スザクがその言葉を耳にしたのは、アッシュフォード学園から出て政庁にいるユーフェミアの元へと戻る途中のことだった。
「所詮、ユーフェミアはお飾りに過ぎないな。いや、お飾りより性質が悪いか。ナンバーズ如きを騎士に任ずるなど、皇族としてはもってのほかの行為だ。おまけにしょっちゅう政庁を脱走したりなどして周囲に迷惑をかけているのにそれに気付いてもいない。とてもじゃないが副総督なんて器量じゃない。総督もなんでそんなユーフェミアを副総督に任じたりしたのか」
「妹君可愛さではないですか?」
「それが間違ってるというんだ。妹に皇族のなんたるかを知らせず、ただ彼女が愛でるためだけにあるようなユーフェミアに、一体どんな価値があるというのか」
それらの言葉に、通り過ぎようとしていたスザクは思わず立ち止まり、言った相手に声をかけていた。
「待て!」
その場を立ち去ろうとしていた二人は、スザクのその声に立ち止った。
「待てとは、私たちのことか?」
「そうだ。ユフィ、ユーフェミア様に対する悪口を聞いて黙って見過ごすわけにはいかない」
スザクにそう言われた二人は、スザクをよくよく見定めた。
「そうか、貴様がユーフェミアが騎士に任じたというナンバーズか。それで? 私はユーフェミアに対する率直な感想を述べていただけだが、その私を呼び止めてどうしようというのかな?」
横柄な態度の、スザクよりは多少年長であろうその男に、スザクは言い切った。
「貴様にユーフェミア様の騎士として決闘を申し込む!」
「その物言いはなんだ、貴様こそこの方を……」
「よい」
男は自分の脇に控えているもう一人の男が自分を庇うように前に出ようとしたのを、手の動きと言葉とで制した。
「いいだろう、相手になってやろう」
「それならば私が代わって……」
「決闘を申し込まれたのは私だ。ならば私が受けるのが筋だろう? 口出しも手出しも無用だ」
男のその言葉に、もう一人の男は黙って引き下がった。
この時、スザクは気付くべきだったのだ。いや、その前に気付くべきだった。男がユーフェミアの名を呼び捨てにしている段階で頭を働かせるべきだったのである。皇族を呼び捨てにできる者など知れているのだから。しかしスザクは、ユーフェミアを侮辱されたことに血が上り、他の事を考える余裕が無かった。ただこのまま捨て置くわけにはいかない、ユーフェミアを侮辱することは許さないと、それしか彼の頭にはなかった。
「それで、何時何処でだ?」
男は自信ありげにスザクの申し入れに頷いた。
「もちろん今すぐだ。ここから少し行った処に広場がある、そこで」
「よかろう、受けてたってやろう」
男にすれば、ナンバーズ上がりのスザクの鼻をへし折ってやろうという心づもりだったのだろう。互いに互いの力量を知らぬまま、スザクを先頭にして、三人はスザクの告げた広場へと足を向けた。 彼らの周囲を近くにいた人々が見守る。 ナンバーズ上がりのユーフェミアの騎士と、明らかに身分が上位と分かる男二人。中には、スザクの相手になろうとしている男の顔を見てそれが誰なのかを理解し、顔色を変えている者たちもいたが、彼らは一様にそれを口にすることはなかった。
だがスザクには、男が自分より年上であることは分かっても、上位の者であるという意識は、認識は欠片もなかった。よく見ればその身なりなり態度なりから分かりそうなものであったのに。 むしろ事の成り行きを見守っている周囲の人間の方がそれを理解していた。それが誰かまで分からぬ者も。そして彼らは小さな声で口々に言い合う。
「これだからナンバーズ上がりの男は」「所詮は何も分かっていないのだ」と。
しかしそれらはスザクには単なるざわめきとしか耳に入っていなかった。自分が崇敬する、自分を騎士にと任じてくれたユーフェミアを貶めた存在を許すことなどできはしない、その一心だった。
スザクは己の腰に帯びていた剣を抜いた。
男は、もう一人の男が持っていた剣を受け取った。せめてその段階でスザクは気付くべきだった。普通の一般のブリタニア人が剣を帯びていることなど有り得ないことなのだから。
「さあ、どこからでもかかってくるがいい」
己を馬鹿にするような男の言葉に、スザクは足を前に踏み出すとそのまま襲いかかっていった。
もとより常人離れした運動能力を持つスザクである。その上に、ユーフェミアを侮辱されたということで頭に血が上っていたスザクは、手加減などということは考えてもいなかったし、そんな余裕もなかった。
それは本当に一瞬のことだった。
流石にスザクは相手に致命傷を負わせるようなことだけは避けていたが、彼の剣は男の左脇腹を刺し貫いていた。
「殿下!」
それを見てとったもう一人の男が、思わずそう叫んでいた。
「えっ? で、殿下?」
その一言に、スザクは我に返ったようにその場に立ち尽くした。
「誰か、早く救急車を!」
そう叫びながら、男は負傷した、彼が殿下と呼んだ男の左脇腹の出血を抑えるべく、取り出したハンカチでその部位を抑えながら、きっとスザクを睨み据えた。
「貴様、たかがナンバーズの分際で、第7皇子であらせられるクレメント殿下に対しこのような無礼を働いて無事に済むと思うな!」
その声に、周囲を取り囲んでいた見物人たちが一斉にざわめき出した。
「殿下だって?」
「じゃあ、あいつは皇族に決闘を申し込んだのか」
「身の程も弁えず、一体なんのつもりだ」
「所詮ナンバーズには分からないことだったんだ」
「お付きの方が剣を持っていることで、相手がその方を騎士と従える皇族だってこと、分かりそうなものなのに」
スザクは周囲の声に戸惑い、血の滴る剣を下げたまま、そこに立ち尽くしているしかできなかった。
自分は何をしたのか。
ユーフェミアを侮辱されて、それを耳にして、許せないと、ただそれだけで決闘を申し込んだ。
しかし男は自分が第7皇子であることなど一言も言わなかったではないか。それに騎士が傍にいたなら、自分の代わりに騎士に相手をさせればよかったはずで、自ら剣を手にしたのはその第7皇子の方だ。けれど自分が皇族を負傷させたのは紛れもない事実で……。
スザクは考えているうちにわけが分からなくなっていた。自分はどうすべきなのか、どうすべきだったのか。
やがてやってきた救急車と救急隊員によって、第7皇子クレメントはその騎士と共に運ばれていき、救急車とほぼ同時に現場にやってきた警察によって、スザクは身柄を押さえられた。
連れていかれた警察の取り調べ室で、即座にスザクの身元照会が行われ、副総督ユーフェミアの騎士であることが認められた。もっともそれ以前に、つい先日、騎士叙任式がTVで公開されていたことから調べるまでもなく分かっていたことではあったが、警察としては定められた手順を踏む必要があった。
そして負傷した、スザクが決闘を申し込んだ相手が紛れもなく第7皇子クレメントであることも確認が取れ、スザクを前にした刑事は難しい顔をした。
「今回の件は、我々がどうこう判断すべき事柄ではなくなった。第7皇子殿下が相手であったことで、枢密院の預かりとなる。ユーフェミア副総督の騎士といえど、皇族に負傷を負わせた以上、ただで済むとは思わないことだ。事と次第によっては副総督閣下にも何らかの処分が下されることも有り得るだろう」
「ユフィにもっ!? そんな、どうしてです、僕はただ、ユフィを侮辱した相手を許せなくてそれで……」
「だが、相手は第7皇子殿下だった。第3皇女であるユーフェミア殿下よりも高位の。騎士を従えていらっしゃったことから、冷静に判断すれば相手が皇族であることは理解できたはずだ。それができなかった自分を恥じることだな。これだからナンバーズ上がりは始末に負えないと言われるんだ。もっとも仕えるべき主である皇族を平然と愛称で呼ぶような輩にそれは無理な話か」
その刑事は、他のブリタニア人に比べれば、スザクがナンバーズ上がりということに対しての偏見は少ないように見受けられた。だがその彼をして、スザクは皇族の騎士という立場にありながら完全に見下されていた。
警察で刑事に告げられたように、今回のスザクと第7皇子クレメントとの決闘に関しては、枢密院の預かりとなった。皇族と、別の皇族の騎士たる者の間の出来事であれば、一介の警察が関与できる範疇を遥かに超えている。
処分としては、スザクはユーフェミアの騎士を解任となった。軍からも除隊させられ、ただの一名誉ブリタニア人に過ぎなくなった。当然の如く、アッシュフォード学園も退学である。
だがそれは、皇族に負傷を負わせた者に対しての処罰としてはあまりにも軽いものだった。
そうなったのは第7皇子クレメントの証言があったからだ。
自分が彼女の騎士からすればユーフェミアを侮辱したととられる発言── とはいえ、それはクレメントからすればごく当然の、単に事実を口にしただけなのだが── をしたこと、そして自らスザクの決闘の申し入れを受けたことを認めたがゆえのことである。もしクレメントのその証言がなければ、スザクはおそらく処刑されていただろう。そして普通であったらそのような証言がされることの方が珍しい。その点で、第7皇子クレメントは騎士道精神に溢れた存在としてその名を高めた。
一方、皇族に対してそうと気付かずに決闘を申込み負傷を負わせた騎士を持ったユーフェミアに対しては、批難が集まった。そもそもナンバーズ上がりの名誉を騎士に任ずるなどという行為そのものが間違っているのだ。きちんとしたブリタニア人を騎士として選んでいれば、相手が皇族か、少なくともそれに連なる人物であることは一見すれば分かることだと。
それすらもできないような存在を騎士に任じたユーフェミアには、警察で刑事がスザクに告げたように処分が下された。皇位継承権の降格である。だがそれで済んだだけ、あるいはましだったのかもしれない。
とはいえ、クレメントが名を上げたことに対して、スザクの行為によってユーフェミアがその名を貶めたのは紛れもない事実であり、ユーフェミアの姉のコーネリアは、スザクを妹の騎士として認めてしまったことを改めて後悔するのだった。
── The End
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