患難と忍耐、品性と希望




患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す。
                                                     ── 聖書より



 ルルーシュにとっての患難とは、そもそもが神聖ブリタニア帝国皇帝シャルル・ジ・ブリタニアと、庶民出の第5皇妃マリアンヌの子、つまり皇子として生まれたことだろう。しかし本当に患難と言うべきは、その母マリアンヌが宮殿内のアリエス離宮にて暗殺された事というのが正しいのかもしれない。
 それ以降は、ひたすら忍耐の日々だったと言っていいだろう。
 妹のナナリーは、母が殺された際、母に庇われて命こそ守られたが、両足は撃たれて動かなくなり、現場を目撃したショックからだろう、精神的に瞳を閉ざし、盲目となってしまった。
 そんな身体障害を負ったナナリーを抱えてただ二人、すでに関係が悪化している日本に送られ、その先では、たとえ両国間が実質どのような関係にあろうとも、仮にも皇族で、少なくとも名目上は“親善のため”として送られたまだ幼い二人を、預かった当時の日本の首相であった枢木ゲンブは、邪魔者だというように住まいとしては古びた土蔵を与え、周囲の者たちのルルーシュに対する苛めや嫌がらせなどについて、全く無視し、何の対応もしなかった。
 そんな中での唯一の救いは、最初の出会いこそ、いきなり殴りかかられるという最悪のものではあったが、やがてゲンブの一人息子であるスザクと友人として親しくなったことだけであっただろうか。
 しかし日本に滞在している二人の子供には何も知らされることなく、両国は開戦した。しかも、ブリタニア側からの宣戦布告と同時に攻撃開始という最悪の形で。
 そんな中、徹底抗戦を唱えていた首相のゲンブは死に、日本は僅か1ヵ月程で敗戦し、ブリタニアの11番目の植民地、すなわち日本という国ではなくエリア11となり、日本人はイレブンとなった。名を奪われたのだ。
 そして終戦直後、ルルーシュはスザクを前に誓った。「ブリタニアをぶっ壊す!」と。
 それから程なく三人は別れ、ルルーシュとナナリーの兄妹二人は、かつて生前のマリアンヌの後見をしていた、その死とともに爵位を奪われてはいたが、終戦早々にエリア11に二人を探しにやってきたアッシュフォード家に庇護された。
 かつて誓った「ブリタニアをぶっ壊す」という思いに変わりはない。何故なら、誰よりも愛しく大切な妹であるナナリーは、皇族とはいえ、身体障害を負っている以上、弱者でしかなく、弱肉強食を謳っているブリタニアではどう生きていけるか、不安でしかない。ましてや、母を亡くし、後見貴族もいない、庶民の血を引くということで生まれた時から、他の皇族や貴族たちからすらも差別を受け続けてきたことを考えれば、何の力もない現状を思う時、このまま隠れ住み、ナナリーとの密やかな幸福な生活を望むのが精一杯なのだ。現在は自分たちを匿ってくれているアッシュフォード家だが、それは忠義者のルーベンが当主である間だけだろうと思っている。次代になれば、ルーベンの息子夫婦が家を継げば、よくて追い出されるか、爵位を、本国での力を取り戻すために利用されるだけだろうことは目に見えているのだから。
 ルルーシュは、実際のところさほど宗教などに対して信心深くはない。むしろ、信じていないと言える方かもしれない。それは自分たちがこれまで歩んできた、いや、現在の立場からも思うことだ。本当に神などというものが存在するというのなら、何故自分たち兄妹は、いや、世界はこれほどまでに理不尽な目にあわなければならないのかと。そしてその状況を生み出しているのは、そのほとんどが、己の、思いたくもないほどに憎んでやまない実父なのだから。そう考えれば、神の存在など到底信じることなどできないのだ。
 聖書にあるという言葉は、実際に聖書を読んでのものではない。他の本に、聖書にあったとして書かれていたものだ。患難が忍耐を生み出すというのは、ある意味その通りかとも思うが、忍耐が練られた品性を生み出すということに関しては、ルルーシュたちの出自を知るミレイなどに言わせれば、ルルーシュの持つ品性は、その出自、つまり帝国の皇子という生まれ、わずか10歳足らずまでだったとはいえ、皇宮で皇子として育ったことからくるものだということになるだろう。つまり、生まれ育ちの問題だと。それでも、そんなことは全く無い、とまで否定することはないが。そしてまた、ルルーシュが持つのは、品性というよりは、むしろカリスマ性に近いと言えるのではないだろうか。学園にいるルルーシュしか知らない、ゼロとしてのルルーシュを知らないミレイには思いもよらないことだろうが、ゼロとしてのルルーシュにあるのは、カリスマ性といった方が遥かに相応しいだろう。とはいえ、残念なことに、黒の騎士団の元となった旧扇グループの者にはほとんど理解されていない、というより、そういったものに気付く者はいない。それらを察することができるのは、どちらかといえば、後に超合衆国連合を創り出すその姿、思想、姿勢を見せたゼロを認める事となる各国の代表たちや、それらの国々の軍首脳部くらいのものだろうが。そして残念なことに、ゼロとしてのルルーシュがその力を認めた中華連邦の星刻は含まれない。彼はあまりにも天子様大事で近視眼過ぎた。とはいえ、これはあくまで先の話であって、現時点ではそこまで気付いている者は極まれなものでしかないが。
 そして、練られた品性が希望を生み出すということについては、疑問しかない。品性が希望とどう結びつくというのか、その関連性が分からない。
 患難が忍耐を、そしてそれらが希望を、というなら理解できる。己のおかれた状況からの解放を、改善を望み、希望を持つと言うことならば。人によっては、そしてその状況によっては、望みを持つことすらできず、最初から諦めている者もいるかもしれない。しかしそれでも、そういった状況下にある者が希望を抱くことは大いにありうると思える。だからこそ、ルルーシュがゼロとして()つに至ったのだろうから。その根底には、妹ナナリーの“優しい世界に”との望み、そして何よりも、絶対遵守のギアスという人ならざる力を得たことがきっかけになったことに間違いはない。
 いずれにせよ、初志貫徹という言葉があっているかどうかはともかく、ルルーシュは己の望みを果たすために、今日もゼロとして黒の騎士団を動かし続ける。

── The End




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