帰 国




 それはナナリーとルルーシュがアッシュフォード学園小等部、ならびに中等部の卒業式を目前に控えた時期だった。
 学園の理事長であるアッシュフォード家の当主、ルーベンが事故で亡くなったのである。
 そのことを知ったルルーシュは顔色を変えた。
 もちろん、自分たちを庇護してくれていた忠義者のルーベンの死に対する哀悼の意はある。だがそれ以上に、自分たち兄妹が、本国へ、皇室へ売られてしまうのではないかという危惧である。
 ルーベンのことは信頼していた。しかしその後継者である息子夫婦にはそれほどの期待はしていなかった。というよりも、アッシュフォード一族の中でも、信頼していたのはルーベンとその孫娘のミレイのみであり、他の者は信用ならなかった。ルーベンがいなければ、没落したアッシュフォード家を盛り返すために、何時、皇子である自分と皇女である妹のナナリーを皇室に売るか知れたものではないと思っていたからである。
 そしてそれは現実のものとなった。
 卒業式の3日前のことだった。放課後、ミレイがクラブハウスの居住棟に駆け込んできたのである。
「ルルちゃん!」
「どうしたんです、会長」
「ごめんなさい、両親が、私の両親が、あなたたちのことを本国に知らせてしまったの!」
 ミレイが慌てて述べるその言葉に、やはり、と思いながらもルルーシュは目を見張った。
「ごめんなさい、おじいさまが亡くなられた今、一族の総意と言われると、まだ学生に過ぎない私にはどうしようもなくて。ねえ、逃げて。それくらいのことなら私だって手配できるわ、急いで逃げて」
 ルルーシュに縋るようにしてミレイは必死に告げる。
 だが、ルルーシュはルーベンが死んだと聞かされた時から覚悟はしていた。
「会長、もういいんです。ルーベンが事故死したと聞いた時から、そんな予感はしていました。それに、逃げるって、何処へ逃げるんですか? 逃げる処などありはしません。一生逃げ続けるだけの人生です。それなら覚悟を決めた方がいい」
 諦観したように告げるルルーシュに、ミレイはそれ以上の言葉を持たなかった。
 そして翌日、1台の黒塗りのリムジンがアッシュフォード学園のクラブハウスに横付けされた。そこから降りてきたのは、明らかに身分の高そうな貴族と思われる人物だった。
 ルルーシュはナナリーに自室にいるようにと言って、リビングルームでその相手と一人で対した。
 その相手はやはり貴族であり、宮内省の副長官だった。その人物がルルーシュに対して恭しく礼を取る。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下、この度、アッシュフォード家からの連絡を受けお迎えに上がりました。皇帝陛下におかれましては、お二人に早急に本国に帰国せよとの仰せにございます」
 その言葉に、やはり、とルルーシュは一瞬唇を噛み締めた。覚悟はしていたことだ。だが、いざそれを目の前で言われると、やはり違う。心の中で恐怖が膨れ上がってくるのを必死に抑え込む。
「……明後日が、ここの小等部と中等部の卒業式なんです。それに出席してからでもいいですか?」
 半ば諦めながら、それでもせめて卒業式くらいは、と口に出した。
「畏まりました。色々とご用意されることもおありでしょう。ではその卒業式の翌日の午後に、改めてルルーシュ殿下とナナリー皇女殿下をお迎えに上がります。それならばよろしいでしょうか?」
「ええ。それから、ナナリーの世話をしてくれている女性を一人、連れて行きたいのですが。やはり慣れている人についていてもらった方が、ナナリーも気が楽だと思うので。ただ、その相手は名誉ブリタニア人なんですが」
 副長官は、名誉ブリタニア人と聞いて一瞬躊躇ったようだったが、一人くらいなら、ましてやナナリー皇女の世話役として慣れているというのならいいだろう、と最終的に判断したようだった。
「畏まりました。その旨、私から宮内省長官に連絡しておきます」
「ありがとう」
「いいえ、皇室に仕える者として当然のことをしているだけです。
 それでは私は本日はこれで失礼させていただきます」
 副長官はルルーシュの見送りを勿体ないと断り、一人、誰にも見送られることなくクラブハウスを出、アッシュフォード学園を去っていった。
 それを窓から確認してから、ルルーシュはナナリーと咲世子の待つナナリーの自室へと足を向けた。
「お兄さま」
「卒業式に出ることは認めてもらったよ。その翌日に改めて迎えにくると。それと、咲世子さんのことも連れていくことを認めてもらった」
「本当ですか、お兄さま」
「ああ。でも咲世子さん、本当にいいんですか?」
 ルルーシュはナナリーに一言でそう答えながら、次いで咲世子に改めて確認した。
「はい、ルルーシュ様とナナリー様さえよろしければ、何処までもお供する覚悟です」
 ミレイから連絡があった日の夜、本国へ帰らなければならなくなったと告げた時、ナナリーは半ば恐慌状態に陥った。それをどうにか抑えられたのは、ルルーシュだけではなく、咲世子の「自分もご一緒しますから」との言葉だった。兄はもちろんだが、咲世子もいてくれるなら、兄が留守にすることがあっても代わりに咲世子がずっと傍にいてくれる、自分は一人じゃない、その思いがどうにかナナリーの心を律した。
 卒業式の当日を含めて2日、二人は何事もなかったかのように振る舞った。
 学園全体では、理事長の死を悼んでいて、それは二人も変わらなかったが、それでも時は淡々と過ぎていく。
 ルルーシュもナナリーも、誰に何を言うともなく卒業式当日を迎え、他の生徒が寮を出て自宅に戻っていく中、ルルーシュとナナリーも、翌日、本国へ戻るための仕度をした。
「ここで過ごしたのって、たった3年間だったんですね。もっといられると思っていたのに」
 夕食の席で、何気にナナリーが口にした。
「そうだね、もっといられれば良かった」
 二人にあるのは、ただもう此処にはいられないのだ、という諦観だけだった。
 本国に、皇室に戻ることへの恐怖はある。また外交の道具にされるのではないかと。だが今はそれ以上に、諦めと、馴染んだ場所を離れるという寂しさが勝っていた。
 そして翌日の午後、ミレイ一人の見送りを受けて、迎えに来たリムジンに二人と咲世子は乗り込んだ。
 本国へ戻ってからどんな日々が待っているのか、それを恐れる心を二人とも必死に抑え込みながら。

── The End




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