失格者




 エリア11総督ナナリー・ヴィ・ブリタニアが就任演説の際に提唱した、かつての副総督ユーフェミア・リ・ブリタニアの提唱したものと同じ“行政特区日本”は失敗に終わった。ゼロは己を記号と化し、ゼロとなった100万もの日本人たちを「ゼロは国外追放」という、ブリタニア、正確にはエリア11政庁との約定の元、合法的に国外脱出させたのである。
“行政特区日本”は失敗するだろうと、ナナリーはオデュッセウスから言われていた。ナナリーはユーフェミアの犯した愚から何ら学んでおらず、ただユーフェミアの唱えた特区を再現したのみで、そこにはかつての失敗から得られたはずの教訓は何も活かされていないと。
 そして特区の失敗、ゼロの国外脱出を受けて、皇帝シャルルはナナリーの総督位からの解任、及び、ナイト・オブ・セブン枢木スザクの総督補佐解任を告げ、二人の本国への帰国を命じた。



 そうして帰国した二人を待っていたのは周囲の冷たい視線だった。
 ナナリーは失明しているためにそれを直接見ることは叶わなかったが、それでも肌を突き刺すようなその視線を感じ取ることは十分にでき、彼女は怯えた。
 何もかも異母兄(あに)オデュッセウスの言った通りだったのだ。ナナリーは、そしてスザクは、ユーフェミアの失敗から何一つ学ぶことなく、ただユーフェミアの提唱した特区という案は素晴らしいものだと、それだけを考えて再建しようとしていた。
 そしてスザクはゼロの邪魔さえなければ成功していたはずだと考えていた。まさかゼロがあのような奇策に出るなどとは想像もしていなかったのだ。
 特区という政策に失敗して皇帝の命により総督の任を、総督補佐の任を解任されて本国に戻った二人は、ブリタニア皇室においては失格者だった。何の実力もなく、ただ権力を求めただけの落伍者とみなされた。そんな者に暖かな視線を向ける者など、ブリタニアの皇族はもちろん、貴族たちも含めてどこにも一人も存在しない。
 二人に与えられたのは、失格者という烙印と、無知ということに対する侮蔑、冷遇だけだ。
 それでも、シャルルからすればナナリーは対ゼロ、すなわち対ルルーシュという点における切り札であり、そうそう棄てられるようなことはないだろうとスザクは考えていた。そしてゼロの正体を知る自分も同様に。だがそれはスザクの勝手な思い込みであり、シャルルがどう動くかは、シャルルの思惑以外の何物でもなかった。
「やはり失敗に終わったね、行政特区は」
 宮殿の中、謁見の間に向かっている途中、ナナリーとスザクは向かい側からやってきたオデュッセウスからそう声をかけられた。
「オデュッセウスお異母兄(にい)さま……」
「あれほど繰り返し念を押すように告げた私の言葉を君たちは何ら理解しなかった。当然の結果だろうね」
「殿下、ゼロの策略がなければ特区は成功していたはずです」
「……だから君たちは分かっていないと言ったのだよ。君たちはイレブンの間におけるブリタニアに対する感情はもちろん、ゼロという存在をあまりにも軽く、甘く見ていたということだ」
「それは……」
 スザクにはオデュッセウスに返す言葉が無かった。確かにイレブンと呼ばれている日本人たちの感情をきちんと理解できていたかと問われれば、是、とは言いきれない。自分たちは彼らの思いを、考えを確認したりなどしていなかったのだから。そしてまた、ゼロ、否、ルルーシュに比較したら、自分の能力が如何に不足しているか思い知らされるだけだ。あのような奇策、彼でなければ考えられなかっただろう。
「失敗に終わったが、ユーフェミアが己の皇籍奉還と引き換えに創り上げた特区、君は何と引き換えにするのかな、ナナリー」
「え?」
 自分は失敗を受けて総督の任を解かれた。それで十分なのではないかと思っていたナナリーは、虚を突かれたような顔をした。
「総督解任は特区の失敗を受けてのものだ。特区の再建に関しては、君は何もしていない。以前言ったように国是に反したものであるにもかかわらずだ。それも、誰にも相談せずに就任演説で唐突に持ち出した。失敗と特区の再建とは別問題だよ。よく考えることだ。枢木卿もね」
 それだけを告げると、オデュッセウスは従えていた己の騎士と共に立ち去っていった。
「スザクさん、私たち、これからどうなるんでしょう……?」
 オデュッセウスの言葉を受けて、不安になったのかナナリーはスザクに問いかけてきた。
「だ、大丈夫だよ、気にすることはない。特区の再建については、陛下は何も仰ってこなかったのだから、心配することはないよ。それに特区が失敗してしまったことについては、総督からの解任ということで終わっているんだから」
「そう、ですよね」
 ナナリーはスザクの言葉に、己を無理矢理納得させるしかなかった。
 そしてスザクは、あくまでルルーシュのことを考えれば、これ以上シャルルがナナリーや自分をどうにかするはずがないと、そう軽く考えていた。だからもうこれ以上のことはない、心配することなど何もないのだと、スザクは己に言い聞かせた。



 謁見の間で二人を待っていたシャルルの顔は険しかった。
「ナナリー・ヴィ・ブリタニア、ご命令により只今帰還致しました」
 見えぬ目で、それでもシャルルに向かってナナリーは精一杯の虚勢を張ってそう口にした。確かに自分は行政特区という政策を失敗して総督位を解任されはしたが、皇女であることに変わりはない、たとえ相手が実の父といえど、皇帝といえど、せめて皇女らしく振舞おうと。
「よく戻れたな、二人共」
「え? 帰国せよとのご命令なさったのはお父さまではありませんか?」
 ナナリーのその言葉に、シャルルの片眉がピクリと上がった。
「確かにそうであったな。だが、それでもそこまで涼しい顔をしてよく戻ってこれたものだと感心しておるのだ」
「どういうことでしょうか、陛下」
 わけが分からないというようにスザクが口にした。
 確かに特区は失敗した。そしてその失敗を受けて自分たちは解任され、帰国するようにと命じられた。自分たちはあくまでその命令に従ったまでのことで、一体それ以上の何を求めていたというのか。
「ユーフェミアは己の皇籍奉還と引き換えに行政特区の設立を認めさせた。それに対して、ナナリーよ、失敗に終わったとはいえ、特区を再建した事実は変えられん。そのことに対して、そなたは何をもって応えようというのか、それを聞いておる」
「あ……」
 そこに至って、ナナリーは以前にオデュッセウスから言われていた事を思い返した。そう、同じことを言われていたのだ。そしてつい先程も。
「それは、ナナリーも、いえ、ナナリー皇女殿下もユーフェミア殿下と同じように皇籍奉還をすべきだということですか?」
 ナナリーに代わって答えたのは、いや、問うたのはスザクだった。
「決まっておろう」
「そんな……」
 ナナリーには正直それほどの覚悟はなかったし、オデュッセウスから言われていたこととはいえ、すでに終わってしまったことを蒸し返すような真似を、今になってされるなどとは考えてもいなかった。
「お父さま、わ、私は……」
「ナナリーよ、そなたは先ほどから儂を父と呼んでいるが、ここは謁見の間、公式の場だ。公式の場では、儂は皇帝であり、そなたの父とは違う。そなたもまたそこまでユーフェミアと同じように公私混同を弁えぬ愚か者であったか」
 それは決して大きな声ではなかったが、己を、そしてユーフェミアをも引き合いに出して否定するシャルルに、ナナリーは震えた。しかしそれだけで、それ以上、彼女には答える術がなかった。
「枢木スザクよ、そなたもだ。そなたもナナリーと同じく何の役にも立たぬ愚か者だ。愚か者は、己の役目を果たすことのできぬ失格者は、弱者はブリタニアには不要! 二人とも早々にこの宮殿から立ち去れ!」
「そ、それではルル……、ゼロのことはどうなります! 自分はゼロと戦うために、ゼロを倒すために……!」
「それならおぬしでなくとも他のラウンズがおるわ。おぬし一人のみがゼロと対することのできる存在だとでも思っていたか、この愚か者が!」
 それだけ告げると、シャルルは近侍の者に二人を下がらせるようにと告げ、自分もまた謁見の間から去っていった。
「お、お父さま……」
 父に見捨てられた、その事実に、ナナリーは打ちのめされていた。オデュッセウスから言われていたにもかかわらず、改めて父から言われた言葉に、ナナリーは激しく傷ついていた。
 ナナリーが父に見捨てられるのはこれが初めてではない。二度目のことだ。けれど最初の時は兄のルルーシュがいたし、捨てられたという感覚はなかった。つまりナナリーにとっては、これが初めて実の父から見捨てられた経験になったといえる。
 そしてナナリーと同様に、あるいはそれ以上にスザクはショックを受けていた。
 ゼロ、すなわちルルーシュを抑えるためのカードとしてはナナリー以上のものは存在しない。だがそれをこうも簡単に切り捨てるシャルルという存在に、ブリタニアという国家の在り方に、スザクは激しい反発を覚えた。
 ルールに則ることが正しいことであり、自分は日本がエリア11となってブリタニアの支配下に置かれた時からずっとそうしてきたつもりであり、それなりにブリタニアという国の在り方を知っていたつもりだった。だがそれはあくまでスザクのつもりであって、表面上のことでしかなかったのだということを改めて思い知らされた格好だ。
 謁見の間を追い出された二人だったが、ナナリーは父シャルルの仕打ちに涙を流していた。
「スザクさん、私、これからどうすればいいんでしょう。お兄さまもいないのに、見つけられずにいるのに……」
「……」
 ナナリーのその言葉に、スザクは返す言葉を持たなかった。
 失格者の烙印を押された二人して、これから果たしてどうやっていけばいいのか、頼るべきあてもなく、スザクはナナリーの車椅子を押しながら、途方にくれるしかなかった。

── The End




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