「お兄さま、愛しています! お兄さまさえいてくだされば、私は……、お兄さまっ!」
ゼロの剣に刺し貫かれて息絶え、段々と冷たくなっていく兄の躰に取りすがってナナリーは泣き叫んだ。
ある日の朝、アリエス離宮の自室で目覚めたナナリーは、自分の頬が濡れていることに気付いて手で拭った。
目に入った手は、小さかった。不思議に思ってベッドから飛び降りて姿見の前に立つ。小さな子供の姿だった。
コテンと首を傾げる。
「夢?」
冷たくなっていく兄の躰に取りすがって泣いていた自分は一体なんだったのだろうと思う。ただの夢だったにしては感覚がリアルすぎて、思い出せばまた涙が溢れてくる。
そうしているうちに時間になり、侍女がやってきてナナリーの身仕度を手伝った。そうして身支度を終えたナナリーは、朝食を摂るべくダイニングルームに入る。
ダイニングルームには、すでに母と、兄のルルーシュ、そしてその兄の双子の妹であり自分にとっては姉であるリリーシャが席に着いていた。
自分の席に着きながら、ナナリーは思う。
夢の中では自分には兄のルルーシュだけで、姉はいなかったと。兄は自分一人の兄だったのに、何故現実ではそうではないのだろう。この自慢の兄が夢の中でのように自分だけのものであったら良かったのにと。
その日を境にしたかのように、ナナリーのルルーシュに対する独占欲が強くなった。
学校に行っている間は仕方ないと諦めているようだが、それ以外の時、例えばルルーシュとリリーシャが一緒にお茶をしていたりすると、必ず割って入る。ルルーシュにくっついて離れない。まるっきり親離れできない小さな子供のようにルルーシュに付いて回る。
ルルーシュとリリーシャは双子ということもあってか、何も言わずとも意思の疎通ができているようなところがある。それがナナリーのルルーシュに対する独占欲を刺激し、時には癇癪を起こすことさえあるようになってくると、流石にルルーシュもナナリーが兄である自分を慕ってくれるのは嬉しいと思いながらも、あまりにも度が過ぎた行為に眉を顰めるようになる。
「お兄さま、お兄さま、何処?」
今日もナナりーは兄の姿を捜して離宮の中を走り回る。
「ナナリー皇女殿下、ルルーシュ殿下は今日は学校のご学友とお出かけで、ご帰宅は夕方になられるとのことです」
侍女の一人がナナリーにそう答えた。
「そんな話聞いてないわ! どうしてお兄さまはナナリーを置いて出かけたりするの?」
「そう申されましても、ルルーシュ殿下にも殿下のお付き合いというものもおありなのですから」
「そんなの関係ないわ! お兄さまは私の傍にいてくださればいいのよ!」
理不尽に侍女を怒鳴りつけるナナリーに、クス、っと小さな笑い声が聞こえて、ナナリーはそちらに視線を向けた。そこにいたのは姉のリリーシャだった。
「ナナリーったら、本当に何時までたってもお兄さまっ子ね。それではお兄さまも大変だわ。それに本当のことを言った侍女をそんなふうに責めるものではなくてよ」
二卵性とは思えぬほどに兄に瓜二つの姉は、ナナリーのコンプレックスを刺激してやまない存在だった。自分は兄とはどこも似ていないのに、それなのに、同じ黒髪、同じ紫電の瞳と、どこまでも似ている姉。でも夢の中にはそんな存在はいなかった。自分には兄だけだった。
「お兄さまはナナリーだけのものよ! あなたなんて知らない、あなたなんか夢の中ではどこにもいなかったのに、なんで大きな顔してお兄さまの傍にいるのよ!」
癇癪を起こしてそう怒鳴り散らし、ナナリーは自分の部屋へと駆けこんでいった。
リリーシャは、困った妹だと、呆れ顔でその後ろ姿を見送りながら
「今に始まったことではないけれど、ナナリーがごめんなさいね」
そう傍らに留まる侍女に声をかける。
「いいえ、とんでもございません」
侍女はリリーシャに礼を取ると自分の仕事に戻るべく下がっていった。
「本当に困った妹ね」
一人になったリリーシャは深い溜息を吐きながら、心の中で思ったことと同じ言葉を繰り返した。
「それでなくてもお母さまが庶民出だということで他の皇族と何かと比較されがちなのに、あれではお母さまやお兄さまの評価にまで余計な傷がついてしまうわ」
自分のことは置いて、大好きな母や兄に余計な心配をかけたり評価を下げさせてしまうのはリリーシャにとって本意ではない。
けれど妹のナナリーはそんなことすら考えず、自分の見た夢とやらに憑りつかれたようにただひたすらに兄の姿を追いかけ回している。いい加減、兄のルルーシュも呆れ果てているのだが、ナナリーはそれに気付こうともしない。自分の気持ちだけで動いて周りを見ようとしない。本当に困ったものだ、とリリーシャは繰り返す。
年月が経っても、ナナリーのその傾向に変化はなかった。むしろ強まっているといえるかもしれない。
ルルーシュとリリーシャが高校を卒業し、ルルーシュは2番目の異母兄であり帝国宰相たるシュナイゼルの補佐に任ぜられ、リリーシャはそのルルーシュの手伝いをしている。秘書、といった感じだ。それゆえにルルーシュとリリーシャが共に過ごす時間は更に増え、ナナリーと共にある時間は減っていく。それが益々ナナリーを意固地にさせている。
「お兄さま、何処に行くの?」
その日の朝も何時ものようにナナリーはルルーシュに尋ねる。
「もちろん仕事だよ。宰相府の異母兄上の処へ行くに決まっているだろう」
「いや、出かけないでナナリーと一緒にいて」
「僕は遊んでいるわけじゃない、仕事をしているんだよ」
「ならナナリーも一緒に行くわ。リリーシャも一緒に行くんだからナナリーも一緒に行ってもいいでしょう?」
ルルーシュの手を取り、頑是ない子供のように取りすがる。
「ナナリーは学校があるだろう、そろそろおまえも出かけなければならない時間だよ、ナナリー」
「そんなの関係ないわ。私は、ナナリーはお兄さまと一緒にいたいの。お兄さまはナナリーと一緒にいなきゃ駄目なの!」
「ナナリー、おまえが僕を兄として慕ってくれるのは嬉しいけれど、ものには限度というものがある。それにそろそろ、いい加減に自分や僕、リリーシャの立場を理解してもいい齢だろう。そういつまでも我儘を言って周りの者を困らせるものではないよ」
まるで突き放すかのようなルルーシュのその言葉に、ナナリーはルルーシュの手を離し、呆然と立ち尽くした。
「じゃあ僕たちは出かけるから、おまえも早く学校に行くんだよ。行こう、リリーシャ」
ナナリーに、そして次に傍に控えるリリーシャに声をかける。
「ええ、お兄さま」
そう応えて頷くリリーシャを伴って、ルルーシュは宰相府に向かうべくアリエス離宮を後にした。ナナリーを一人残して。
どうして? どうして何時も私を置いていくの? 私はお兄さまが傍にいてくださればそれだけでいいのに。それしか望んでいないのに。それがお兄さまには迷惑なことなの? お兄さまを困らせているの?
ナナリーは夢の中で自分をおいて死んで冷たくなっていく兄の躰に取りすがって泣いていた自分を思い出す。
ただ兄の、ルルーシュの傍にいたいだけなのに、それすらも許されないのかと思いながら、今のナナリーには出かけていくルルーシュと、その傍らに寄り添うようにいるリリーシャの姿を見送ることしかできなかった。
── The End
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