ゼロ・レクイエムの最終舞台を数日後に控えたある日、俺は軽い変装をすると、スザクたちの目を盗み、彼らに気付かれぬように政庁から出た。
特に行きたい目的の場所があったわけではなかったが、第2次トウキョウ決戦において使用されたフレイヤの被害から、完全にとまではいかずとも、それでもほぼ復旧なったトウキョウ租界の中をゆっくりと歩いて見て回り、その足は自然と公園へと向かっていた。
その公園はわりと広めで、池もある。その池畔にあるベンチの一つに腰掛けて、公園の中を見回した。そこでは、子供たちがそれぞれに遊びまわっている。その周囲にいて子供たちの様子を見ている大人たちが懸念し、恐怖を抱いている“悪逆皇帝”のことなど何も知らぬげに。
公園の周囲は緑なす樹木や花々に囲まれ、その向こうには近代的な建物が建ち並んでいる。
俺が人々に植えつけた“悪逆皇帝”の悪政と残虐な行為、それに対する人々の心境、脅えや恐れといったものを別にすれば、これが、市民が本来何よりも望んでいることなのだろうと思う。日々安楽に暮らし、市民としての務めを果たし、そして他人には邪魔をされないこと。それが大方の市民のささやかな、けれど強い希望、望みではないのかと。
以前、俺の実父であったブリタニアの先帝シャルル・ジ・ブリタニアの時代、世界は戦争に明け暮れていた。それは弱肉強食を謳うブリタニアの、皇帝シャルルによる他国への侵略戦争であり、その戦争に敗れた国々は植民地となり、そうして国の名を奪われてナンバリングされ、その国の人々はナンバーズとして差別され、搾取され続けていた。まだ侵略されていない国々も、何時自分たちの国が侵略されることになるかと恐れていた。
シャルルがそういった侵略戦争を繰り返して多くの国々を支配下に置いていったその原因は、彼と彼の周囲の極一握りの存在だけの歪んだ野望、彼らだけが良いことだと狂信的に信じていた“嘘のない世界”を実現するためのものだった。自分こそが誰よりも嘘をつき、そしてまた他の者に嘘をつかせていたというのに、なんという矛盾であったことか。そして彼らはそのことには気付いていなかった。自分たちの行うこと、行おうとしていることだけが正しいのだと盲目的に信じ込んで。彼らの他には、誰もそんな世界を望んでなどいないというのに。
確かに、人は多かれ少なかれ嘘をついている。その嘘の中には、許されないような事ももちろんある。それは否定しないし、そのような嘘はあってはならないと思う。しかし、それは一部のことであって、たいていは他愛もないものだったりする。人々が生きていくための、円滑な人間関係── プライベートであれ、仕事上の事であれ── を築いていくためのものだ。つまり、この世界で生きていくための方便、身を守る術の一つに過ぎない。
もし仮に、シャルルたちの望んだ“嘘のない世界”を創るための“ラグナレクの接続”が成功していたとしたら、世界は、人々の意識はどうなっていたかと考えてもみる。
シャルルは、皆の意識が一つにり、互いに理解し合える世界、嘘のない世界が訪れる、それが平和に繋がると思っていたようだが、果たしてそうだろうか。人々の意識は、シャルルに従っていた者は別として、ブリタニアという国と、その皇帝シャルルへの怨嗟、そして本来ならいわれなき、受けることなどなかったはずの差別を受けてきたことへの辛さ、恨み、恐れなどで満ちていたことだろう。そんな中で、果たして意識の共有などということになった時、シャルルたちは人々の己らに対して抱かれている人々のその思いに耐えることができただろうか。シャルルたちは己らだけに都合のよいようにだけ考えて、実際の人々の意識がどうかなど、何一つ考えてはいなかった。それが理解っていれば、人類全ての意識の共有などという、あまりにも愚かで馬鹿な考えなど抱かなかったはずだ。つまり、彼らは自分たちのことしか見ていなかった、考えていなかったということだ。だから、彼らが為そうとしていた“ラグナレクの接続”を阻止したことは決して間違いではなかったと思う。
そして数日後、俺は世界中を相手に大きな嘘をつく。
人々を恐怖に陥れている“悪逆皇帝”ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。その死は、きっと人々の意識に改革を齎すだろう。力で、戦争によって人々を疲弊させてきたこれまでと異なり、人々は、その愚かしさに気付き、力ではなく、話し合いによる道を模索するようになるはず。そのための道標となるべきもの── 超合集国連合── は遺した。そしてまた、これまで戦争のために費やされてきた諸々のものは、新しい別のものへと向けられることだろう。そうなれば、人間同士、あるいは国同士、多少の揉め事はあるかもしれないが、何時しか人間は、この地球という狭い一つの大地の上だけではなく、そこを飛び出し、この太陽系の他の惑星へ、更には太陽系すら飛び出して、他の恒星系、他の惑星へと、その足跡を遺す時が訪れもしよう。
極少数の野望を抱く者たちが権力を握り、自分たちに都合のよい規範を一般大衆に押し付けようとすることの愚かしさを、すでに人々は理解しているはずだ。狂った信念に憑かれた者ではなく、自由を求める、それもまた一つの信念であり、そういった人々の信念が、必ずや、俺が望んだように、貧困や抑圧から解放され、平和を求め、優しい世界の構築のために互いに手を取り合って生きていくはずだ。俺はそう信じる。人々の力を、人々が本当に望むものを、ささやかな幸せを叶えていくだろうことを信じたい。
俺が人々に、世界に望むのは、人々にとってよりよい明日、ただそれだけだ。
── The End
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