枢密院副議長のマキャフリー子爵がシュナイゼルの前を辞し、その執務室を出て扉が閉まったのを確認してから、シュナイゼルは大きな溜息を吐いた。
「殿下……」
その様子に、脇に控えている副官のカノンが心配そうにシュナイゼルに声を掛ける。
「カノン、とにかくロイドや、他の関係部署に連絡を入れて、しかるべく処置を取るようにと」
「畏まりました、殿下」
そう返事をして礼を取り、カノンはシュナイゼルの執務室を後にした。何を、と直接シュナイゼルは口にしなかったが、それが何かはカノンには手に取るように分かる。でなければシュナイゼルの副官など務まらないし、それが出来ると思っているからこそ、シュナイゼルも口にはしなかったのだ。
そんなカノンを見送って、改めてシュナイゼルは思う。
枢密院議長であるシュトライト伯爵が副議長のマキャフリー子爵を直接ここに出向かわせたのは、シュナイゼルの立場を慮ってのことだったのだろうと。
議長であるシュトライトが直接動けば、ことが大きくなる。かといって、通信で済ませるには、第2皇子であり、皇帝が政を殆ど顧みない今、この国を実質的に動かしているといっていいだろう宰相たるシュナイゼルの立場を考えるとそれは出来ない。だから、副議長を寄越したのだろうと。
程なくしてカノンが戻って来た。
「殿下、アスプルンド伯たちに通達してまいりました。ただ、流石にあのお二人には私からは連絡出来かねましたが……」
「それは仕方ないね。相手は皇族だ、当然だろう」
シュナイゼルが抱えている公務はとても多い。いつまでも一つのことだけにかまけているわけにはいかず、今もカノンが戻って来るまで、他の書類に目を通していたところだ。
「で、これから如何いたしますか?」
「そうだね」
シュナイゼルは執務机の上に組んだ両腕の上に顎を載せて少し考えこむように見せた。考えは既に纏まっている。そう、結論は出ている。それでもあえてそうしたのだが、長年副官を務めるカノンにもそれは分かっていた。分かっていて何も言わない。シュナイゼルの指示を待つだけだ。
数瞬の後には、シュナイゼルは極普通の自然の姿勢に戻り、改めてカノンに告げた。
「こちらとしては、取るべきこと、やるべきことはやった。そうじゃないかい?」
「はい、仰られる通りと存じます」
「となれば、あとはあちらの行動次第。ロイドに連絡を済ませた以上、まずはロイドが動くだろう。それに対して彼女たちがどう反応するか、それを待つとしよう。彼女たちの行動に対してまで、こちらが指示を出すべきことではないだろう? 枢密院とてそれは承知しているはず」
「左様でございますね。では、あちらさまからの連絡待ちということで、それまでは普段通りの業務体制、ということでよろしいですか?」
最後に確認を取るようにカノンはシュナイゼルに問い掛けた。
「ああ、それで構わない。まだ残りの書類があったら持って来てくれ。早いところ片付けてしまおう」
「畏まりました」
軽い微笑みを浮かべながらそう応えを返すと、カノンはまた一旦執務室を出ていった。その後ろ姿を見送りながら、シュナイゼルは、それにしても本当に困ったことをしてくれたものだ、しかもそれがどのようなことになっているか、それにすら思い至っていないとは、と改めて心の中で問題の人物たちの行動に対して非難を向けた。
事が起こったのはそれから三日後のこと。
突然、しかも直接に、エリア11の副総督という立場にある第3皇女ユーフェミアから、帝国宰相たるシュナイゼルの執務室に、シュナイゼル宛の通信が入ったのだ。
「やあ、ユーフェミア。暫くぶりだね。元気そうで何よりだ」
明らかに怒りをにじませた表情をしているユーフェミアに対し、シュナイゼルは何とも思っていないように当たり前のように返した。
『シュナイゼルお異母兄さま、これは一体どういうことなのですか!?』
「どういうこと、とは、一体なんのことかな? それだけでは分からないよ、ユーフェミア」
『スザクのことです! お異母兄さまならご存じないはずはありませんでしょう!?』
「スザク? ああ、君が選任騎士とした枢木スザクのことだね。彼がどうかしたのかい?」
『特派から除籍、彼のKMFランスロットのデヴァイサーも解任され、その上、軍まで除隊扱いになったと!』
「それのどこが問題なんだい? 当然のことだろう?」
ユーフェミアが何を言っているのか理解出来ない、とでもいうように、シュナイゼルは自然体で対応している。そしてシュナイゼルの副官であるカノンは、画面に移らない場所に控えながら必死に笑いを堪えている。
『当然、って一体どういうことです!? コーネリアお姉さまも仰ってくださいました。選任騎士を選ぶのは、任命するのは皇族の権利、ですから今回の私がスザクを指名したことについては、お姉さまですら何も言うことはない、出来ないと!』
「もちろんよく分かっているよ。だからロイドに連絡して、彼にやるべきことをやってもらっただけなんだが、それのどこが問題だというんだい?」
実をいえば、シュナイゼルは昨日のうちにロイドから報告を受けていた。
スザクは自分の告げたことを分かっていないようだ、というより、理解出来ていないようだったと。スザクに関しては、名誉ブリタニア人、つまり元はイレブン、さらにいえば日本人だったということで、ブリタニアの騎士制度のことをよく理解していないのだろうと、そう考えてやることも出来ないではない。しかし今現在のユーフェミアの態度から察するに、ユーフェミアもまた何も理解していないということを如実に表している。
故に思う。コーネリアは姉として、妹である彼女に対して一体どのような教育をしてきたのかと。
「特派は、規模は小さいとはいえ、明らかに私個人が創り上げた、私個人の所有する部隊だ。ということは、その特派の持つKMFランスロットのデヴァイサーも必然的に私の部下ということになる。けれど君はその私の部下であるランスロットのデヴァイサー、枢木スザクを私に対して何の断りもなく己の騎士として任命した。それによって彼は私と君と、二人の皇族の配下となった。それは決してあり得ないことなんだよ。選任騎士というのは、それを選んだ主ただ一人に仕える者のことを言うのだからね。だから私はロイドに命じて、スザクを特派から除籍し、加えて、軍人であるコーネリアとは違って君は文人だから、軍からも除隊させた。選任騎士が主の傍を離れて軍務に就いている、なんてあってはならないからね。何処か違っているかな?」
最後の方は、ユーフェミアだけではなく、彼女の後ろに映っているコーネリアに対しても向けた言葉だ。そのコーネリアの顔色が蒼褪めていくのすらはっきりと見て取れる。
「ユーフェミア、君は順番を間違えた。本来ならまずロイドを通じてでもいい、私に断りを入れ、許可を受けてから枢木を騎士として任命するのが筋だった。しかし君は、そんなことを何もせずに、いきなりマスコミの前で枢木を自分の騎士となる者だと公表した。
けれどね、それでも私は待っていたんだよ。後追いでもいい、私の部下である枢木を己の騎士として任命した君自身か、あるいはせめて、君の姉であり上司でもあるコーネリアから何か言ってくるのを。しかし君たちは何も言ってこなかった。そうこうしているうちに、今回の不祥事に対して、枢密院からどうするつもりなのかと連絡が入ってね。だから私はロイドに連絡して、彼にすべきことをさせた。それだけのことだよ」
シュナイゼルの告げた内容に、どう返せばいいのか分からず、というより、理解すらも追いつかず、ユーフェミアはおろおろするだけで何も言い返せずに、後ろにいるコーネリアを振り返る。
シュナイゼルは僅かに微笑を浮かべてそんな二人の姉妹の様子を見ている。
しかしコーネリアはシュナイゼルのその表情が作られたもの、いわば表面的な仮面に過ぎず、内心では怒っているのだと理解していた。
コーネリアはユーフェミアがスザクを選任騎士としたことについて、スザクが名誉ブリタニア人、つまり元はイレブンであった者を選んだことについて怒りを覚えていた。しかし皇族としての権利を考えれば、そのことについては何も言えなかった。コーネリアにとってユーフェミアがスザクを選んだことについてはそれだけで、それ以上でも以下でもなかった。だからスザクが特派に所属する者、つまりはシュナイゼルの部下にあたるのだということを失念していたのだ。そしてエリア11に対する執政と、ゼロを旗頭として台頭してきた黒の騎士団に煽られるように、元々多かったエリア11内でのテロ行為は増えており、その対処に追われ続け、正直、ユーフェミアがスザクを選んだことについていつまでも構ってはいられなかったということもある。
だが、それらは所詮コーネリアにとっての言い訳に過ぎない。そのような言い訳は、この異母兄であり、帝国宰相であるシュナイゼルには通じない。ましてやシュナイゼルに今回の行動を起こさせた元には、枢密院の存在があるとなればなおさらだ。
「ああ、それからユーフェミア。君は枢木を学園に通わせているそうだけど、それも止めさせたほうがいいね。騎士が主の元を離れているなんて、ブリタニアの常識に照らせば有り得ないことだよ。君はもう少し、自分の行動というものをじっくりと考えた方がいい。
それではもういいかな? 私にはやるべきことがたくさんあってね。これ以上、君たちに構っている余裕などないのだよ。それではね」
そう告げて、シュナイゼルは一方的に通信を切ってしまった。
最後に見えたコーネリアの表情はすっかり蒼褪め、不安に揺れていた。コーネリアは理解したのだろう。
自分たち姉妹が、本来ならすぐにでもすべきだったことをせずに、自分たちで気付かぬままに放っておき、結果、帝国宰相であるシュナイゼルの怒りを、不興を買ってしまったことを。そしてこれからのエリア11の内政に関して、例え何があろうと、帝国宰相たるシュナイゼルの助言や協力を仰ぐことは出来なくなったこと。さらには枢密院に目をつけられ、自分たちの行動、エリア11内における執政に対して常に枢密院の目が光っているのだということを。
おろおろするばかりのユーフェミアの姿を目にしながら、これから一体どうしたものかと、まだ理解や納得のいっていなさそうなユーフェミアにどう伝えればいいのかを含めて、コーネリアは今後のことを考え、途方に暮れた。
── The End
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