知識と無知




 以前に読んだあるSF小説の中で、とある女性政治家が問いかけていたのをルルーシュは思い出していた。
「いったい、知識とは何でしょう?」と。
 そう問いかけながら、続けて自身で答えてもいた。
「物事の表面を撫でるだけでなく、願望の眼鏡をとおして物を観るのでもなく、現実をあるがままに受け取ってその本質を捉える真の知識とは何でしょう? 事実と虚偽、真実と神話、現実と幻影を正しく識別する有効手段として確立された唯一の思考形態は何でしょうか? それは科学です! 一念をもって信じることが事実をも動かすという考えから人は往々にして何かを一途に思い詰めますが、事実はあくまで揺ぎないものです。そのような不動の事実として今私たちが知っていることはすべて合理的な科学の方法によって明らかにされたのです。科学のみが立証に耐える思想の土台となり得ます。何となれば、科学は結果を予測し、予測された結果は検証を経てはじめて真実と認められるからです」
 その小説のその場面においては、それは正しい答えだ。
 しかし、人が通常の社会生活を営む上では、必ずしもそこまでのものは必要ない。
 必要なのは、その人の立場、そして為そうとすることについて必要な知識であって、それは必ずしも科学によって証明されるべきものとは限らない。
 そういった点で考えれば、ユーフェミアには明らかに知識がなかった。足りなかった。いや、はっきり言ってしまえば、あまりにも無知だった。
 姉のコーネリアに溺愛され、甘やかされ、汚いものから目を塞がれ、結果、差別は悪いことだと、純粋に理想を掲げながら、同時にまた、皇女という立場からくる権力を、無意識に行使した。自分が言えば何でも叶うというように、周囲の者のことを何も考えず、己の意思だけを尊重し、何をしても許されるとばかりに、周囲を引きずり回したのだ。それも無意識にであったのだから性質(たち)が悪い。そして彼女の“皇女”という立場から、そのことに対して周囲は注意をすることもできなかったのだから。
 枢木スザクは名誉ブリタニア人でありながら、特例的にシュナイゼルが設立した特派の開発したKMFのデヴァイサーである。それはひたすらその開発者であるロイド・アスプルンドの考えと、KMFランスロットとの適合率からそうなったことであり、そこにスザクの努力など何もなかったのだが、スザクは己の努力からと、勘違いしていた。自分の努力が認められたと思い込んでいた。それもまた無知からきたものであり、よく考えれば分かりそうなものなのだが、今はそれはいい。問題はユーフェミアなのだから。
 シュナイゼルの設立した特派に属しているということは、すなわちシュナイゼルの部下であるということだ。しかるに、ユーフェミアはそのシュナイゼルに一言もないまま、勝手に、スザクはまだ学校に通うべき年齢だからと、それだけでアッシュフォード学園に編入させた。学生としてあるべき名誉ブリタニア人はスザクだけではない。他にも大勢いるのに、彼女は自分が個人的に知るスザクただ一人だけを特別扱いしたのだ。
 それだけならば、まだそうたいした問題ではない。あくまで空き時間を利用してのものと言えることだから。
 だがユーフェミアはそれ以上のことをした。
 確かにエリア11にある以上、シュナイゼルの配下とはいえ、時には総督たるコーネリアに従う必要もある。戦場でランスロットのデータを取りたいと考えれば、ロイドとしてはそれは当然のことだった。
 だが、その中で、ユーフェミアは公衆の面前で、マスコミを前にして、スザクを己の騎士となるべき者だと告げたのだ。
 他家の皇子の配下である者を、他家の皇女が、相手に一言の断りもなく、己の騎士だと発表する、任命する。そのようなことがどうして許されようか。許されようはずがない。だがユーフェミアはその許されざることを平然とやってのけたのだ。何の問題もないというように。
 そのことについて、コーネリアはいい顔はしなかったが、騎士を任命するのは皇族の権利と、それ以上は何も言わなかった。スザクが名誉ブリタニア人であるということにばかり意識がいっていたのだろう。また、特派が戦場においては総督たるコーネリアの指示に従っていたことから、失念していたというのもあったかもしれない。
 だから、コーネリアもユーフェミアも、スザクの大元の本来の主であるシュナイゼルに対しては何一つとして告げることはなかった。スザクの直接の上司といえるロイドは、これは皇族同士の、その家同士の問題と判断し、彼もまたシュナイゼルには何も告げなかった。彼にしてみれば、状況からして事後報告になったかもしれないが、ユーフェミア、あるいはコーネリアから連絡がいっているものと考えていたのかもしれない。
 だが、実際にはユーフェミアがスザクを騎士に任命したことにつき、誰も、一言もシュナイゼルに告げることはなかった。もちろん、シュナイゼルは全て承知していたが。そしてその事によって、宮廷内における姉妹の評価は下がり続けているのだが、本国を離れ、エリア11にいることもあってか、二人ともそのような事になっているとは気付きもしていないのだ。
 シュナイゼルが所有する特派に身を置きながら、同時にユーフェミアの騎士となる。つまり、スザクは二人の皇族に仕える立場となった次第だが、当のスザクも、そのことには、それが意味することには何も気付いていない。しかも、スザクは己がユーフェミアの騎士に任命されたことも、己の努力の賜物だなどと思っている。騎士になるための努力など何もしていなかったのは誰の目から見ても明らかであるにも関わらず。
 皇族の“お願い”は、イコールで“命令”だ。だからアッシュフォード学園はスザクの編入を認めざるを得なかった。そしてそれは、彼がユーフェミアの騎士となった後も、彼が「ユーフェミア様がいいと仰ってくださっているから」との言葉に、反論も、退学を促すこともできず、受け入れ続けた。騎士として任命された者が主の傍を離れて一般の学校に通い続けるなど、決してありえぬことなのに、スザクはユーフェミアの許可があるからと、それだけで納得し、疑問にも思っていなかった。その主従としての在り方疑問を抱いたのは周囲の者ばかりであり、当事者である二人は全く気付いていなかったし、周囲がそういう目で見ていることにも気付いてもいなかった。
 そしてついに、ユーフェミアはアッシュフォードの学園祭で、自分の立場、つまり、己は副総督であり、その上には姉である総督のコーネリアがいるにも関わらず、何も告げることなく己の名で宣言したのだ、“行政特区日本”の設立を。エリアの最高責任者は総督である。従って、何らかの政策を発表するなら、必ずコーネリアに許可をもらい、その名をもって行われるのが筋である。だがユーフェミアはそれをしなかった。いつものように、自分が言えば何でも叶う、そう思い込んで。
 大切な人とまた一緒に過ごしたい、差別は間違っているから、皆のためにそれを変えたい── その思いは純粋と言えるほどのもので、間違っているとはいえない。しかし、その行動は間違いだらけだ。
 まず、その宣言が行われたことによって、アッシュフォード学園は学園祭を中止せざるを得なかった。学園にいる全員が一生懸命になって用意し、開催したのに、それを無駄にさせられたのだ。これが迷惑でなくてなんだというのだろう。
 コーネリアは、心の内ではそのようなものを認めたくなどなかったが、否定してユーフェミアを悲しませたくない、また、一度公表してしまったことを撤回するのは朝令暮改になり、皇族の威信を傷つけると、積極的にではなかったが、結局認めることになってしまった。
 そのために苦労するのは、政庁に務める文官たちだ。本来の業務以外のものが突然増えたのだから。ましてや、宣言をしたユーフェミアは自分の思い描いている、いわば理想を述べただけで、実務的な事に関してはノータッチだ。つまり、全て配下である文官たちがそのための業務を行うことになる。通常の業務に加えて、余計な業務が増えたのだ。結果、残業の嵐となる。その一方で、ユーフェミアは優雅にお茶をしながら、時折回ってくる少しばかりそれまでよりは増えた僅かの書類にサインをするだけだ。
 しかも、ユーフェミアは何も考えていない。特区を設立するための資金の事も、設立した後の運営の事も、何一つ。いつも命令すれば、誰かがやってくれている。だから彼女は何も考えない。何もしない。ただ命じるだけなのだ。それが周囲にどれほどの迷惑を、場合によっては損害を与えているかも考えずに。だから彼女は無知なのだ。せめて知らないことを認めて、それを知ろうと、知識を得ようと努力をしているならまだしも、そんな気配は微塵もない。これまでコーネリアがそれで済ませてしまってきたツケが一気にまわってきたようなものだ。とはいえ、さすがに自分がやろうとしていることが、現在のブリタニアの国是からは外れていることくらいは分かっていたようだが。しかしそれだけでは何の解決にもなりはしない。
 そして何よりも、ユーフェミアが「一緒に」と願った彼女の大切な人── 異母兄(あに)であるルルーシュ── こそが、誰よりもその特区を否定していることに気付いていない。それはユーフェミアの騎士であるスザクも同じで、だから彼はルルーシュに特区への参加を促してくる。参加するのが当然だというように。スザクはルルーシュの出自も現在の状況も、母国であるブリタニアに対する思いも知っているはずなのに。つまるところ、スザクは知っているだけで、何も理解していないのだ。これも無知と言えようか。いや、知っているだけ、単なる無知よりも性質が悪いと言うべきかもしれない。
 ルルーシュは何度もスザクに告げた。特区は失敗すると。なのに変わらず、スザクはルルーシュに特区への参加を促し続ける。
 似たもの主従とでも言うのだろうか。ユーフェミアもスザクも、ただ理想を追い求めるだけで、自分たちの立場、するべき事、それらを何一つ知識として持っていない。理解していない。知ろうとすらしていない。無知のまま、ただ思いのままに走り続けている、絶望という名の穴に向かって。

── The End




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