祈 り




 南半球にある大陸、オーストラリア。その国の一角、そう大きくはない町の外れに、広大なオレンジ農園を営む屋敷といっていい一軒の家がある。
 その家の女主人ともいえる存在は、まだ幼い子供を連れて町の教会へと、もはや恒例となっている日曜礼拝に参列するために外出した。
 礼拝など、特段、神を信じているわけでも、もちろん熱心な信者でもないのであまり意味はないと思っているのだが、それでも、気休めのようなもの、といった感じではあったが、よほどのことがない限り欠かしたことはない。
 彼女が祈るのは、願うのはただ一つ。己の共犯者とも言える子供の父親が、子供が生まれたことも知らぬままに眠り続け、一向に目覚めない状態であるのを憂えてのこと。一刻も早く目覚めてほしい、過去は棄てて新しい人生を自分や子供、そして自分たちに協力してくれる者たちと共に過ごしてほしいと思うからに他ならない。
“悪逆皇帝”と呼ばれた神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが、その理念の元にゼロ・レクイエムという茶番を演じてまで願った“優しい世界”は、半年と()たなかった。超合集国連合とゼロという存在のおかげで、かろうじてどうにか大きな戦争という事態にまでは至ってはいないものの、領土問題、民族問題、宗教問題、様々な諸問題、対立を抱え、そこここで小競り合いが生じている。オセアニア一帯がそれでも平穏を保っていられるのは、この一体が以前からどこにも属さず、第三者的立場をとっているためであろうか。そしてだからこそ、そんな土地を選んだ彼女たちは平穏な日々を過ごすことができているのだが。
 礼拝が終わると、共に来ていたメイドの一人と買い物を済ませ、それから町のほぼ中心にある広場に面した洒落たカフェで、三人して軽食を取る。
 どこまでも広がる青い空、鳴り渡る教会の鐘の音。その音を合図にしたかのように一斉に飛び上がる、公園にたむろしていた多くの鳩たち。それは本当に、平和と、平穏といえる日常の光景だった。そんな光景を眠り続ける彼に見せてやりたいと、ひたすらにそう思う。



 C.C.は、夜寝る時には、何時も己の共犯者であるルルーシュを抱き枕にしていた。それはルルーシュがブリタニアの帝位についてからも同じだった。そしてルルーシュも慣れてしまったのか、それを振り払うことはなかった。
 しかし、ゼロ・レクイエムを翌日に控えたその夜だけは違った。
 己のベッドにいつものように潜り込んできたC.C.を、ルルーシュは腕を伸ばして抱き込んだ。
 力の限り強く抱き締めて、その肩口に頭を埋めた。
「ルルーシュ……」
 ルルーシュのそんな態度は、様子は初めて見るもので、余りにも強く抱き締められていささか痛みを覚えながらも、C.C.はルルーシュの背に腕を回して抱き締め返した。
 おまえが魔女なら俺が魔王になればいいだけのこと、死ぬ時くらいは笑って死ねと、かつて自分にそう告げた男。
 おまえとの契約を果たせてやれなくて済まないと言いながら、明日、己の死を遂げようと決めた男。
 何時からだろう。そんなルルーシュに対して愛情を覚えたのは。そんな感情はすっかり忘れていたと、()くしたと思っていたのに、いつしかルルーシュを愛している自分にC.C.は気が付いた。だから今、まるで縋るように自分を思い切り抱き締めてくるルルーシュを愛しいと思い、抱き締め返す自分を、C.C.は認めた。
 そうしてルルーシュの死を翌日に控えたその夜、二人は初めて、ただの男と女として、互いの温もりを求め、与え合った。
 翌日のゼロ・レクイエムの本番。
 ゼロとなったスザクに胸を刺されたルルーシュの躰を、ジェレミアは「愛しています」と泣き叫びながらルルーシュに縋りついているナナリーから引きはがし、C.C.の待つ教会へと運んだ。
 そこにはすでに、咲世子の忍びの力によって牢から脱したロイドたちも待っていた。
 C.C.がジェレミアの運んできたルルーシュの躰に優しく手を伸ばした。
 そして気が付く。まだ完全に息が絶えていないことに。
 万一、本当に万が一のことを考えて運び込んでいた医療器具を取り出し、慌ててロイドが治療を始める。ルルーシュの望むことではないだろうが、それでもそれは、今この場にいる者たち全ての願いだから。ルルーシュに生きて欲しいから。だから診療所や病院などではない、手持ちの器具以外には何もないところだが、懸命にルルーシュの命が失われるのを止めようと治療を施し続ける。
 そうして意識は戻らぬまでもどうにか命を取り留め、落ち着きを見せ始めたのを確認し、これはルルーシュにも内緒で── スザクも知らない── 彼らだけで決めた通り、騒ぎに沸く世間を後に、彼らはエリア11を、日本を離れた。フジ決戦の際にジェレミアがかけたギアス・キャンセラーで全てを思い出し、いつしかジェレミアに懐いていたアーニャとも途中で合流し、そしてこれもまた予定通り、ルルーシュが埋めたロロの遺体を回収して。
 そうしてブリタニアとも超合集国連合ともEUとも距離を置き、独自の立場を貫いていたオセアニアにあるオーストラリア、その国の中、かつてマオが、何時かC.C.と暮らすことを夢見て用意していた家に皆して密かに辿り着く。
 その家にはすでに手を入れてあり、彼ら全てが起居しても大丈夫なように大きく改装されていた。
 そしてその家の中、一番良い部屋の中央に置かれたベッドにルルーシュを寝かせる。辿り着くまでも治療は施されていたが、一向にルルーシュが目覚める気配はない。
 ロイドやセシル、そして咲世子がルルーシュの治療にあたっている間、ジェレミアは屋敷の庭の一角に、改めてロロを、彼にとって唯一の主たるルルーシュの弟であるロロを葬った。当初の予定では、ルルーシュとロロの二人、並べて葬る予定であったのだから、これは彼らにとっては嬉しい誤算だったろうか。
 しかし傷が癒えても、いつまでたっても目覚める気配のないルルーシュに、彼らが苛立ちを覚え始めた頃、C.C.が躰の不調を訴えた。彼女がコード保持者となってから初めてのことだった。
 正直なところ、神根島でのシャルルとルルーシュとの対決の後、暫くしてからC.C.は己の躰に違和感を感じてはいたのだ。ただ、それがなんなのか、自分でもはっきりしなかったし、表面的には特に何もなかったから誰に対しても口にしなかっただけで。
 そしてロイドによる診察を受けた結果、C.C.は自分が妊娠していることを知った。
 神根島以後の違和感は、コードが失われつつあったから。そして、あのゼロ・レクイエム前夜のルルーシュとのこと。
 C.C.は全てを話し、ロイドを主治医として、己の身の内に宿った新しい命を、ルルーシュとの子を産むことを決め、ロイドはルルーシュの治療をしながら、セシルや咲世子と共にC.C.とその胎内の子に気を配るようになった。
 やがて産み月が来て、思っていたほどの苦しみもなく、無事に安産といっていい状態で、C.C.はルルーシュとの子を産み落とした。母親譲りのライトグリーンの髪と、父親譲りの紫電の瞳をした男の子だった。名をどうしようか一晩考えて、ルルーシュが弟として愛し、そしてその命を懸けて兄であるルルーシュを救ったロロの名を貰って付けた。



 そうして年は流れ……。
 混乱を続ける諸外国の喧騒を知らぬかのように、彼らはいつまでたっても目覚めぬままに眠り続けるルルーシュを守りながら、静かに生きていた。
「眠り姫の()を覚ますのは王子のキス。ならば、眠り続ける皇帝を目覚めさせるのは何なのかな?」
 ルルーシュの眠るベッドの端に腰をかけて、外見的には20代半ばとなったC.C.はそう呟きながら、ルルーシュの髪を優しく撫でる。それからその額へ、伏せられた両の瞼へ、頬へ、そして唇へと軽く口づけを落としていく。
「愛しているよ、ルルーシュ」
 ルルーシュが何故目覚めないのか、眠り続けているのか、それは誰にも分からない。自分は死んだとそう思い込み、閉じこもってしまっているだけなのかもしれない。けれど彼が息をしている、つまり生きているのは間違いようのない事実で、それに加えて、彼の血を引く子がすくすくと育っている。
 コンコン、と軽いノックの音がしてから静かに扉が開き、ロロが顔を覗かせた。
「母さま」
「ロロか。入っておいで」
 母親であるC.C.のその言葉に、ロロは父親であるルルーシュの眠る部屋に足を踏み入れた。
「父さまはまだ?」
「ああ、まだ目覚めない」
「でも、いつかはきっと起きてくれるよね? 僕の名前、呼んでくれるよね?」
「父さまは小さい頃からずっと苦労し続けて、辛い思いをし続けてきたからな。今はその疲れで、反動のように眠り続けているだけだ。いつか私たちの声が届いて、きっと目覚めて、おまえの名を呼んでくれるよ」
 かつてルルーシュが愛した、唯一人の弟と同じその名を。
「うん、僕、いつかその日がくるのを信じてるよ」
 C.C.の隣に立って、ロロは穏やかな顔で眠り続ける父親であるルルーシュを覗きこむ。
 それは日曜礼拝に行った日には必ずあるといってもいい、日常の光景の一コマ。
 だからC.C.をはじめとして皆は思う。
 世界がどうなっていこうともう関係ない。ルルーシュが、そして自分たちができることはしつくした。これ以上の事をする必要を認めない。そのことを他の誰にも口出しさせる気はない。それがたとえゼロ── スザク── であっても。今はただ、何時かルルーシュが目覚めてくれることを祈り、願いながら、此処で彼らだけの穏やかな生活を守っていこうと。

── The End




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