになってから、良くなりつつあります。いずれはもっと良くなりますよ」
「だといいがな」
「それに、何よりも昔と変わったのは、以前は犯罪に泣いていた者たちが、泣き寝入りなどせずに立ち上がるようになったことでございますね。これもバットマンによる良い影響の表れだと思いますが」
 アルフレッドの言うとおりかもしれない。
 かつて自分が両親を強盗に惨殺されたことをきっかけに犯罪者と戦うことを誓ったように、他にも、様々な形で犯罪者と戦おうとしている者たちがいる。すぐには無理でも、やがては犯罪も無くなっていくだろう、そうした者たちの勇気によって。
 ブルースはカップに残っていたコーヒーを飲み干すと椅子から立ち上がった。
「二十分ほどしたら出掛ける。表に車をまわしておいてくれ」
「畏まりました」





 夜空にバットシグナルが浮かび上がる。
 シグナルに呼ばれて、バットマンが現れる。ロビンと共に──
 月に投影された蝙蝠の陰が、バットマンを呼ぶ。
 バットマンがやってくる、犯罪者と戦うために。バットマンが……─────





 ある日、アメリカ国内の主だった新聞に、ゴッサム・シティからの広告が掲載された。

市警でもFBIでも解決できない難事件にお困りの方は、
ぜひ、私共にご相談下さい。
我が市のバットマンたちが皆様のお役に立ちます。
ゴッサム・シティ市長

── The End




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