逃亡の果て




 第5皇妃マリアンヌが暗殺され、それによって、何よりも強力な盾であった母を失ったことで弱者として分類されたルルーシュとナナリーの二人は、母暗殺のテロの際に負ったナナリーの重傷が漸く落ち着きをみせ、容態が安定してほどなく、父である皇帝シャルルの命令のままに、親善のための留学と言う名目の下、今や一触即発の状態にある日本へと送られた。
 そして、やはり、というべきか、ルルーシュとナナリーという二人の幼い皇族がいるにもかかわらず、ブリタニアは日本に対して開戦した。
 開戦前も、開戦してからも、そして日本が敗戦して戦争が終了してからも、誰もルルーシュとナナリーを迎えには来なかった。そう、誰一人として。
 ナナリーがまだ病床にある頃、シャルルに謁見し、生きてはいないと、死んでいると同じと、そして日本へ行けと言われた時に、ルルーシュは自分たちは見捨てられたのかと思った。
 何の連絡もないままに日本とブリタニアが開戦し、青空にブリタニアの戦闘機を見た時、ルルーシュは、自分たちは本当に捨てられたのだと改めて思った。
 そして終戦となり、けれど、父はもちろんその遣いも、異母兄弟姉妹の誰も、当然の如く貴族も、誰一人として自分たちを探しには、迎えには来なかった。だからルルーシュは、ブリタニアは、父は、自分たちを完全に捨てた、もう要らないのだ、邪魔な不要な存在なのだと、改めて突き付けられた気がした。



 日本の降伏によって終戦を迎えると、ルルーシュは、元々少ない荷物ではあったが、その中でも本当に必要な物だけを持って、ナナリーを背負うと枢木神社の土蔵を後にした。
 その後は必死で、どれくらい歩いたのかも分からない。ただ、ブリタニア人である自分たちがナンバーズ── イレブンと呼ばれるようになった日本人たちに見つかるわけにもいかず、ただ逃げ続けるように歩き続けた。
 そうしてどのくらい経ったのか、ルルーシュは忘れられたかのように建っている一軒の、誰もいない小さな古い小屋を見つけた。狩猟小屋か何かだったのだろうか。幸いなことに、生きていくための最低限のものは揃っていた。近くには綺麗な水の流れる小川もあって、少なくとも、暫くの間、この小屋で生きていくことに不自由はなさそうだと判断すると、ナナリーと共にその小屋に落ち着いた。
 イレブンには、彼らの住まう町── ゲットー── には近付けない。黒髪であることが幸いして、伸びた前髪で目元を、瞳の色を隠し、薄汚れた風体をすれば、直ぐにはブリタニア人とは分からずに、サイズが合わなくなった古着や、憐れに思ってか畑で採れたものだと、僅かばかりの食糧を分けて貰うことはできた。しかし彼らから物を掠め取るようなことはできなかった。ルルーシュの矜持がそれを許さなかったし、それ以前に、彼ら自身が必要とする物資が元々不足がちなのである。そのようなこと、できようはずがない。
 建設された租界には入り込めない。ブリタニア軍をはじめとする関係施設にも近寄れない。
 ブリタニアに保護されるわけにはいかない。弱者として保護されるだけならばまだいい。けれどもし自分たちの出自が明らかになったらどうなるか。皇室に戻され、再び何処かの国に人質として出されるか、よくて飼い殺しにされるか。人質として出される時、今回のようにルルーシュとナナリーの二人一緒にとなるか、どうなるか何も分からない。そして母のように暗殺される危険性も全く無いとは言い切れない。それらを考えれば、あるいはイレブン以上にブリタニア人社会には近寄れなかった。
 イレブンからもブリタニア人からも隠れ逃げ続けて、どれだけの月日が流れただろう。
 僅かに入手した物、小屋の周辺や小川で採取した物でなんとか食いつなぎながら過ごしてきたが、本格的な冬になって、食べ物を手に入れるのは非常に困難になってきていた。いや、できなくなったと言っていいかもしれない。すでにここ何日も、水以外の物を口にしていない。
 ガリガリといってもいいくらいに痩せ細ってきたルルーシュとナナリー。
 すでに床に臥せっているだけのナナリーの手が、傍にいるルルーシュに伸ばされる。
「……おに……さま、ごめ、なさい。わ、たし、が……」
「私が」、その後にナナリーが何を言いたかったのか、言うつもりだったのか分からない。それきり、ナナリーの口が開くことはなかった。ナナリーは事切れた。
「ナナリー、ナナリーッ!」
 ナナリーの手を握り締め、自分の顔に寄せ、その名を叫ぶように呼びながらルルーシュは泣いた。それは彼らが日本に送られてから、ルルーシュが初めて流す涙だった。
 ルルーシュは情けなかった。他の何よりも大切なたった一人の妹を守ることができなかった己が。
「……ナナリー、僕ももうすぐ逝くよ。そう長いこと待たせはしない。決しておまえを一人にはしないから……」
 ルルーシュには己の限界が見えていた。そう、もう長くはないことが。
 父によって日本に送り込まれた時から分かっていたことだ。自分たちが死ぬために送りこまれたことは。だからいまさらなのだ。けれど、あえて自ら命を絶とうとは思わない。それがどんなに近い時に訪れることか分かってはいても、ルルーシュが自分から命を絶つことを、ナナリーは決して望みはしないだろうから。
 ほとんど立ち上がる気力も体力もすでにないルルーシュは、冷たい床の上、ナナリーの腕を胸に抱きしめるようにしてその隣に横になる。
 思い出すのは、まだ母が生きていて、元気なナナリーが庭を駆けまわり、それを木陰で本を読みながら見つめている自分。何時までもその日々が続くのだと信じていた頃のこと。
 ゆっくりと、ナナリーを見つめ続けるルルーシュの瞳が閉ざされていく。





 ルルーシュの知らぬ、父であるシャルルが考えている“ラグナレクの接続”。それが叶えば死者とも会話を交わすことができる。人々は嘘をつくことなく、他人の考えることを理解する。だからルルーシュたちのことを、命が助かれば、と多少は惜しみはしても、死んでしまっていても構わないと考えているとは、流石のルルーシュも知ろうはずがなかった。
 だがルルーシュは最後まで、ナナリーを守れなかったことを悔やみ、そして自分たちを見捨てたブリタニアを、父シャルルを憎しみながらその命の火を消した。
“ラグナレクの接続”によって、死者とも会話できる、理解できる、理解し合うことができると考えているシャルルだが、シャルルを憎むルルーシュを、シャルルは理解しても、それはルルーシュと理解し合うことになると、果たして言えるのだろうか。結局それは平行線を辿るだけで、理解し合うことなど有り得ないのだということに気付いているのだろうか。

── The End




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