「スザクさん」
エリア11総督就任式典の翌日、式典において再び“行政特区日本”の設立を宣言したナナリー・ヴィ・ブリタニアは、執務室で己の補佐たるナイト・オブ・ラウンズの一人、セブンのスザクに呼びかけた。
「何だい、ナナリー」
その場にいたのが二人だけだったこともあって、スザクは以前のように気安く総督であるナナリーの名を呼んだ。
「ゲットーに行って、日本人の皆さんの意見、意向を聞いてきていただくことはできませんか? 皆さんと同じ日本人であるスザクさんに対してなら、皆さんも色々と意見が言えると思うんです」
この時点で、ナナリーは大きな思い違いをしている。
枢木スザクは確かに日本人である。否、あった。その身の内に流れる血は紛れもなく日本人のものだ。しかし、現在のスザクは名誉ブリタニア人であり、皇帝直属の騎士たるラウンズ。日本人の血を引いているとはいえ、すでに日本人とは言えないのだ。
しかし、そのことに当事者であるスザク自身すら気付いていなかった。
「分かったよ、ナナリー。早速これからでも行ってくる」
「ラウンズのスザクさんにそのようなことをさせて申し訳ありません」
「ナナリーが気にすることはないよ。日本人たちの考えを知るのは今後のためにもいいことだしね」
「ありがとうございます」
そうしてスザクは政庁を後にし、日本人、すなわちイレブンの住まうゲットーへと足を向けた。
私服に着替えてゲットーに足を踏み入れたスザクを、そこに住まう人々が遠巻きに見ている。しかし見ているだけで、スザクに近寄ろうとはしない。そして彼らの瞳から読み取れる感情は、憎しみ、蔑み、そして非常に冷めたいものだった。
軍人のスザクにはそれらの視線が痛いほど分かったが、理由までは理解できなかった。何故自分がそれほどまでに冷たい瞳で見られねばならないのかと。
暫く周囲の様子を見ながら歩いていると、ある瓦礫に囲まれた猫の額のような狭い土地を黙々と耕している一人の老人の姿が見えた。老人はスザクの存在には気付いていないようで、スザクはその老人に思い切って声をかけてみることにした。
「すみません」
「ん?」
声をかけられて、老人は初めてその気配に気付いたとでもいうようにスザクの方に顔を向けたが、次の瞬間には、その顔色は怒りに染まっていた。
「出ていけ! この人殺しがっ!!」
「えっ?」
老人の怒りの声にわけが分からぬという顔でスザクは返した。
「儂の女房と息子を殺したブリタニアの人殺しが! さっさと儂の前から姿を消しやがれ!」
「なっ!? た、確かに僕は名誉ブリタニア人ですけど、日本人であることに変わりはありません。それに人殺しって、僕は……」
「日本人の魂を売った貴様が日本人などであるものか! ましてや一年前のブラック・リベリオンでは儂らの希望だったゼロをブリタニア皇帝に売って己の立身出世を買った不埒者が、自分を日本人だなどと言うではないわ!」
「何を言ってるんです! ゼロはテロリストで間違ったことをしていた奴です。それを法に則って捕まえただけです。不埒者だなんて言われるのは心外だ」
「日本人であることを捨てた貴様に儂らの何が分かる!? 貴様は日本人なんぞじゃない! ブリタニア人だ! 現にブリタニアの法に則っておるのだろうが!」
「当然でしょう、ここはブリタニアの植民地だ」
「ここは儂らの国だ、日本だ!」
遠巻きにしていて周囲に隠れていた者たちも、老人の周りに集い始めていた。
「ブリタニアで軍人として働いて、EUでは“白き死神”なんて通り名を付けられたそうじゃないか」 「ご立派なブリタニア人だ。日本の裏切り者、枢木スザク!」
「僕は裏切ってなんかいません! いずれ僕はラウンズのワンになって日本を返してもらうつもりです! ゼロのテロなんていう間違った方法に乗せられてはいけない!」
「ワンになって日本を返してもらうだって? 誇大妄想もいいところだ!」
「たとえ仮にそうなったとしても、あくまでブリタニアの属領であることに変わりはないじゃないか!」
「皇帝直属の騎士が、ブリタニアの国是に逆らった統治などできはしない! 結局此処はエリアのままで、私たちはナンバーズに甘んじるしかないのよ。そんなことも分からないの!?」
「私たちが望んでいるのはブリタニアからの、エリア11という名からの独立であって、ラウンズの支配するブリタニアの領土なんかじゃない!」
「結局力が全てというブリタニアから独立するには、同じく力で勝ち取るしかないのが分からないのか!」 「ゼロは私たちに夢を見せてくれた、そして今も夢を見せようとしてくれている。そんなゼロを、裏切り者のあんたに責める資格はないわ!」
詰め寄ってくる人々に、スザクは思わず後ずさった。
「で、でもナナリーは、総督は“行政特区日本”を創設して皆さんが少しでも暮らしやすくなるようにと……」
「たった一区画に過ぎない“行政特区日本”なんか望んでない! そんなことも分からんのか! 儂らが望んでいるのは独立だと彼女も言ったはずだ、聞こえていないのか!?」
「ブリタニア人に日本語は通じないか!」
嘲るように一人が言うと、別の一人が更なる言葉を続ける。
「ブリタニアの皇女様は施しがお好き。でもそれ以上に虐殺がお好みなんでしょう! 死神を傍に置いているのが何よりの証拠だわ!」
怒りと冷笑に満ちた人々の瞳に、嘲りと憎しみに満ちた声に、この人たちになんと言えばナナリーの真意を理解してもらえるのかとスザクは途方に暮れる。
黙ってしまったスザクに人々の声が更に激しさを増していく。 「裏切り者!」
「恥知らず!!」
「人を平気で殺す殺人鬼! 正しく死神の名に相応しいわね! EUではそれだけ多くの人を強者の理論で無情に殺してきたんでしょう?」
「ぼ、僕は正しい方法で……」
「貴様の言う正しい方法とは何だ! ブリタニアの弱肉強食の理論かっ!」
「ブリタニアに敗れた弱者の日本人には生きる権利はないんだろう!?」
「貴様は貴様だけが正しければいいんだろうが! 違うというならブリタニアに殺された儂の女房と息子を返せ!」
「私の恋人もよ」
「俺の両親もだ!」
目の前の人々を説得できるだけの言葉を持たないスザクは、後ずさり続ける。
「痛っ!」
ふいにスザクの右脇腹に痛みが走った。右手を見ると、母親と思しき女性の陰に子供が石を手にして立っていた。
「人殺しは出て行け! 父ちゃんを返せ!!」
よく見渡せば、他の人々も石や棒切れを手にしはじめている。
その有り様に、スザクは遂に人々の罵る声を後ろに反対方向へと駆け出した。
駄目だ、彼らには自分たちの、ナナリーと僕の言葉は通じないと、そう認識して租界に向けてスザクは駆け続けた。ナナリーになんと報告すればいいのかと、それだけを考えながら。
だがそれは日本人たちこそがスザクに言いたいことで、スザクこそ己の考えのみに固執し、大多数の日本人の心を何も分かっていない、理解しようとしていないのだと思っていることを、スザクは全く気付いておらず、また、知ろうともしていない。
── The End
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