夜叉ヶ池




 夜叉ヶ池は、福井県南条郡南越前町(旧今庄町)と岐阜県揖斐郡揖斐川町(旧坂内村)との境の、夜叉ヶ池山と三周ヶ岳との鞍部である標高1,099mの稜線直下北西側に位置し、周囲は原生林に覆われている。数十万年前に起きた地滑りによってできた窪地に雨水や周辺の山からの伏流水が溜まり、池になったと考えられている。
 この夜叉ヶ池には、遠い昔から竜神伝説が伝わっている。



 一帯は、戦前から過疎地域となりつつあり、はっきりいって田舎である。それがゆえに、ブリタニアとの戦争の際にも、特に攻撃目標となるような要因もなく、結果的に、被害はほとんど無いに等しいと言えた。
 それでも、元から少なかった若い者は、物流が悪くなって暮らしづらくなってきたことから、更に村を離れていく者が出て、一層過疎に拍車がかかった。
 そんな中、麓の一つの村の外れで良質のサクラダイトの鉱脈が発見された。
 それを知らされた総督のコーネリアは、ダールトンをはじめとして百名余りの兵士をKMFと共に村に派遣した。
 ダールトンは部下の兵士たちに命じて、周辺の村の住民たちを鉱脈の傍に集めさせた。過疎に向かっているとはいえ、それでも、周辺一体から二千人近く集められた。それは、若い者の姿はなく、逆に、動いて働くことなどままならぬような老人も多くおり、サクラダイトの発掘に携わることができると思われる者は、千人いるかどうかといったところだ。
 そうして集められた人々の間で、ひそひそと会話が交わされる。
「あの夫婦はいないのか?」
「その方がいい。もしあの二人まで連れてこられて、鐘をつく者がいなくなったら……」
「けど、ブリタニアに占領されて、こんな目にあうくらいならいっそ……」
「そうだ。そうすれば、儂たちも逃れることはできないが、少なくとも、此処にいるブリタニアの連中は……」
「どの道、老い先の短い者がほとんどだ。それなら本当に……」
 それらの会話はもちろん日本語で、ダールトンには理解できていない。しかし、命令を下す関係上、日本語を理解している者がいた。
 その者にも、最初は本当に小さな声で交わされていたこともあり、その会話の内容は理解できていなかった。ただ、この場にいない者が二人存在する、それだけを理解したに過ぎず、そのことだけを彼はダールトンに告げた。
 その報告を受けたダールトンが、部下にその二人を探すように命じようとした時、ゴーンと数度、鐘の鳴る音が響き渡った。
「誰かが鐘をついているようだな。ということは、そのいない二人というのは、その鐘の所にいるのだろう。それを探し出して連れて来い」
 そうダールトンは命じて、十名余りの部下を何ヵ所かに向かわせた。
 その様子を見ていた一人のイレブンの老人が、ダールトンの命じたことを察して呟いた。
「……これで終わりだ……」



 やがて暫くして、夫婦と思われる二人の男女が連れてこられた。その二人は、この場に集められたイレブンの中では最も若いようで、三十代半ばくらいだろうと見うけられた。
「この先の池畔付近に鐘楼があって、その近くのあばら家にいたのを見つけました」
 二人を連れてきた部下がそうダールトンに報告する。村からは外れた処だったために見つけそびれていたのだと。
 連れてこられた二人のうち、男がブリタニアの兵士に押さえ込まれながらも、ダールトンにブリタニア語で告げた。
「この地には、昔から一つの言い伝え、伝説がある。
 毎日、日に三度、決まった時刻に鐘をつかねば、このあたりは水に沈む。俺の家は代々それを行ってきた。両親が、父親が亡くなってからは俺が、今までその鐘をついてきた。その俺が此処にいるということは、それができなくなるということだ。
 どうする? 貴様の部下の誰かに、俺の代わりにやらせるとでもいうか? 毎日毎日、日に三度、時刻を違えることなく鐘をつき続けるか!?
 それができねば、全ては水に沈むぞ、貴様らが求めるサクラダイトの鉱脈とやらも水底に沈む。
 それとも、貴様らにはそのような言い伝えはただ馬鹿らしいだけのもので、無視して全てを水に沈めるか、此処にいる、貴様らがナンバーズ、イレブンと呼んで蔑む人々と共に!!」
 そう言葉を投げつけられたダールトンは、兵士に抑えられているその男を思い切り殴りつけた。押さえつけられていたがために倒れることはなかったが、頬にははっきりと殴られた痕がつき、体勢を崩した。
「あなた! 晃さん!」
 共に連れてこられた、妻だろう女が男を呼ぶ。
「大丈夫だ、百合。
 ブリタニアに侵略されて、ナンバーズとして、日本人ではなく、イレブンと呼ばれて奴隷のように生きていくくらいなら、いっそのこと、誓約を破って皆して水底に沈んだ方がましというものだろうさ」



 伝説は告げる。
 昔、人と水が戦ってこの里が滅びようとした時、越の大徳泰澄が、強力で竜神を夜叉ヶ池に封じ込んだ。
 その時、竜神は告げた。
『この地の沈むを救うために自由を奪わるるは是非に及ばん。
 そのかわりに鐘を鋳て麓に掛けて、昼夜に三度ずつ撞鳴らして我を驚かし、その約束を思い出させよ。
 我が性は自由を想う。気ままを望む。ともすれば誓を忘れて、北陸七道に水を漲らそうとする。
 鐘を撞くことを怠るな。
 その鐘を聞く間、約束は違えぬ、誓は破らん』
 そしてそれから日に三度、明六つ、暮六つ、丑満時に、一度として忘れられることなく、鐘楼守によって鐘は撞き続けられてきた。それは日本がブリタニアに占領され、その植民地として、国名を奪われ、エリア11と呼ばれるようになってからも、場所柄、ブリタニア軍の目がなかなか行き届かぬことを幸いに、それ以前と同様に鐘は撞き続けられ、約束は守られてきた。
 それが果たして単なる伝説に過ぎぬのか、それとも──
 暮六つの鐘はすでに撞かれた。次は丑満。
 しかし、集められた人々は、もう夕暮れ、まもなく夜になるということもあり、男の告げた言葉など、所詮はくだらぬ伝説に過ぎぬとばかりに、ダールトンは部下に命令を与えると、自分は直属の部下数名と共にトウキョウ租界へと戻っていった。



 残ったブリタニアの兵士たちは、ダールトンに命じられた通り、季節的にも春も終わりに近く夏が近い時期であり、月が出て、雲もほとんどなく、天候も雨の気配がなかったことから、住民たちを村の広場に集めると、急遽しつらえた柵の中に入れて出入りを封じた。さすがに身動きのできなさそうな老人たちは民家に入れたが。そしてサクラダイト掘削のための行動は明日からと、その夜は交代で見張ることにして、それぞれに適当に民家に入って休みを取った。
 そして本来なら鐘が撞かれるべき丑満時──
 鐘楼守が此処にいる以上、誰も鐘を撞くことはない。
 そして時が過ぎた時、ドドドドドッと大きな地鳴りがしたかと思うと、夜叉ヶ池の上に黒い煙が天高く立ち上り、それまでの問題のなかった天候が嘘のように、突如、雷が鳴り、稲光が走った。強風が吹き荒れ、村にいる者たちには分からなかったが、夜叉ヶ池から水が勢いよく舞い上がっていた。
「なんだ、一体何事が起きたんだ!?」
 集めた民衆を見張っていた者たちだけではない、交代で民家で寝みをとっていた者たちも慌てて飛び出してきた。
 その短い間に、夜叉ヶ池から津波のように水が村を襲った。
「わーっ、逃げろ!」
「連中はどうする!?」
「そんな奴ら、構ってられるか!」
「何が起きてるか分かないが、とにかくさっさと逃げたほうがよさそうだ!」
 ブリタニアの兵士たちが慌てて逃げ惑っている中、柵の中に閉じ込められた住民たちは、皆、祈るようにして夜叉ヶ池の方を見ていた。村を飲み込もうとしている大量の水、そしてそれによっておきる水煙の中、一匹の強大な竜の姿を見ることができた。
「ば、化け物だっ!! 助けてくれーっ」
 ブリタニアの兵士たちが竜の姿を見てそう叫ぶ中、住民たちは、これで最期と、自分たちの命が失われることを諦観しつつ、夜叉ヶ池から飛び出すようにして出てきた竜神に向けて祈りを捧げる。
 これで終わる、救われる、と── 。それは、命を失うことの悲しみよりも、ブリタニアの支配から解放されることへの喜びの方が大きかったことを示していたのかもしれない。住民たちは鐘楼守の夫婦と共にその命を終えた。
 そうして、夜叉ヶ池周辺の村々は、サクラダイトの鉱脈と共に、水底深く沈んでいった。ブリタニアの兵士たちは誰一人逃れることはできずに終わった。そしてそこに村があったことすら分からぬほどに、夜叉ヶ池は、池というよりも、湖といったほうがあっているほどの大きさになっていた。そんな中に、ポツンと、誰にも撞かれることのなくなった鐘楼だけが、その姿を残していた。



 翌日、ダールトンは深夜にあった「化け物がっ……」というたった一言の連絡を受けていたことから、何が起きたのかと、総督であるコーネリアの許可を得て、夜叉ヶ池付近に飛行艇で訪れたが、見渡す限り、一面全てが水、湖となっていた。村があった姿は、民家の一つとして確認することはできない。命ある者の姿は一人も確認できなかった。着陸することのできる場所すら見つけられず、ダールトンは致し方なくそのままトウキョウ租界の政庁に戻り、コーネリアに自分が確認してきた状況をありのままに報告した。
 一体何があったのか、もはや知るすべはない。ただ、男の告げた言葉だけが思い返され、ダールトンは、あれは単なる言い伝えなどではなく真実だったのかと、コーネリアにはそのことを告げてはいなかったが、そう思うしかなかった。
 その後、サクラダイトの鉱脈があった周辺をどうにかしようと近付こうとする者たちもいたが、何もできなかった。鉱脈があったはずの場所に、近付くことすらできなかったのだ。何をしようもない。
 そしてやがて、黒の騎士団との戦いが激化していく中、その村のことはいつしかコーネリアやダールトンの中から忘れられていった。今のコーネリアらにとっては、手のつけようがないサクラダイトの鉱脈よりも、どうにかしなければならない仮面をつけた謎の男、ゼロに率いられた黒の騎士団というテロリストの方が何よりも問題だったのだから。



 エリア11── かつての日本── は、様々な伝説、言い伝えに満ちている。その中には、妖怪や幻獣と言われる類のものや、怨霊など、普通の人間ではないものに関するものが多い。
 しかしその全てを、単なる言い伝え、迷信に過ぎないとは言い切れない。この夜叉ヶ池のように。たとえその真実が、他の人々に知られることがなくとも。

── The End




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