反 逆




 青年はその日の夜も自分の住まう離宮の書斎にて、子飼いの部下からの報告を受けていた。
「分かった。そのまま引き続き気取られぬように調査を」
「はっ」
 青年の言葉に報告を済ませた部下は、一礼して静かに書斎を後にした。
「父上、やはりあなたという方は……」
 握りしめられた右の拳は怒りに震え、その顔も、普段の温厚な彼しか知らない者たちが見たら別人かと思うほどに怒りに染まっていた。



 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアは、ここ数年、政務のほとんどを宰相である第2皇子シュナイゼルに丸投げし、自分はひたすら弱肉強食を唱え、覇権主義、植民地主義に明け暮れ、次々と植民地── エリア── を増やしていた。それが第5皇妃マリアンヌを亡くしてから一層拍車がかかっていることに気付く者は気付いていた。
 帝都ペンドラゴンにある宮殿最奥の部屋は、皇帝の他は許されたほんの一握りの者しか入ることができず、皇帝は一日のほとんどをその部屋に籠って過ごしていた。
 その日、皇帝の他には誰もいないはずのその部屋に人の気配を感じ、皇帝は、
「暫くは誰も入るなと申しておいたはずだぞ」
 言いながら気配のする方に振り向いた。
 そこに立っていたのは第1皇子のオデュッセウスと彼の選任騎士だった。
「何用だ、オデュッセウス。そなたといえど、この部屋に入ることを許した覚えはないぞ」
「許して貰おうなどとは思っておりません。ただ、私が陛下に用があって来ただけです」
「儂に用だと?」
「ええ、あなたの為さろうとしている事を止めるために」
「儂のしようしている事を止めるだと? 儂が何をしようとしているというのだ?」
「神殺し」
 オデュッセウスはシャルルの問いに端的に一言で答え、返されたシャルルは一瞬目を見開いた。
「神殺しだと? 馬鹿馬鹿しい。そのようなことが人にできるものか。いや、それ以前に神などおらぬわ」
 呆れたように返すシャルルに、しかしオデュッセウスの態度は変わらなかった。
「そうですね、人が聞いたら馬鹿馬鹿しい限りの話だ。ですがあなたはそれを為そうと計画し、それの実行も間近いと私は見ています」
「オデュッセウス、そなたは……」
 シャルルは凡庸で穏当と評される息子の、いつもとはあまりにもかけ離れた様子にいささかの焦りを覚えた。これは本当にあのオデュッセウスなのかと。
「神殺しなど、人間にとって許されざる大逆です」
 そう告げたオデュッセウスと彼の斜め後ろに控える騎士の右手には、それぞれ一丁ずつの拳銃が握られていた。
「オデュッセウス! この馬鹿者が! そなたは……」
 シャルルが言い切る前に、部屋に二発の拳銃の発射音がほぼ同時に響き渡った。
 シャルルの巨体が何も発することなくそのまま後ろにどうと倒れる。シャルルの眉間と心臓に、先に申し合わせていたかのように、それぞれ一発ずつ、拳銃で撃たれた痕があった。
「あなたの、いえ、あなたたちの計画を実行させたりはしません」
 そうオデュッセウスがシャルルのもの言わぬ躰に向かって呟いた時、
「シャルル!」
 どこから現れたのか、子供の甲高い叫び声がした。
 子供は倒れたシャルルの躰に駆け寄ると、完全に息絶えているのを確認したようで、傍に立っているオデュッセウスとその騎士を睨み付けた。
「おまえ、オデュッセウス! 息子の君が実の父親を殺したのか!!」
「丁度良い所へ来てくださいましたね、伯父上」
 伯父上と呼ばれたことに、子供は呆気にとられたように瞳を見開いた。
「オデュッセウス、君、知って……」
 オデュッセウスの騎士はあらかじめ指示を受けていたように子供に近寄ると「失礼を」と一言だけ声をかけて、片方の腕を掴み上げて立たせるとその腹部目がけて拳を打ち込んだ。
 意識を失った子供の両腕を背中に回し、懐に忍ばせてあった手錠で後ろ手に拘束する。
 オデュッセウスとその騎士は申し合わせたように頷き合い、騎士がその子供を担ぎ上げるようにして持ち上げると、二人してその部屋を後にした。
 そのままオデュッセウスは抜け道を通って他の者の目に止まることもなく自分の離宮に辿り着くと、普段は使っていない部屋に入り、その部屋の中に用意された頑丈そうな箱の中に子供を入れて錠をかけた。
「これでも安心はできないな、何せ不老不死者だ」
 そう呟くオデュッセウスに騎士は頷き、「如何致しますか?」と尋ねた。
「本来、すでに死んでいるはずの身だ、死人は墓の中に入るのが当然だろう」
 オデュッセウスは冷たくそう言い切り、騎士は疑問を挟むことなく頷いた。
 子飼いの部下を数名呼び寄せると部屋からその箱を運び出し、離宮の裏手の丘に穴を掘って埋めてしまった。箱はそのままその子供の棺桶となったのだった。



 その日の夜、宮殿は上を下への大騒ぎになった。
 それは当然だろう。何時まで経っても出てこぬ皇帝の様子に、心配になって奥の間を覗いた者が見つけたのは、もの言わぬ死体となったシャルル皇帝の姿であったのだから。
 その日の内に主だった皇族たちの離宮に使いの者が走り、翌日、朝早くに皇族たちが会議室に集まった。その中で一番最後にゆっくりと入ってきたのはオデュッセウスだった。
「斯様な次第で、陛下のご遺体を発見致しました」
 まずは昨夜、皇帝の遺体を見つけた者から事の次第の報告があった。
 会議進行役の枢密院議長が発言する。
「陛下を弑逆した犯人を捕らえるのももちろん肝要なことですが、まずは新しい皇帝陛下を定め、国家の体制を整えるのが第一かと存じます。皇位継承順位からいけば第1皇子であられるオデュッセウス殿下ということになりますが」
「シャルル皇帝陛下を弑逆したのは私だ」
 議長の言葉に応じるようにして鷹揚に告げるオデュッセウスに、その場にいた者のほとんどが息を呑んだ。
「陛下は政をほとんど宰相であるシュナイゼルに丸投げし、己は人には言えぬような愚かな研究に没頭していた。為政者としては失格といっていい。だから私が始末した。
 私を陛下殺害の大逆犯として捕えるもよし、陛下の謳っていた弱肉強食の国是に従って次期皇帝とするもよし、判断は君たちに委ねる」
異母兄上(あにうえ)、事実、ですか?」
 皇族たちの中で一番早く我を取り戻したシュナイゼルがオデュッセウスに尋ねる。これが本当にあの兄なのか、と思いつつ。
「事実だよ。こんなことで嘘を言ってもつまらないだろう?」
 シュナイゼルを見、微笑みを浮かべながら答えるオデュッセウスに、皆は一様に同じことを考えた。今までのオデュッセウスは一体どれだけでかい猫を被ってたんだと。それほどに常の彼の態度、在り様と、今現在は異なっていた。
 そんな中で実は知っていたのか、それとも単に一番立ち直りが早かっただけなのか、議長が口を開いた。
「ではオデュッセウス殿下が次の皇帝陛下、シャルル陛下は病死、あるいは事故死ということでよろしいでしょうか」
 皆、シュナイゼルまでもが黙って頷いた。その様に他の者はシュナイゼルもまたオデュッセウスのことを凡庸で穏当な人物と信じて疑っていなかったのだと思った。
「それではその方向で国民への告知とシャルル陛下の葬儀の準備を整えたいと思います」
 議長のその言葉が解散の合図となり、皆はまだオデュッセウスの在り様が信じられないような顔をしてそれぞれ会議室を後にしていった。

── The End




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