勿過去悔 莫将来按 無万事怯




 学園祭用に臨時に設置されたプレハブの中に、ナナリーと二人で隠れるように潜みながら、ミレイが企画した20mのピザ作成のために、その生地をのばすための作業をしていた、スザクが操縦していた、かつてアッシュフォード家が研究開発していた第3世代KMFガニメデに救われ、その掌の上で、さも嬉しそうに、己の名前で“行政特区日本”の設立宣言と、それに続いてその内容を説明している、このエリア11の副総督である第3皇女ユーフェミアの声を、ルルーシュはナナリーと二人、互いに抱きしめあって、幾分震えながら耳にしていた。
「……お兄さま……、どういう、ことですか? 私、お兄さまと一緒にいられればそれだけでいいって、ユフィお異母姉(ねえ)さまにそう言ったのに……」
 ナナリーは不安を押し隠すこともできないまま、ルルーシュに尋ねるかのように口にした。おそらくはルルーシュにもその答えはないだろうと思いつつも。
 ルルーシュは安心させるようにナナリーを抱きしめ、その髪を優しく撫でながら、心の中は怒りに満ちていた。そしてまた同時に、以前に読んだことのある、小説の形をとってはいたが、実話に基づいた本にあった文章を思い出した。

【私の好きな言葉は「勿過去悔 莫将来按 無万事怯」である。過ぎ去ったことをくよくよ後悔するな。これからのことをあれこれ心配するな、すべての事をおそれるな、という意味であろう。人生万事塞翁が馬だ。まだ、わが人生の結論は出ていない。】

 以前は、完全にではないが、それに同意できる部分があった。だが今は違う。ルルーシュの心の中を後悔が占めていた。何故、スザクの存在を受け入れてしまったのか、友人だと、大切な親友だと公言してしまったのかと。
 スザクの学園への編入に関して言えば、これは学園としては受け入れざるを得なかったことは過ぎるほどに分かっている。何故なら、それは皇族であるユーフェミアの、たとえ本人にその自覚はなく、あくまで“お願い”であってたとしても、皇族の発したことであれば、それは必然的に“命令”以外の何物でもなく、それを断るなどということができようはずがない。もしも断ったりなどすれば、ユーフェミアにそこまでの意思はなかったとしても、学園はその存続を認められることなく、閉鎖に追い込まれ、かつてはヴィ家の後見を務める大公爵家であり、KMFの研究開発に大きく後見していたにもかかわらず、アッシュフォード家は皇妃であるマリアンヌを守ることができずに死なせてしまったということで爵位を剥奪された。そして今回、スザクの学園への編入を断れば、家は取り潰されることになるだろうことは明らかだ。ユーフェミアの、いや、より正確に言うなら、その実姉であり総督であるコーネリアとリ家の周囲が決して許さないであろうから。
 だからスザクの学園への編入に関しては致し方ない。それ以前に、ルルーシュがどうこうできる立場ではなかったのだから。
 ルルーシュが後悔しているのはその後のことだ。
 スザクが編入してくる前、総督であった第3皇子クロヴィスの暗殺犯として冤罪を着せられ連行されていたスザクを救い出したことについては後悔していない。何より、クロヴィスを殺したのはルルーシュであり、それを行った原因となった件に絡んで、クロヴィスの親衛隊に殺されそうになった時、スザクがルルーシュを殺すように命じられた時、スザクはそれを拒み、撃たれた。その時はてっきり死んでしまったと思ったのだが、だからある意味、冤罪を着せられた状態であったとはいえ、スザクが無事だったこと、死んでいなかったことに安心したのは事実だ。
 だからルルーシュが後悔しているのは、編入してきたスザクが元はナンバーズ、つまりイレブン上がりの名誉ブリタニア人だということから陰湿な苛めを受けていたのを見かねて、スザクが自分にとっては幼馴染の大切な親友だと公言したことだ。生徒会副会長という立場にあり、相応の人望があるルルーシュがそう告げれば、少なくとも苛めはなくなると、スザクが学園で過ごしやすくなると、スザクのことを思ってそう公言してしまった。それが、自分たち兄妹に危険を招く可能性があることを承知していながら。後から知ったことではあったが、スザクの編入は皇族の口利きであり、そうであれば、それをよく思わない者は多く、スザクの周辺を調べる者がいるだろう。その時に、もしすでに死亡して鬼籍に入っていることになっている自分たちのことが知られるようなことになったらどうなるか。連れ戻されてまた政治に利用されるか、あるいは暗殺されるか。そしてその時には自分たちを匿ってくれているアッシュフォード家とてただで済むはずがない。その危険性を考えれば、少しでもその可能性がある限り、公言すべきことではなかったのだ。
 むしろ、ルルーシュの思いを、敗戦直後、傍で聞いて知っていたことを思えば、スザク自身の考えがどうあれ、ルルーシュの立場からすれば、名誉となり軍人となった、つまりブリタニアに組したスザクは、たとえルルーシュにとっては初めて得た大切な親友であっても、裏切り者も同然だったのだから。
 ましてやそのスザクがユーフェミアによって選任騎士に任命され、スザクがその手をとって騎士となった後はなおさらだ。しかもスザクは、ユーフェミアがいいと言ってくれているからと、騎士という者のあるべき立場、意味を考えることもなく── それはスザクの通学を認めた、つまり常に自分の傍らにいなくてもよいとしたユーフェミアにも言えることだが── 士官学校ならまだしも、一般の学園であるアッシュフォードに通学し続けるということにより、危険性はいや増した。それはルルーシュたちに限ったことではなく、スザクの名誉ブリタニア人ということを考えれば、学園そのもの、そこに在籍する教職員や生徒全てに、何らかの危害を加えられる可能性が出たのだ。
 それらを考えれば、ルルーシュはスザクに手を差し伸べるべきではなかったのだ。友人だと公言し、他の生徒たちによる苛めから守り、スザクが学園で過ごしやすいように計らってやることなどなかった。逆効果でしかなかったのだ。ことにスザクが選任騎士と任命された以降はことさらに。自分たちと学園、そして他の教職員や生徒たちのことを考えたなら、会長たるミレイを通してでいい、スザクに己の立場を自覚させ、そのことによって学園に起きるであろう可能性を強く訴え、スザクから自主退学するように理を尽くすべきだったのだ。本人からの自主退学の申し出であれば、いかに皇族といえど、ましてやユーフェミアの性格を考えれば、何も問題なく無事に済んだであろうから。
 しかしそれをしなかったばかりに、現在、ルルーシュが想定していた内容とは異なる、全く別の、そして最悪の事態が起きている。
 ユーフェミアの差別は間違っている、イレブンの皆をどうにかしてやりたい、というその思いに嘘はないだろう。ただ、その影に隠れて、口にはされなかった、死んでしまったと思われていた大切な異母兄妹(きょうだい)であるルルーシュやナナリーとまた昔のように共に過ごしたいというものがあったのだが。
 ユーフェミアはあくまで副総督であり、上司たる総督をさしおいて己の名で政策を打ち出す権利はない。たとえその総督が実の姉であったとしても。そしてそれ以上に、“行政特区日本”は差別を当然とする弱肉強食を謳うブリタニアの国是に反したものだ。そのようなものが本国から認められようはずがない。仮に認められたとしても、それはユーフェミアの本来の思惑とは外れた形でだろう。そう、他のエリアに比べて格段に多い、エリア11のテロリストと彼らによるテロ行為、特にゼロを指令とした黒の騎士団という、すでに他国や他のエリアにも知られるようになった者たちを、ユーフェミアの提唱した特区を利用して潰そうといったところだろうと、ルルーシュには簡単に想像することができた。
 そのことを別にしても、ユーフェミアが口にしていることは、単なる理総論でしかありえない。加えて、良いと思われることだけを口にして、それによって起こるであろうデメリット、リスクが全く考えられていない。そう、このような形にしたいというだけで、実際にそれが成立した場合、どういった事態になるか、そういったことが全く考えられていない。本気で取り組むなら、それも含めて考え、政策としてきちんと公表すべきなのである。このような一般の学園で行われている学園祭の中で、突然思いついたかのように公表するのではなく。そのことだけをとっても、ユーフェミアの言う“行政特区日本”は政策ではない。愚策でしかないのだ。ましてや、ゼロたるルルーシュは、シンジュクゲットーを中心として独立を宣言するつもりで密かに計画を進めていた状態で、それがユーフェミアの行き当たりばったりといえる行為の結果、先を越されて全て無駄にされ、皇族が口にしたこと、ということを考えた場合、ユーフェミアを溺愛するコーネリアは、彼女の政策をなんとか理屈をつけて実行するだろう。そうなれば、黒の騎士団はもちろん、エリア11に存在するテロリスト組織は全て、その存在を否定され、潰されるも同然の状態になり、そうなれば、名誉となりながらブリタニアという国の本質を何も理解しないまま、中からの変革を、などと決してできもしないことを考えているスザクなどを別にすれば、イレブンと呼ばれ差別され、ブリタニア人からの暴虐を受けている日本人が真に望んでいる日本の独立は絶たれることになる。そのための力を奪われ、エリア11のまま、イレブンと呼ばれるまま、おそらくはこれまで以上に差別を、暴虐を受けることになるだろう。何も理解しておらず、これが正しく素晴らしい策だと信じ込んでいるいないユーフェミアとスザクによって。
 ゆえに、それらのことに早々に思い至ったルルーシュは、己のスザクが学園に編入してきて以来、彼にに対して行った過去の行為を、するべきだったであろうことをしなかったことを後悔し、今尚続いているユーフェミアの全国生放送で行われている発言に、これから先のことを心配し、恐れてやまないのだ。
 何事もなるようになる、と言われることもあるが、今回に限って言えば、なるようにしかならない、いや、このまま何もせずにいれば、結果は決まっている、としか言えないのではないだろうか。それが分かるがゆえに、ルルーシュはユーフェミアを、そしてただただ何も考えず、理解しないままにユーフェミアを賞賛しているだけのスザクを憎む。そしてかつてはそうかもしれないと思っていた言葉を、否定することしかできなくなるのだ。このままいけばいやでも決められてしまうであろうこれから先の人生をどうすべきか、おそらくはブリタニア側で決められるであろう結論を待つのではなく、考えなければならないと思うのだ。ナナリーが望む“優しい世界”を創るためにはどうすべきか、それも含めて、自分たち兄妹が無事に過ごしていくために、いかにしてユーフェミアの策を無きものとして、自分たちに、そして日本にとっていいようにもっていくべきか、その方法、結論を。

── The End




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